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【小野耕世「岡田史子とSFマンガ」】


少女SFマンガ競作大全集
出版社:東京三世社
発行日:1978年11月25日


資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164452...


小野耕世「岡田史子とSFマンガ」

宝石のなかへ
小野耕世



岡田史子のマンガは、何度くりかえして読んでも、あきることがない。
というよりも、くりかえし読めば読むほど、そのたびに、新しい想像を刺激されて、楽しみが深まる。なぜ、そうなるのかといえば、(言葉でいえば、簡単だが)どこか、わからない部分、いや、わかりきってしまわな 部分が、いつる残っているからで、それが読む者のこころに、忘れられない印象を与える。彼女の作品が与えてくれた小さなナゾが、彼女のマンガを離れた後になってもたとえば、電車のなかで、ふと気になってくる瞬間があるのだ。
それだけ彼女のマンガには、深みがあるということなのだが、それは、そのまま、彼女の作品が、とっつきにくい──ということには必ずしもならない。
どの作品にも散りばめられている、宝石でいえば輝きの点に相当するナゾの部分というのは、物語のなかに感じることもあるし、彼女の独得の画風のなかに見てしまうこともある。それが絵を抜きにしては語ることのできないマンガというものを味わううえでの楽しみであり、マンガの強さなのだが、特に、岡田史子の場合は、その作品に応じて、絵のスタイルを変えるということを、大胆にやってのける。
大胆に──というのは、読者である私から見ると、いともあっさりと画風を変えてしまって平然としているように思え、感心してそういいたくなってしまうのだが、それは、これまでに刊行されている彼女の二冊の作品集「ガラス玉」と「ほんの少しの水」を読むとよくわかる。
「夢の中の宮殿」は、「ほんの少しの水」に収められた一編だが、作品のなかにひきこまれてしまうのには、その絵のスタイルが、大きな役割を果たしている。
しかし、スタイルを変えても、いずれも全体としては、岡田史子の絵だということが、少しでも彼女の作品に接していれば、わかってくる。
ちょうど、宝石を見つめていると、そのなかにひきこまれていくような気になるが、そんな魅力が、岡田史子のマンガにはあり、読みながら、吸いこまれていくように感じるのは、その透明度の高い質によるのだろう。読者のこころのなかに残った小さなナゾが、それぞれの読者のなかで、育っていく。
といって、そのことを、作者がことさらに意識しているわけではないだろう。それが彼女の資質で、さらに私が感じるのは、作品にただよう一種のエロティシズムで、実はそれが、かなりきわどいるのであることに、気づく者は気づくはずだ。
彼女より人気を持ち、本が売れるマンガ家はたくさんいるだろうが、岡田史子ほど大胆で、凄味のある作品を描く少女マンガ家は、いまのところ、いない。