【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】 資料まとめサイト - 【座談会「COM」1971年10月号】
【座談会「COM」1971年10月号】

参加者
もりたじゅん
一条ゆかり
竹宮恵子
萩尾望都
まきのむら


「COM」1971年10月号



個人ブログから採録
雑誌「COM」について
参考「COM傑作選 下 1970〜1971(ちくま文庫)」中条省平 (編)

抜粋のため「COM」の完全採録ではありません


特集・座談会
新鋭少女まんが家が語る、現在の状況と抱負!
少女まんがをさぐる!

司会/上田としこ
もりたじゅん
一条ゆかり
竹宮恵子
萩尾望都
まきのむら
編集部


デビューとその動機とは…

もりた やっぱり昔から好きだったということです。大学のとき、半年くらいはまじめに通っていたんですけど、おもしろくなくて、まんがを読んでいて、これなら描けるんじゃないかなんて思って描きはじめたんです。ほんとうにかるい動機でしたね。一番最初に『りぼん』に載せてもらったんです。

一条 私も、もりたさんとデビューがいっしょだったんです。『りぼん新人賞』を募集してて、いっしょに賞をとったんです。そのときからの知り合いなんです。

もりた 私がその時、賞金五万円で一条さんが十万円なんです(笑)。

一条 私がまんが好きだったのはやっぱり絵が好きだったから。小さいときから絵を描くのが好きでね、小学校のとき、将来何になるって調べがあって、みんなは看護婦さんとかパイロットになるって書いてるのに一人だけまんが家になるなんて書いて変なこと考えてるって笑われたりして。中学の頃からイラストレーターになりたいなんて思ってて、高校の頃、商業学校だったからまわりが就職ってうるさくて、自分一人ぐらい自分でなんとかならないかなあなんて考えてたんです。その頃、単行本ちょっとやってつまんなくてやめて、それから『りぼん』に応募したんです。で入選してデビューしたのが四十三年の三月です。

竹宮 わたしは根がさびしがりやなものでとにかくよろこんでいて何か興奮している状態が好きで、いろいろ興味持つんですけど、結局とことん興味をもてるのがまんが以外になかったというわけです。どんどんふみこんでいって、ただ自分をよろこばしてくれるから描いていました。中学のときに突然興味を持って毎日描いていたんです。内容にしてもこれが描きたいんだ、というものはなかったみたいです。

竹宮 最初に出たのは私も十万円をねらって(笑)『マーガレット』の方へ応募して、だめだったんですけど佳作に選ばれて載せてもらったんです。それと同じ頃に『COM』に応募して、最初は佳作で載せてもらえなかったんですけどね、それから何度か出したりしてて、描きだしたんです。

萩尾 とにかく幼稚園に入る前から絵が好きで、ずーっと学校にいるときは夢中で、高校の二年の時、石森先生の『マンガ家入門』を読んだわけです。三畳の室で頑張った、なんて書いてるんです。私は頑張る気はないからやめた、なんて思ってたらすぐ後で、手塚先生の「新選組」を読んでショックを受けて、描いていこうと思ったんです。で、デビューしたのが二十歳のときに『なかよし』でです。編集の人に紹介されて、作品を送ったり返されたりしているうちに載せてもらいました。

まき 描きはじめたのは中学二年の時で友達が描いているのを見て、これなら私も描けるんじゃないかな、なんて思ってそのころちばてつやさんが「紫電改のタカ」を描いていたんですね、それが大好きで、戦争ものばかり描いてたんです。最初に作品をまとめたのが高校二年の時で、それを『COM』に出したんです。それが佳作の次の準佳作で、それから何度か出してやっと去年、佳作の一席に入ったんです。デビュー作にあたるのは今年の5/6月合併号の『ベストコミック』に発表した作品で、まだ新人のほやほやです。


プロとしての抱負を……

上田 私は仕事ができて原稿料をもらえればプロ、ということにはならないと思うんです。プロでやっていく上での心がまえというんですか、何を描いていったらよいかといったものはどうでしょう。

