【竹宮恵子のファンシー・ライフ:大浦和彦】
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クエスト1977年11月号
発行日:1977年11月01日
発行所:小学館
「クエスト1977年11月号」115-124ページ
白鳥の悲しみを秘めて
●竹宮恵子のファンシー・ライフ
文・大浦和彦
写真・菊池武範
(図版に続いてテキスト抽出あり)
白鳥の悲しみを秘めて
●竹宮恵子のファンシー・ライフ
文・大浦和彦
写真・菊池武範
小悪魔の恥じらい
新感覚派という。ゴシックロマンともいう。しかし、竹宮恵子には、少女コミック界の小悪魔というレッテルが、いちばんふさわしいかもしれない。
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夏のまっ盛りから半月以上続いていた雨が、その日は止んだ。 破れた灰色の雲の向こうに、輝く夏の青があった。小悪魔が現し身をさらすにふさわしい青と光だった。悪魔に濁りは似合わない。いじけて貧弱になる。
千人以上の少女が集まっていた。そこは、都心のデパートの屋上で空に近かったので、少女たちは、屋上に設けられたステージを見るか、空を見上げるほかは、することがなかった。しかし、空をふりあおぐ者はいない。からのステージを満たす者が出現する瞬間を待って、輝きながら息を殺していた。
ちょっと歓声がもれた。ステージに一人現われたからだ。だが司会者であると悟ると、軽率にもれた声は、たちまちひっこめられた。沈黙の前で、司会の男の小太りの体が滑稽に浮き上がって見えたが、男はひるむことなく、職業の声をはり上げた。
「少女コミック界、最後の大物独身が、故プレスリーをしのぐ衣装で登場します」
大きな笑い声が起こった。苦笑の波だった。司会者は、少女たちが待っているのが、独身女性やプレスリーではなく、小さな悪魔であることを知らなかったのだ。司会者の手に導かれて、白いウェディングドレスに似た衣装を着た女が、ステージの中央に立った。
今度は、驚きと賛嘆の声が、千人の少女たちの口から飛び出した。悪魔にウェディングドレス。竹宮恵子は、悪魔の演出法を知っている。ステージを満たすように柔らかい純白の衣装が羽を広げ、その中で、竹宮恵子は少年のように笑った。
「こんなに大勢集まっていただいて、感激です。うれしいです」
短かった。内容もおきまりのものだったが、とぎれとぎれのことばが、今日は、精一杯、お返ししたいという気持ちを伝えていた。少なくとも、少女たちは、そう受け取ったに違いない。力のこもった拍手が返されていた。
プログラムによると、お返しは、質問に答え、ファンの描いたイラストにアドバイスを与え、原画を譲り、自著にサインをすることになっている。しかし、そんなことより、ファンの前に姿を見せていることが、いちばんのお返しだろう。千人の二千個の肉眼にとらえられた竹宮恵子……。
ある感慨を覚えた。 竹宮恵子は、マンガを描き出してから少なくとも一〇年間は、マンガは人に見せるものではない、マンガを描くなんて、恥ずかしい行為だと思っていたのだ。
ひらかれた扉
それは、最初に竹宮恵子に会った日だった。仕事部屋の、いつも編集者が原稿待ちをする椅子に腰かけていた。仕事中のスタイルというホットパンツをはいた竹宮恵子は、じゅうたんに足を投げ出していた。四人のアシスタントは、寺子屋にあるような長机に顔を押しつけ、忙しく手を動かしていた。ただ一人、訪問者の男は高い位置にいて、やたらに目につく女の腕と足が、ここに存在する由縁、つまり、マンガ家竹宮恵子の誕生を聞いていたのだ。
「腕を回す瞬間とか、足を上げる瞬間とかに思想があると思うんです。口でいう説得なんて、瞬間の動きの重さに比べたら、なにほどのこともないと思います」
マンガの人物の操作権は描き手にある。どのように操作するかは、描き手の思想である。しかし、これは、今の彼女の考えである。竹宮恵子が、幼稚園のころから、こっそりとマンガを描き続けてきたのは、現実とは違った、もう 一つの世界を思いのままに見られるという単純な楽しみだった。彼女は、心の中の欲望を素直に出していた、という表現をした。自分の欲望を他人に見せることは、恥ずかしいことである。人知れず欲望を果たすのは、恥ずかしい行 為である。その恥の感覚が周囲に障壁をつくり、さらに閉じこめられた中での秘密の楽しみが欲望を持続させるという循環が一〇年間続いた。
描くのは自分。読者も自分だった。ときたま、楽しみが自分一人でもちきれないほど大きくなると、親友に、昨日見た映画のストーリーと偽り、それを見せた。
親友ばかりでなく、未知の人にも見せてもいいんだと、竹宮恵子を障壁の中からひっぱり出したのは、石森章太郎だった。高校に入ったとき、ふと手にした石森の『マンガ家入門』である。竹宮恵子は、一節をそらんじてみせた。
「マンガは総合芸術であって、それがたった一人でできるんだから、最高ではないか。……自分の好きなものが、そんなに堂々といわれていたんで、バンザイという感じでした」
マンガ観が一八〇度変わった。
「同じ人物を何コマも描くのは大変なんです。自分のためだけの表現だったら、もっと直截な方法があるのに、その大変な作業をあえて続けてきたのは、他人にメッセージしたい意識があったからだと気づいたんです」
