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【村上知彦:少女マンガのゆくえ】だっくす1978年12月号


だっくす1978年12月号
発行日:1978年12月01日
発行所:清彗社
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/165219...




「だっくす1978年12月号」14-20ページ
村上知彦
少女マンガのゆくえ
(画像に続いてテキスト抽出あり)









村上知彦
少女マンガのゆくえ

一、少女まんがの「現在」

少女まんがはいま、非常な困難のたたなかにある、と言ったら奇異にきこえるだろうか。萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子、木原敏江、山岸凉子たち、いわゆる少女まんがにルネッサンスをもたらした「24年組」世代は、ヴェテランとして相応の大作にそれぞれ挑んでいるし、倉多江美、森川久美、坂田靖子、花郁悠紀子、伊東愛子ら七〇年代中盤に登場したルネッサンス第二世代が、すでに中堅として安定した作品を送りだし、さらに吉田秋生、成田美名子、みかみなちを経て、佐々木けいこ、猫十字社、柴門ふみ、湯田伸子、富永裕美、谷地恵美子ら、同人誌の香りをたたえた第三の新人群の登場と、相かわらず少女まんがは賑やいだ春を謳歌しているかにみえる。にもかかわらず、ぼくには少女まんががいま、非常な困難に直面している、危険な曲り角にさしかかっている、と思えてならないのだ。

「思想の科学」九月号に斎藤次郎が、大島弓子の綿の国星にふれて「漫画よ、きみはここまで来たのか!」という感慨を述べている。ぼくもまたそう思うひとりだが、「ここまで来たのか!」という感慨が、つまりそういった達成度の意識が、逆にいまの少女まんがを規定しているのではないかという不安から逃れられない。少女まんがが全体として、その不定型なエネルギーと熱を失いつつあるのではないか、個々の作品の達成度のうえに安住して、乗りこえるべき壁の存在を見失っているのてはないかという、気さえするのだ。

少女まんがの、この十年ばかりのあいだのひろがりと深まりには、確かに目をみはるばかりのものがあった。その中核を担っていたのは、言うまでもなく先述の「24年組」世代であったが、彼女たちに共通していたのは、少女まんがの〈枠〉に対する挑戦であったと思う。差別されたジャンルとしての〈少女まんが〉の内部からの反乱として、「24年組」 の果した役割は大きい。押しひろげられた〈枠〉は、さまざまな表現を可能にした。い さまざまな表現が、〈枠〉のひろがりを生みだした、と言うべきだろうか。とりあえず、作家たちは描きたいものを描きだした。描きたいものが描ける状況を、描きたいものを描くことによってつくりだした。「描きたいものがある」という想いが、彼女たちをつき動かしていたことは明白だ。想いの深さが、作品にとっての〈枠〉のみならず、読者にとっての〈枠〉をも押しひろげ、そして少女まんがは「ここまで来た」。そのこと自体は喜ぶべきことである。しかし「ここまで来」てはみたものの、その先がまったくみえないとしたら、〈枠〉がひろがったことに喜々とするあまり、ひろがってもなお存在する〈枠〉に 気づかないとしたら、少女まんがもまた、かつて少年まんがや青年まんがが入り込んでしまった、拡散と堂々めぐリの袋小路に迷い込むしかないのではないだろうか。

「24年組」はいま、ためらっているようにみえる。萩尾望都のゴールデン・ライラックやスター・レッドも、竹宮恵子の地球へ…や風と木の詩も、山岸涼子の妖精王もどこか立ちどまっているような、冷静でさめたものを感じさせる。ここにとどまるべきか、更なる一歩を踏みだすべきかを、模索しながら逡巡しているかのようだ。彼女たちは、おそらく気づいているにちがいない。問題は後につづくべき、後発世代の作家たちであり、読者であるぼくらだろう。ぼくらは少女まんがで描けないことなど何もないと、思い込みすぎてはいないだろうか。それが、危機感や怒りや、少女まんがの全体としての熱を、うすめる方向に作用してはいないだろうか。少女まんがとは、ぼくらにとって何だったのか。ぼくらは少女まんがに、もっと多くを望んでみせるべきではないのか。


二、少女まんがの「機能」

少女まんがの役割は、さまざまに論じられてきた。女性の側からの発言で、比較的多くみられるのが「幻想世界へ自己を投入するための手段である」(竹田やよい「少女マンガはドラッグである」宝島76年9月)というやつだ。そして「女の子のこの第二の世界への傾きが、もし現実の抑圧からの逃避と、先行き主婦にならなくちゃという、先細りの人生への漠然とした不安からくるとしたら、それは少女マンガの責任ではなく社会のほうにあるわけだ。かりにそれでもいいじゃないかと思う」(犬養智子「男が知らない少女コミックスの世界」別冊宝島・女と男77年5月)と現実逃避を肯定的に主張する。少女まんがはストーリーの面白さでなく、表現の様式を「読む」べきもの、感性的に、感覚的に理解するものだとして、少年まんがからそれを峻別しようとする立場も、男にはわからないという通説も、ここから生まれる。だがいまは、そのように女だけが抑圧されている時代ではないのではないか。「男はだれもみな無口な兵士」であるわけではないのだ。男の子にとっても、いま人生のレールがすべて見渡せるとしたら、そして競争し他人を蹴落として生きていくことに耐えられないとしたら、やさしさに包まれた幻想世界への逃避は、当然強い欲求となりうるはずだ。美しい時のまま、永遠に生きたいと願うのは、少女ばかりではないのだ。