もりた それはあまり口に出すべきものじゃないように思います。心の中にしまっておきたいものですね。

一条 私は描いてるものを読んでてもらって、ああこの人はこんなことを描きたいんだなってわかってくれればいいんで別に口にすることもないんじゃないかと思います。

竹宮 特にっていわれてもこまるんですけど、とにかくどうしても描きたいっていうものは今ないんですね。自分が本当に描きたいものをもってデビューして、たとえば自分のコンプレックスを発散するために描くとか、そういうものが全然なくて、非常に消極的というか私はとても恵まれて育ってきて、まんがについてもなんにも障害がなくて、横やりが入ってきたらはねかえすという強さをもたなかったものだから、内容もあっちこちとんだり、特にこれだというものをもたないんです。ただ好きで描くというんだったら楽しいんですけど、読者がいると思うとそうはいかないし、そろそろまじめに本当のプロというものはこんなものじゃないかな、とわかってきてこれからこうしなくちゃいけないな、なんて考え初めたばかりだから、これだっていう線まで行ってないんです。

萩尾 少女まんがの対象というのはだいたい小学生、中学生でその人達が日々に感じているというのは、まんがだけじゃないんです。学校へ行って家庭があってその中で読む世界の名作や映画、とかいろいろなものがあるわけでしょ。まんがというのはそういうものに匹敵するものを描かなくちゃいけないと思うんです。

上田 純粋に自分の創作というものを雑誌が描かしてくれますか。

一条 私の場合、描きたいものがあるとどうしても描きたい、死ぬほど描きたいといえば、意欲をかってくれて話し合って描きます。それほど制約されてないようです。

竹宮 私の場合、割に自由に描かしてくれます。編集の人なんかと話し合いしていると、向こうが何を求めているかわかってくるでしょ。こういうものを持っていってもOKされないなと話してるうちにわかるから、自分の方でOKされるものしか描かないってことがありますね。

上田 少女雑誌の内容がみんな同じでつまらないといわれるのには編集部の方の責任が重いわけですね。

もりた それをはねのけるぐらいじゃないとだめなんじゃないかな。たとえば、このシーンはタブーであるといわれても必要不可欠ならばやっぱり話し合って納得させるのが大切ですね。

上田 アイデアを考えてるときなんですけどね、どういうときがいちばん気分が乗りますか。

もりた 主人公の性格を自分ではっきりつかまえたときですね。

上田 アイデアを立てるときは主人公が先ですかそれとも、テーマが先に出てくるわけですか、その辺のところは?

一条 ものすごくいろいろですね。たとえばね、こういう性格の人物を描きたいなと思ったときにね、こういう人はどうするだろうかって話つくろうかと思ったときに、パッと一場面が浮かんで、あっ惜しいせっかく浮かんだんだから書いておこうって紙に書いておいて、後でつかったり、カッコいいセリフを聞いてそのセリフ一つで話をつくったり本当に その時、その時ですね。


少女まんがにおける”性”

上田 昔は、今とちがって『りぼん』とか『なかよし』とか対象年齢の低い同年齢だったわけで『マーガレット』や『少女フレンド』が次の年代といったように年代にふさわしいものを載せてったわけですね。ところが最近は層というものをはっきりしないで、どんな雑誌にもかなり高年齢対象の性、というものが、ベットシーンなど、かなり赤裸々に描か れてますね。それをどうお考えですか。

もりた それを納得のいくテーマの上で重要なものであれば、いいと思います。ベットシーンや強烈な場面が書きたいがために話を作ったという、あとあじのわるいものを感じる作品もありますけど私はそれをわるいとは思わないしベットシーンを美しいものとして見ればあれほど美しいものはないと思う。美しいとして見てかけば美しく描けるし、ただそ の場合、不潔感をただよわせて描いてほしくないということですね。

もりた 私、考えるんですけど少女の感覚と20歳前後の感覚とだいたい似ていると思うんです。中学一年ぐらいから性に対するあこがれ、おそれみたいなものと20歳ぐらいのそういうものはそれほど大差ないと思うんですね。自分が真剣に考えて、真剣に作品に向かった場合、やはり小学生がうけとめてくれるんですね。だから私はそんなこというのはおかしいと思う。女性は最初から成長しているところがあるような感じです。

一条 私なんにも感じないです。もし作品つくって必要だったら描くし、わざわざこじつけて描くこともないです。自分の中で描きたいものってのがあって、考えをにつめていってくとふしぎと、そのシーンが入ってくることが多いですね。別段問題にするほどないんじゃないかと思うんですが……。


専属契約制については?

