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【特別座談会 少女SFマンガって何?】


少女SFマンガ競作大全集
人気SF作家13名による競作短編集
出版社:東京三世社
発行日:1978年11月25日


資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164452...


「少女SFマンガ競作大全集」197-203ページ
特別座談会 少女SFマンガって何?
司会:中島梓
出席者:竹宮恵子、永井豪、花郁悠紀子、桑田次郎
(図版に続いてテキスト抽出あり)









ほんじゃま、豪ちゃんからいく?

永井 SFマンガを描いた動機といわれても、手塚治虫で育った世代だから。石森先生のとこで勉強しようとアシスタントになりましたから、その影響も……。

中島 竹宮さんも石森先生の影響というのはかなり大きい?

竹宮 そうですね、かなり露骨に表われてるんじゃないかと……。

中島 花郁さんはどうなのかな。

竹宮 世代的にもひとつ違うというか……もうひとつ後なんです。

中島 要するに彼らは既に完成品というか、上の方に輝いていた。

竹宮 永井さんがアシスタントチーフやってた頃に私はちらちら顔を出し始めて、自分で勝手に弟子だといって。(笑)

永井 みんな、自己紹介程度のものしか持ちこんでこないのに、彼女は3枚ぐらいドカッと。すごいよーと、言ってね、で、どんな人かと思ったらわりと小柄で、(笑) どこにあんな力があるのかと。

竹宮 あの頃石森先生とこに泊めていただいて夜遊びしてて、(笑)で、親切にも付近に痴漢が出るよと教えてくれるんだけど、それは何と石森邸の人で、女の人追っかけた前科のある人がいっぱいいた。(笑)

永井 桑田さんは初期からSFを?

桑田 ええ手塚さんの影響がありましたしね。SFといえるかどうかわからないけど、自分ではそのつもりで

中島 花郁さんはそういう時期は? 石森先生に値するような。

花郁 私、実はマンガ描き始めたのは、わたなべまさこ先生の影響 で、だいたいみんな手塚学校と石森学校にわかれるんだけど、私はわたなべ女学院。(笑)

竹宮 あの頃SF仕立てのマンガはけっこう多かったですね。それが一時低迷したという感じで「巨人の星」のせいじゃない?

永井 そう、あれのせいでSFはどっか飛ばされちゃった。(笑)

中島 でもその後で、質が高くなったでしょ一度低迷してから。

竹宮 ええ、ドラマ性を越えなきゃならないから。子供だましではいけなくなった。


ずるいよォ、筆舌につくしてくれ

永井 最近SFの分類がわかんなくなりましたね。現実がどんどんSFの世界に入りこんでくる。

花郁 時代が先にいっちゃうんですね。試験管ベビーとか……。

中島 つまり人類が月に到達したことで、ひとつのエポックがあったわけよ。

桑田 例えば、宇宙における生命の究極の問題となると、それを発展させていけば、宗教につながって、宗教の一部分をもSFにして扱わなきゃいけなくなる。

花郁 宗教とは最初からSFであるわけですよ。

中島 たいていの神話にはコスモロジーがあるでしょ。スペース・オペラの要素が確実にあるわけでSFファンからみると面白いの一言。要するに全智全能の神に直接つながってるんでしょう。

桑田 (うなずきながら) 悪魔の問題もやっぱりその次元になりますかね。それぞれ人間の内面が人格化されたものだから……。

中島 神、悪魔というものを、SFと宗教が扱うと象徴ではなくなる。宗教においては、血肉あるものであり、SFでは、それらがものを言う……という意味ですが。実体が出てくるんですよ。そこがSFというメディアの画期性だと思うんです。それがマンガ化されると、具体的に視覚化される。そういう意味で、マンガはSFにとって極めて適切なジャンル であり、非常に難しいとも言える。

桑田 絵に描くということは、三次元を二次元に表現するわけで、SFのイメージを広げていくと現実からはるかに越える次元のものを表現しなきゃいけないでしょ、それがえらい大変なことなんだな。多次元空間となると表現のしようがない。その代わり文章だったら可能……。

