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【鏡明「竹宮恵子とSFマンガ」】


少女SFマンガ競作大全集
出版社:東京三世社
発行日:1978年11月25日


資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164452...


鏡明「竹宮恵子とSFマンガ」

女の書いたSFは嫌いだ
鏡明

女の書いたSFは嫌いだ。というよりも、良くわからないというべきだろう。どこか一つ波長がずれちまう。男優りのアクションものを書くというリイ・ブラケットにしても、あるいは冒険SFを量産しているアンドレ・ノートンにしても、どうしてもしっくりこない。もう少し御立派なル・グインや、ウィルヘルム、あるいはジョマンナ・ラスや、アン・マカフリーにしても、読めなくはないが、熱狂はできい。
これがファンタスィなら別なんだが、SFとなると、世界がちがうように思えてならないのだ。どこがどうちがうのだ、とまあ、こう言われると、返答のしようがないが、言ってみれば、感触の差とでも言っておこうか。世界の手触りがちがう。狙いがわかってみても、良く出来ていると思ってみても、そこに自分が入りこめるかどうかとなると、これは感覚的な問題になる。
SFマンガにしても、似たようなことが言えるわけで、かなり前から、ちらほら見かけるようになった少女マンガのSFものは、それがSFであるという点にこそうれしさを感じるけれども、さて、どこがどう良いかということになると、どうも現実をテーマにしたものには及ばないという気がしてならなかったのだ。SF的な素材を扱ったとしても、たとえば永井豪や藤子不二雄ほどに、それが作品の中核を形成してい ることにはならないと思えるわけだ。
でまあ、てっきり美少年マンガの人だとばかり思い込んでいた竹宮恵子が「地球へ」を書きはじめたときには、期待どころか、読みもしなかった。ところが連載何回目かに、読んでみると、意外や意外、かなりのSFなのだ。何よりも、イメージだけではなく、バック・グラウンドががっしりと存在しているという強さがある。勝手なことを言わせてもらうなら、竹宮恵子は生活をつきぬけ、社会を念頭に置いてSFを書き出した、はじめての少女マンガ作家なのではないか、という気がする。ぼくの大好きな「ジルベスターの星から」にしてみても、それは遙かなる時と空の彼方の少年との霊的な交流という以外に、その背後には社会が、世界が存在するということが、この作品に広がりを与えていると思えるのだ。そしてそれこそがSFの一つの本質であるということは、言うまでもない。
もちろん、それが少女マンガというジャンルにあって、正当なSFのありかたかどうかは、何とも言えない。けれども、竹宮恵子には、もしかしたら、ぼくが好きになれるSFマンガを書いてくれるのではないかという期待を感じざるを得ないところがあるというわけだ。片一方では、「ハートあげます」のように、いかにも女が書きそうな作品(失礼! けれど もぼくにはこの良さがぴんとこない)があったりするので、時にはとまどうのだが、相当なSFマニアと思われる竹宮恵子のことだ、いくら期待しても、期待しすぎということはないだろう。彼女にはSFの心がある。