恥の感覚は消えたわけだが、それですぐ、マンガ家の門をくぐったわけではない。新たに職業の恐れが生まれた。安全弁として教師の資格を得るために、大学の美術学科に入った。しかし、そこでは、自分は動くことが好きなのだということを改めて教えられただけである。デッサンをしても、マンガのバランスになる。タブローのように収める ことには、どうしても耐えられない。何よりも、好きなマンガを描きたいという意志をとどめておくことはできなかった。大学を中退して、彼女は上京する。
「悲壮感なんてなかった。南国徳島の風土のせいでしょうか、やってみてから考えようではないか、絶対に手直しはきくんだという気がありました。攻撃型なんです」
光と影のアラベスク
ステージでは、竹宮恵子が質問攻めにあっていた。ほとんどの質問が、現在進行中の『風と木の詩』についてだった。みんな、『風と木の詩』が、竹宮恵子の世界の極点であることを知っているのだ。ドウセイアイということばが、何度も白日のもとでとびかったが、それは、学術用語のように乾いた響きをもっていて、ひわいな笑いや照れかくしの笑いも起こらない。少女たちは、講義を受けている学生のように、まじめにステージを見上げていた。前にいた二人の少女が、サド、フロイトを連発してやり合っていた。
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「ジュネですね。女が描いたジュネの世界」といったら、竹宮恵子は、ジュネの本を読んだことがないから、わからないと答えた。
「片側だけを賛美するのではなく、明と暗、陰と陽の境目に立っていて、中庸ではなくて、時に応じて、どちらにも立てる人物が、自分の理想で、それを求めて描いているんです。でも、この世界は、入り出したらきりがないんです」
一方通行の恋が、一本の小刀による死でしか成就しない 『サンルームにて』のエトアールとセルジュ。鏡でしか見られない自分を現実に見つける『20の昼と夜』の双子のセネカとルオー。悪と正義が無理心中によって一つに収まる『スター』のボビーとアニー。逆に、一人の人間が神父とギャンに変身する『ウェディング・ライセン ス」のリバティ・バランス。そして『風と木の詩』のジルベールとセルジュ。すべての物語が、欲望の葛藤である。二人の少年が一人に、あるいは、一人の少年が二人になるために行き来するときに渡る境に、同性愛、裏切り、近親相姦、強姦の手続きがとられる。 物語では美少年に化粧しているが、すべて一人の人間の心の凹凸が出会い、せめぎ合い、反発し合いながら、いつかかみ合う至福を願う、愛の教養物語、魂の彷徨譚と思える。片方が複雑で重くなれば、かみ合う相手も、複雑で重くならなければならない。
竹宮恵子が、くり返し二人の少年を登場させて物語るのは、この天びんに似た仕かけが、自分の欲望、魂の凹凸を、より深く見つめていくのに適していると思っているからではないだろうか。
「足を突っこんだら無限地獄なんですが、このごろ、昔、秘密に描いていたものに近づいていくような気がしているんです」
秘密だからこそ、心の中の欲望を素直に出せた、と彼女はいった。あの一人の読者のために描いていた世界に、今度は、多くの読者を連れて帰ろうとしている。
「技術でカバーできるようになって、確かに世界は複雑になっているんですが、そんな気がするんです」
それでは、プロになって一〇年間の引き算の答えが、自分を表現する技術だけということにならないだろうか。
少女たちの起爆剤になりたい
ステージに、まっ白なパネルが四つ運びこまれた。イラストの技術指導が始まるのだ。ステージに上がった四人の中に、少年が一人いた。初めから少女ファンばかりと決めこんでいたのだが、改めて捜してみると、少女たちにはさまれて、かなりの数の少年がいる。グループ連れの少女たちの陰に、ぽとりと落とされたように、少年がいるのだ。
なぜ、少女だけと、決めこんでいたのだろう。竹宮恵子の世界が、一人の人間の欲望の葛藤であるならば、少年の愛読者がいてもおかしくはない。まだ、少女マンガの“様式”を完全には理解していなかったのだ。
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少女マンガに、容易に男性が入っていけない理由を挙げたら、竹宮恵子は、様式をもち出して説得したのだ。
いくら女が行動するより見る動物だからといって、登場人物がみんな目をパッチリ見開いて星を宿していては、だれがだれだかわからなくなる。ほとんど必然性のない場面に花が咲き乱れ、ひどいときには、花の中に人物が埋もれている。どうして舞台が外国なんだ。主要人物は何回も出てくるので字面でわかるが、地名や建物の名前、脇役の名前は、出るたびに立ちどまって読まなくてはならない。要するに、マンガのすばらしさは、読者が読むスピードを自由にコントロールできるところにあるのに、少女マンガは、あまりにも障害物が多すぎるといい立てたわけである。マンガは、見開きの右上と左下のシーンをさっと目でとらえ、残りをS字形になぞるという超スピードの読み方をしても充分にメッセージが伝わるメディアなのである。
「描くほうからいえば、花はどんな空間も埋められるし、知らない場所を舞台にすれば、制約を受けずに自由に創作できる。便利なんです」といって、竹宮恵子は笑った。