中島 いや、文章というのもまた適当で、何とも描けないものがあると「筆舌につくし難い」で終わらせちゃう。(笑)

永井 だけど、それなら読者が自分のイメージをふくらませることが可能だけど、マンガだと固定されちゃう。

桑田 でも「絵にも描けない美しさ」という言葉がある、(笑)

中島 乱歩には、「いまだかつて人間が見たこともない」とか「何とも言いようのない恐ろしいの」とかがメチャクチャ多い。マンガだと描くことによって少くとも筆舌につくされたと言えるでしょう。「デビルマン」の悪魔なんか見た時、へたに言葉で描写されるよりずっと、イマジネーションが広がったと私は感じた。

花郁 つまり描き手のイメージが読者のイメージを上まわっていたらいいんですよ。逆だったらガックリしちゃうけど。

永井 マンガの場合、すごくくやしいのは、活版でどうしても描けないものがあること。全ページ、カラーだったらもっと自分のイメージ伝えられると思うんですよ。この場面のこれは、絶対この色だ、という気持ちがあるんだから。一瞬に自分のイメージを他人に伝えられるマシンがあったらいいでしょうねえ。

中島 安易ですよ、それは。(笑) それをあえて描くということに表現メディアとしての面白味があるわけだから。


女たちよブラッドベリを越えよ!

桑田 最近、女性にSFファンが多くなったらしいけど、どうなんですかね。

中島 ま、たまたま、ここにいるのがそうだというだけかも……スター・ウォーズの観客にしても、女性の絶対数は非常に少なかった。二割程度じゃないかな。SF作家クラブで女性が三人しかいない。そのうち二人はミステリーの翻訳者だし、絶対数からいっても少いんですよ。入っておかしくない人はごろごろいるけど。

花郁 手段がみつからないんじゃないですか。例えば少女マンガを描こうとする人が、目の前に恋愛小說とSF小説があった場合、おそらく前者をとるでしょう。SFをとる! という人は少ない。だから映画なり、マンガなりで慣れておくと、とっかかりがみつかりやすい。

中島 女性にとって受け入れやすい形となると……。

竹宮 ハードなものがだめなんでしょうね。ファンタジーならいいというか、ブラッドベリでとまっちゃう。

中島 ブラッドベリでとまる、ファンタジーでとまる、と言っても、じゃあ、ジョージ=マクドナルドへいくかというと、そうでもない。永遠にブラッドベリ、つまり入口にずっととまったまま。

竹宮 ブラッドベリには最初から退屈していた。

桑田 少女雑誌の中にSFは増えてるんですか。

中島 ええもう、すごく増えてます。昔に比べれば。

桑田 女性の中に理解者が増えたということですか?

中島 描き手に出てきて、それを強引に読ませてる段階かも知れませんね。それでファンを増やそうと。花郁さんはファンタジーとハードの割合をご自分の作品においては、どれくらいと思いますか?

花郁 私はもうファンタジーです。読むものはハードですが、画力と構成力があればハードにしますよ。そっちの方が好きなんだから。

中島 ファンタジーの伝統は少女マンガに昔からありましたね。

花郁 羽を生やせばファンタジーと。 (笑)

竹宮 私はとうてい羽なんか生やせませんね。現実の話のなかに飾りとしてそういう発想をつけ加えるのならともかく……。

中島 ファンタジーは強靱な精神力のたまものだと言えませんか? 繊細でデリケートというよりも。いっさい現実を拒否した形で自分の見たものだけが現実じゃ! というぐあいに。

花郁 それは性格でどうにでもなる。

中島 なるほど。(笑) 桑田さん、 SF小説は?