一方、それだけに満足できない立場も当然存在する。斎藤次郎の「少女漫画家たちが描く世界は、大袈裟にいえばそれぞれの愛をしあわせに至る道の発見と確認のバラエティだ、ということができよう」(「少女マンガ・愛と幻想の世界」わたしは女78年4月)や中島梓の「私は、ニューロマン派でも新感覚派でもいいけれど、そう呼べるかどうかというのは、そのテーマに行きつくかどうかだと思うんです。人間にとって非常に大きな問題に。人生とか愛とか、これは口に出すとちょっとはずかしいけれど言わなくちゃならない問題なんですね。それがあるかどうかですね」(対談「少女マンガの個性派たち」ペーパーム ーン・少女漫画ファンタジイ78年9月:参照【少女漫画妖精国の住人たち:中島梓・伊東杏里】)といった発言は、先の現実逃避派に対する現実超克派とでも名づければよいだろうか。かがみばらひとみは、この両者を、少女にとっては 「彼女たちが『少女』だから少女趣味に走るのではなく、『少女』であろうとするから、少女趣味を求めるのだ。同じことを心の上でやろうとする時、おそらく少女マンガが登場する」とし、「少女」としての自己確認などできぬ男性読者にとっては「彼らが求めているのは実は『人間』ではないだろうかという気もする。少女マンガに自己を投入できない分だけ、彼らは少女マンガが持っている全体的な虚構性(ロマン)を受け入れることができるだろう。『やさしさ』『触れ合い』『美しさの希求』といったことを、彼らは少女マンガの中に見出したのではなかろうか?」(「少女幻想の時代」漫画新批評大系Vol.4・5、76年冬)と分析してみせた。だが、これらは本来ひとつであるべきものではないだろうか。少女まんがはいまや、少年たちにとっても「少年趣味」とでもいうべき、現実逃避の場所になっているし、現実超克の願いも、理想という名の幻想世界を自己の内部に構築するところからはじまるのではないか。だとすれば、幻想世界への自己投入から、現実超克の願いと実践へと至る、両者はひとつらなりのプロセスであるはずだ。少女まんがとは、この時代の現実に対して何らかの違和感を抱かざるをえない者たちの、幻想世界を拠点とした異議申したてなのだ。


三、少女まんがの「方法」

では少女まんがは、そのような幻想世界をどのように築いてきたのか。方法の第一は「少年」である。「少年」を描くことによって少女まんがは〈少女まんが〉の桎梏(しっこく)からすらりと脱出してみせたのだ。このことは単に少女的抑圧からの解放、自由に動きまわりたい幻想の投影という意味をのみ指し示すものではない。萩尾望都と竹宮恵子、このふたりは「少年」のなかにもっと別の、この世に存在するはずのない幻想をみてしまったのだ。トーマの心臓で萩尾望都はトーマ・ヴェルナーにこう語らせた。「ぼくは成熟しただけの子ども だということはじゅうぶんわかっているし、だからこそこの“少年の時”としての愛が、なにか透明なものへ向って(性もなく、正体もわからない)…投げ出されるのだということも知っている」少女まんがが実現可能性をちらつかせたシンデレラ物語から、無限に遠く旅立つ契機がここに存在した。「“少年の時”としての愛」とは、一瞬の「時」に支配された永遠であり、性とまったく無縁の、人間が性的分化を遂げる以前の、それゆえ生まれた瞬間から不断に性的成熟の途を歩みはじめる女性にとってまさに正体不明の「何物か」であったのだ。それは彼女たちの知っている「愛」とは、あまりにちがっていた。知らないもの、知りえないものへ向かう、このような知的好奇心が、少女まんがヘ導入されたとき、少女まんがはすべてを語る自由と権利を得たのだとぼくは思う。萩尾望都と竹宮恵子にとっての「少年」とは、そのような「知りえないもの」の象徴でもあった。だからたとえば森川久美にとっての「道化」や、倉多江美や三原順が人間心理の奥底深く垂らした垂鉛もまた、形を変えた、彼女たちにとっての「少年」の発見だったのだ。それは現実世界とは何の関わりも持たぬ、むしろそこからはじき出された、生産性を持たない観念であるかもしれない。それでもなお、それが美しいという一点で、そこに幻想を託せると確信してしまったとき、少女まんがは自らを変えたのだ。