「人工でも、リアリティがあれば問題ないと思います」
そして、あれは、痛快だったと、一つのエピソードを語った。『ファラオの墓』で、勝手に「エスペリア戦記」をつくりあげたのだが、図書館から、出版元の問い合わせがあったというのである。その本を、図書館に借りに行った読者がいたのである。どうも、リアルはリアリティと思いこんでいるのは、目が貧しいということらしい。
「歌舞伎の役者の目や定まった所作に文句をいう人はいないでしょ。むしろ、決まった様式があれば、表現したいことに全力が注げるんではないかしら」
様式ならば、主役は少年でなくてもいいのではないか。少年にするというのは、読者の少女を意識しているからではないか。その意識が、男性には拒否の意志と感じられないだろうか。意地悪く追及すると、突然、彼女はいったのだ。
「わたしは、少女たちの起爆剤になりたいんです」
そして、唐突な宣言を恥じるように説明した。女性は、欲望についても、愛についても、大きく考えられないから、少女を主人公にしては、自分の世界はつくれない。しかし、読者の少女の頭はまだ柔らかいから、自分の作品を、ものを考え、見つめる材料として受け入れてくれるに違いない。それは、期待というよりも、同性に対する使命感のように聞こえた。
「わたしは、マンガにプラトニックラブしている。プラトニックラブ、つまり精神の孕みです。作品が子どもで、その子どもが、また読者を孕むというわけです」
とすれば、無数の未知に向けてひかれた回路に流された竹宮恵子の種が、どこに流れつくか、わからない。また、どのように結実するかもわからない。回路の先に少年がいて、彼女の期待と違った実をもつかもしれない。そして、ふと思った。この会場に来た孫たちは、結実させようとする実の中心にある作者の像と、実像をどうしても重ねてみたかったのではないか。ぴったり合わなくてもいい。ずれは自分のつくろうとしている世界を検証する手助けになる。受講生のようにまじめな会場の雰囲気が、そう信じさせてくれたのだが……。
白鳥は飛んだか
二千円から始まって、たちまち五千円にはねあがった。原画のオークションが始まると、まじめな受講生が、少女歌劇のファンに変わった。一枚の原画が、スターのように、いくつもの手に求められる。結局、八千円で買われた。っておけば、まだまだ値は上 がったのだが、彼女がとめたのだ。
四万円でも買ったのにと、周囲の少女たちに不平を述べたてている少女がいた。聞いててみると、その少女は、朝の四時に、このデパートの入り口に来ていたという。なぜ、そんなに熱心なのだと尋ねると、自分たちの熱意が、先生の自由を確保するからという。固定したファンがいれば、出版社も、口出しできないでしょ。
「タレントではないと思う」
ふと、竹宮恵子のことばが思い浮かんだ。
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二度目に会ったときだった。その日は、仕事場のすぐ近くにある、彼女の“お住まい”だった。案内しながら、彼女は仕事部屋で疲れればそのまま寝るという生活で、お住まいといっても、ほとんど住んでいないんですといって笑った。
ドアを開けると、猫が突進してきて、彼女の足にとびついた。確かに、愛撫に飢えていた。そういえば、テーブルも椅子も、ベッドも、部屋の主を待っていたように見える。
マンガのオリジナリティについて話した。彼女は、マンガは形の上からいえば複製だが、一人、一人の読者にとっては、オリジナルであるといった。読者は、それぞれの環境や経験で、異なった受け取り方をするからというのである。
それならば、作者は、頁の向こうに隠れていたほうがいいのではないか。顔を見せれば、どうしても作中の人物に作者の顔が投影されて、読者の想像力を干渉するのではないか、と問い返したときだった。
「わたしは、タレントではないと思う」
といったのだ。出版社は、少女マンガ家はタレントでもあるというが、自分がファンの前に姿を現わすのは、そのためではない。自分は、ファンとキャッチボールをしたいのだ。作品としてファンに投げたものが、どのように返されてくるか、体で受けとりたいのだ……と。
作中と現実の世界をも行き来する魂の彷徨ということだ ろうか。そういうと、彼女は、プラトニックラブの厳しさですといって、恋人を失った事件を話した。作品世界のほうがすぐれていたために、現実の恋が棄てられたということらしい。
「いつも崖っぷちにいる。執念です」
キツイナと思った。
「白鳥は悲しからずや、という歌を知っていますか」
うなずくと、後をうたった。
「海の青、空の青にもそまずただよう」
サイン会が終わった。千人のファン、それも一人で四、五冊の本をもっているものもいたので、二時間かかった。
今、竹宮恵子は、ステージの前に出て、ファンと握手をしていた。白いウェディングドレスに身をつつんだ彼女は、腰をかがめ、手を伸ばしている。その姿は、餌をついばみに降り立った白鳥のように見える。それとも、飛び立とう としている白鳥だろうか。
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総合芸術情報クエスト1977年11月号】