桑田 字を読み始めると、他のものに手が回らなくなっちゃうんですよ。で、この物語はオレに合わないと言ってやめる。 (笑)

中島 昔から桑田さんは徹底して男性路線でしたね。女性は軽視されてるとゆうか。

桑田 いや神秘化しちゃうんです
竹宮  ハードなんですね。(笑)


ムフフ…誰が色男だっていうの?

中島 土気を高めるために、女性を飾り物にしている。

竹宮 あら、アクセサリーやアイドルでいいじゃないですか。私そういうの好きだわ。(笑) SFに女性出すの難しいですもの。

花郁 私は、SFになると男と女の区別つかなくなって、人間としてどういうポストを与えるかという方が重要です。女はアクセサリーと言いましたが、概してSFマンガに登場する女は、驚く程頭の悪い女ですね。(爆笑) 。

中島 今でも印象に残っているのは「スーパージェッター」のカオさん。”キャーッ、ジェッタークーン”と言うばかり。(笑)

竹宮 その割に出しゃばるのね。

中島 事件のおこし役というか。

花郁 必ず妙なところでキャーッと。 (笑)

竹宮 永井さんでは逆ですね。強い女性ばかり。

花郁 男の方で、女性をあんなにりりしく描く方は他にはいないんじゃないですか?

中島 永井さんのなかで、ああいうアマゾネスのイメージというのは?

永井 あのう……動かしやすいというか、男を主人公にすると色男にしすぎちゃう。だから男は脇に置いてた方がいい。

中島 永井さんはどちらに感情移入するんですか?

永井 いやなんでも感情移入しちゃいます。

桑田 描いてる人の性質によって描いてるものと自分とのつながりが微妙に変わってくる。時々、自分がどこに表われているのか、わからなくなっちゃいますがね。

花郁 あるマンガ家は「私は絶対主人公に感情移入しない」と言ってますが……。

桑田 主人公に限らない時はありえますが、でも何かの形でね。

花郁 むしろストーリーやイメージ中心に描いていると、キャラクターへの感情移入の比重が軽くなると……。

桑田 つまり物語をつくる時に、自分の主観中心か、客観中心かということで変わってきますね。

中島 私はマンガ家じゃないから小説に限っていえば、小説の場合感情移入する対象は全くひとりなんですよ。視点がひとつに限られちゃいますからね。だから最初にどの人が自分か、ということをはっきりさせとかないと。マンガではカメラみたいに一度にみんなバッと写すからうらやましい。

竹宮 みんないっしょくたになっちゃって……(笑)

花郁 全部に感情移入するといっても、それはすべて、結局のところ自分から派生しているわけですから。

桑田 そうね。自分の心の中にいろいろなものがあるんだから、それが絵になったり、物語になると、人格となって表われるんだ。

永井 性格を定めて描くと、あとで矛盾が出てくる。「こいつはこんな場面でこんなセリフ言えるはずがない」と。(笑)

竹宮 私は先を決めないから。

永井 そうですね。竹宮さんは、だから発展性が非常にあるけれど、どうやってまとめるんだろうと心配になる。(笑)


茶かし茶かされタイムマシーン…

桑田 僕の原作者の平井さんと話をしていて、タイムマシンのことに話題が及んだ時、未来に行くタイムマシンは可能だとしても、過去へ行くことは絶対不可能だという結論になった。もしそれができたとしたら、我々はすでに未来との接触をしてるはずなんですよ。過去において、その事実が無いとなると、そう考えるしかないでしょう。あるとしたら、多次元宇宙空間でもって説明するしかない。でもそれにしても、多次元の中の一次元とは接触しなきゃならないわけで……。

中島 安易にいくと、記憶消去装置がある (笑)

花郁 でも過去が変えられた瞬間に未来が変わっているわけで、それが現在のこの一瞬につながるのだから、結局現在の我々には認識できないことじゃないかと……。

中島 難かしくなってきた。(笑)

桑田 SFっていうのは、客観的に未来だとか先だとか、目を向いてる方向から発生してきたんでしょう。まずここに現実があり、横に次元を広げて、ちょっとずれたものが SFという風に。過去を遡れば宇宙の起源に至るわけで、そういう遠い過去までもSF。中心に現実があるとする。横、前後、斜めの世界からSFを派生させているんですね。