方法の第二は「少女」である。「少女」といっても、それはあの〈少女幻想〉の担い手としての少女、幻想と現実を限りなく混同しつづけ、ついに幻想へと到る途を自ら閉じてしまう少女ではない。ここに現れる「少女」とは「“少年”でない」ことによって、自らが性的存在であることを意識してしまったような「少女」であり、夢みるためには、それだけの力が必要だと感じてしまった「少女」である。女としての自意識が、女のままの自己実現の欲求へと向かうのは当然である。そのような「少女」のための幻想世界、どこにもない「場所」への構築へ向かったのが、大島弓子であり、木原敏江なのだ。大島弓子が好んで男色を描くのは、性的存在としての「少女」が男性によってのみ一面的に対象化されるのを防くてだてであり、「少女」の性のありようを相対化した視点の中でとらえきるためにこそ必要な場の設定であったのだ。「少女」はそこで、性についての既成概念から可能な限り身を退けて、自らの性的存在としての自己実現の方途を思いめぐらすことができる。ジョカにとって、シモンは性を転換してソランジュにならなければならなかったし、三浦衣良が必要としていたのは「世問にうしろめたさを感している男色家の男性」であった。彼らを救うことによって自らも救われると妄想する「少女」たちにとって、性はそこにこそ幻想を託さざるをえないような重荷なのだ。あるいは木原敏江の〈少女幻想〉そのもののような、おお甘の恋物語も、それが「持堂院高等学校」という、どこにもない「場所」の物語として展開されるとき、幻想としての意味を持ちうる。あーらわが殿!や摩利と新吾にみられる「少女」の、少年たちとの共生の見果てぬ夢は、性をすでに持ってしまった者としての深い自覚に裏打ちされているからこそ、夢としての輝きを放っているのだ。 (山岸涼子の「現実の中」へ、女としての自己実現を希求する方向について述べる余裕がなくなった。本誌先々号、橋本治論文を参照されたい。ひどい手抜きじゃ)

方法の第三は「日常性」である。おそらく、矢代まさこによって、最初になしとげられた「日常性」の発見は、今日少女まんがが獲得した表現の方法のなかで最も重要なものだとぼくは思っている。「夢」が決してお伽話の彼方にあるのでなく、日常のさりげない出来事のなかにこそ、「夢」への出入口がひそんでいるのだということは(まるで「青い鳥」だね)夢みつつも女であることによってたえず現実へと引きもどされねばならない少女たちにとって、何物にもかえがたい啓示であるはずだ。たとえば樹村みのりの描く、人と人とが心を開き、心をふれあうさまざまなバリエーション。ささやななえの描く、少女が世界の現実に裏切られ、傷つけられながら、なおそのような現実に足をすえて生きてゆこうとする力強い意志。そして初期の萩尾望都が描いた、ふつうの女の子の何でもない一日の物語。それらが描くのは、決して荘大なロマンスでも、美しいファンタジーでも、素敵な恋物語ですらありはしない。贈り物の少年たちは「夢を抱いたまま、この世界につなぎとめられて生きねばならない」ことを知るのだし、真貴子は「私のなかの悩みやいろんなことはすぐには消えないだろうけど、あせらないで歩こう」としかいえない。だがその「生きねばならない」「歩こう」という意志こそは、現実のただなかでなお「夢みる力」を持続させたいという、少女たちの、そしてもはや少年でなくなった者たちの、最大の「幻想」であるはずなのだ。「少年」のほんのひとときの「美しい時間」、「少女」のあらかじめ失われた「美しい時間」を、永遠につなぎとめたいと願うなら、ぼくらはこの現実の「日常性」をこそ、そのまま「夢の場所」へと転化してゆくしかないではないか。


四、少女まんがの「行方」

再び「24年組」に戻るならば、彼女たちに与えられた使命は、ぼくらの「夢の場所」がいまだ切り拓かれていない、その極限をさし示しつづけることだ。そして次代の作家たちもまた、どんなに困難であろうと、そこからこそはじめるべきなのである。「24年組」は到達すべき目標ではなく、スタートラインなのだ。

たぶん少女まんがは、どこまでも、遠くまでゆけるのだ。少女まんがを、少女たちを、そしてこの時代を生きるぼくらのすべてをとり囲む〈枠〉の存在を見失わない限り。この時代のあらゆる現実が、ぼくらの抱く夢や幻想がそこでこそ実現する唯一の場所となりえていると思えない限り、ぼくらはぼくらの幻想の拠点を限りなく生みだし、現実を撃ちつづけねばならない。

少女まんがは、いまだに、非常な困難のただなかにある。ぼくらが困難な現実のなかにある限り、少女まんがもまた、ともにそこにあるのだということを、ぼくらは決して忘れてはならないのだと思う。