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【知野恵子について】
「扉はひらくいくたびも」執筆者

参照【「扉はひらくいくたびも」執筆者・知野恵子


「扉はひらくいくたびも」特設サイトより
https://www.chuko.co.jp/special/tobirawahiraku/
ジャーナリスト。東京大学文学部心理学科卒業後、読売新聞入社。婦人部(現・生活部)、政治部、経済部、科学部、解説部の記者やデスク、編集委員を務めた。約35年にわたり、宇宙開発、科学技術、ICTなどを取材・執筆している。1990年代末のパソコンブームを受けて読売新聞が創刊したパソコン雑誌「YOMIURI PC」の初代編集長も務めた。

知野恵子:PRESIDENT Online 記事一覧
https://president.jp/list/author/%E7%9F%A5%E9%87%8...

「少年同士の恋愛を少女に届けたい」竹宮惠子が日本最初のBL漫画を世に問うまで
2021年05月02日11:00
https://president.jp/articles/-/45608
資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163456...

(以下、一部採録しました)

BLは一つのジャンルとして定着した感があるが、1970年代に『風と木の詩』が少女マンガ誌に掲載されるまで、竹宮惠子さんは7年もの日々を費やすこととなった。筆者が3月に上梓した『扉はひらく いくたびも』(中央公論新社)には、その様子が描かれている。

1976年、小学館の「週刊少女コミック」で『風と木の詩』の連載がスタートするが、いきなり少年2人のベッドシーンから始まるという衝撃的な作品だった。

掲載に至るまでの道のりは長く険しかった。竹宮さんは冒頭50ページをクロッキー帳に描き、さまざまな編集者に見せて掲載を打診したが、反応は冷たかった。特に冒頭のベッドシーンへの反発が強く、「別の穏当なもので話を始め、ベッドシーンは中盤に入れたらどうか」と言われることが多かった。

しかし竹宮さんはこだわった。「この物語を最も反映しているページを最初に持ってきたい。その形で始められないのだったら、意味がない」

そんな中、女性漫画家の間から「24年組」と呼ばれる女性たちが登場する。昭和24年(1949年)前後に生まれた女性漫画家のことで、竹宮さんのほか、萩尾望都さん、大島弓子さん、青池保子さん、山岸凉子さん、ささやななえこさんなどがいる。こうした若い女性漫画家たちが、少女マンガの世界に変革をもたらす。

『扉はひらく いくたびも』の読みどころのひとつは、この時代の女性漫画家がどのような地位に置かれ、何を考え、それをどう変えてきたかというところにある。

当時、女性漫画家は、男性漫画家より低く見られ、原稿料も安かった。結婚するまでの腰掛仕事のように言われ、使い捨てのように扱われもした。

「24年組」と呼ばれる若手女性漫画家たちは、そんな「常識」を覆していく。竹宮さんは「男性編集者が女性漫画家たちに指示するのは、彼らが売れ筋と考える絵やストーリー。それは結局、男性に分かる範囲が決まっているということなんですよね」。その結果、ひとつヒット作が出ると、似たような作品がいっぱい出てくることになる。

そうした中、竹宮さんは、一つのアイデアを温め続けた。当時、少女マンガは、健康的な恋愛のみを描くよう編集者から要求された。「男女が出会ってハッピーエンドを迎えても、その先はない。あるいはいきなり『こんにちは赤ちゃん』みたいなファミリーものになっていた」(竹宮さん)。読者の少女たちもごまかしに気づき、精神的なものだけでなく肉体的なものも描いてほしい、と言う。だが、一方で露骨な肉体的な表現は嫌がる。

複雑な少女の心にどう応えたらいいのだろうか……。竹宮さんは、少女の代わりに美しい少年同士の物語として描けば、生々しくならず、少女たちに受け入れられる、と考える。「少女マンガのテーマってやはり愛でしょ、と言われますが、そうであるなら私にはこの表現しかない」。それを結実させたのが、『風と木の詩』だ。

hontoのアンケートでBLを読みたくなるのは「リフレッシュ/ストレス発散したいとき」という答えが多数を占めたが、元祖BLは、悩み苦しんだ中から生まれたのだ。

『風と木の詩』は大ヒットし、少女マンガにはこういう需要があると、出版社も男性編集者も気づく。78年には女性の目から見た男性同士の愛を描いた耽美派雑誌「June」(マガジン・マガジン)も創刊され、竹宮さんはこの雑誌の表紙絵を担当する。BL市場が生まれ始める。

『風と木の詩』について、京大教授や文化庁長官などを歴任した心理学者・河合隼雄さんは「思春期の少女の内的世界をここまで表現した作品は、おそらくなかったのではないか」と新聞へ寄稿した。文化人たちのこうした評価を得て、苦闘の末に生み出されたBLは、マンガの表現形態のひとつとなり、今なお発展を続け、現在のブームを生む。

竹宮さんは、少年同士の愛という新たな表現手段で、少女たちの思いに応えたわけだが、ご本人は、現在のようなBLブームが起きようとは想像すらしていなかったという。「こんなふうに開けると全然思っていなかったので、意外中の意外。隔世の感があります」と語る。