上田 少年まんが界には、あまり多くはないんですけど、少女まんが界には専属契約制というものが、かなり一般的なことになってますよね。その問題についてはどうお考えですか。

もりた 私個人に関していえばラッキーじゃないかと思います。私の場合、制約はそれほどされてないし、仕事の量がいくらか少なめにできているから。仕事はしやすいです。

一条 今のところ、どちらがいいといわれるとまよってしまいます。良い時も悪い時もあるみたいね。

竹宮 女の作家の場合、どうしても描ける量っていうのがきまってくると思うんですね。その意味じゃいいんじゃないですか。

萩尾 私は契約は結んでいないんですけど、こっちのやりたい仕事だけやらしてくれるならいいでしょうね。

上田 話は変わりますけどね、女性作家の場合、実力が男性作家より落ちるなんてこと漫画賞の選考の場合などによく筆が甘いし、構成も甘いしというような批評されるわけですけどね。

竹宮 なんていうのか、少女まんがの場合、やたらやわらかい線でたとえばデッサンできてなくてもいいから、どこかぬけたデッサンのところがいいんだっていう考え方があるみたいだと思うんですけど。

一条 そんなこともありますね。

もりた 少女まんがと少年まんがのどちらがすぐれてるなんてくらべられないですよね。めざすものが違うんだからダイナミックなところは女がとてもかなうわけがないし、女の心を男が描けるわけがないってことですよね(笑)。

上田 最近よく聞くんですけど、読み手が変わってきた傾向があるといわれるんですね。 少女まんがを男が読んで女の方が少年まんがを読むってことがあるようですけど、少女まんがが男性のまんがよりおもしろいところっていうと、またその特性はどうでしょう。

もりた 男には描けない女の心のあやとか、そういうものが描けるってことですね。昔と変わってきてきまったストーリーの中でキャラクターが動くというんじゃなくて、今はキャラクターの中の人間性というものがかなり出てきているでしょ。そういったもののおもしろさってあるでしょうね。いいなって思った意見なんですけどね、矢代まさこさんが読者を意識するかって質問に対して、私は自分が読者だと思うっていってるんです。自分で描いてなおかつ自分が読者ってわけで、いい意見だなと思って私はその線でいきたいなと思いました。


原作まんがの良否

上田 少女まんがには原作つきまんがってものが非常に多いわけですね。その原作をつけられるということで抵抗ありますか。

一条 私が原作をつけられる場合、会社をルートにしてまわってきて、原作者をあまりしらないわけなんですよね。原作をバサッとわたされて読んでもつまらないんですね、原作と自分との接点がないんです。私なんかどんどん変えて描いて半分以上自分でかってに描いていくんです。これだと原作の良さなんてまるでなくってプロットをもらっただけなんですね。これだとあまりにもばかばかしいしやっぱり原作者のもちあじと自分のもちあじを両方出して、今まで描いてなかった自分の線というのを出すのが原作もらった良さでしょ。
だから、原作家をいかに知ってるかが大切なんですね。原作者とまんが家のお互いの良い所をとりっこして悪い所をたたきあわねばと思います。

竹宮 デビューした最初のころは、原作つきというとその通りにやらなきゃいけないかと思ってまじめにやってたんですけど、やりにくいんですね。いいネタのある原作ならね、プロットとしてふくらましていこうと思うんですけど、全然そういうのがこないんです。

もりた 原作者というのは少女まんがをなめてるみたいね(笑)。

一条 それはありますね、大変。

上田 ゴーストライターが非常に多いでしょ。名前を出さないで。

竹宮 そうなんです、原作者の名前出すんならいいんです。責任がかなりいっちゃいますからね。

一条 だから必死で名前出してもらったりしてね(笑)。けど、悪い原作をあたえられて作品が悪くなるのはやっぱり自分が悪いんでしょうね。こなしきれなかったってことでしょう。悪い原作でも良くしてかなくっちゃいけないしあからさまに悪いのはことわるとか、自分で考えるとか、やっぱり自分のいいかげんな態度が一番悪いですよね。

もりた 結局、原作がついたといってもそれが後々、自分の身になり肉となるんだったらそれがその人の本物であったかもしれないし、なんども吸収することですよね。

上田 最後の質問になりますけど、出版社側、まあ直接には編集の人のことになるでしょうけど、そちらからの注文などがなにもなくて好きな作品を描いてくださいっていわれたら、ちがうものって出てきますか。

竹宮 同じようなもの書くんじゃないかな。

一条 それほど規制されてないし、いやなものは描かないしね。

竹宮 やっぱり描けといわれても描けるものじゃないですよね。

一条 相手に妥協しているようでこちらの意地はちゃんと通しているところがありますね。

上田 それは大切なことですよね。今日ここにいらっしていただいた方達は独自なものをちゃんとおし通していますね。