中島:それもひとつの段階ですね。これがSFという意識が書く側に出てきてから、SFというものが成立したわけですよ。

桑田 ま、ひとつの観念にすぎないのだから。

中島 それが今は、SFというのは”考え方”だというところで定着したようですね。こういうものの見方、思想がSFなんだという意識がある限り、何を書いてもいいんじゃないか。ファンタジーであろうと怪奇であろうと、それが横に広がったという感じを与えるんじゃないかと思います。

竹宮 SFを、サイエンス・フィクションと言わなきゃいいんですね。

桑田 語源そのものに執着することもないんですね。

中島 ものの見方なんですよ。現実のことそっくりそのまま書いてもSFになりうるんですよ。対象を全く新しく違った目でとらえる限り。例えばエスカレーターはデパートにあるものじゃなく、自動走路であると。そういう発想するところにSFがあった。だから何も未来や宇宙を描かなくてもいい。スペース・オペラであろうと、ファンタジーであろうと本質 とは関係ない。


喚け喚け、ブームは終わった!と

中島 では最終的にSFブームについてはどう思いますか。と、いうことで……。

永井 作家は嘆いていますかね。 (笑)  当然なるべくしてなったと思います。基本的にSFは未来を想定して、その世界に近づいていくわけですが、現実を描いててもどんどん古くなってゆくから……SF描いてた方が作家生命長いんじゃないかと……(笑)。スター・ウォーズが日本でうけなかったから、SFブーム終わりという人がいますが。

中島 そういう人が一番困る。心ない人はSFブーム=スター・ウォーズブームだと。竹宮さんどうですか?

竹宮 私は……。

中島 つまりSF、少女マンガブームでしょ、その焦点にいるんですよ。あなたは。つまるところ、竹宮恵子ブームじゃないかと。

竹宮 えーっ、そんな! ひたすら逃げるわ、私。(笑)

桑田 昔、主人公が地球を離れちゃダメというジンクスがあってね。それから解放されたのは嬉しいですね。

中島 そうですね。みんな地球の側で戦ってる。

永井「マジンガーZ」でもいろいろやったけど、宇宙へ出てゆくとダメだった。

中島 そう全部宇宙から襲来の形をとるの。必ず地球へ来て「あの緑の星を手に入れよ!」(笑)

桑田 あの美しい星、なんて言ったって、生命体の条件にあっているのがいちばんいいのにね。

中島 地球絶対主義なんですね。スーパーマンやウルトラマンが他の惑星で生まれたとしても、必ず地球へ来て地球を守る。他の星守ろうなんて考え絶対おこさない。非常におかしな点で、つまり外に出す自信がないから地球を舞台にすることによってしかリアリティが出せない。
ペリー=ローダンなんかで感じたことは、これは拡大なんですよ。飛躍じゃない。まん中に地球があって、波紋が広がるようになっていくだけで。もう地球絶対主義以外の何物でもない。あれはホントにいかさまではないか。(笑)
ところで地球優先主義というのは、考えてみると全く白人の発想によるんですよ。黒人のSF作家なんてあまり聞かないし、SFがそもそも白人の書いたものである限り……。

花郁 最近、中国でSFが出たといって話題になりましたが……。

中島 話題になるくらいの段階なんですよ。

永井「猿の惑星」にしても、原作者が戦争中の日本軍に捕虜になった体験をつかってるというし。

中島 そういう意味で地球優先主義が白人優先主義から出てくると思うんですよ。

花郁 結局、選民思想というか。

中島 花郁さん、何か語って下さい。ブームについて。

花郁 編集側がわかるようになってくれるのは嬉しい。今までだと「これはSFでなくとも描けるでしょう」と言われるんですね。ま、確かに描けるんですけど、SFだけにつきまとう感覚というのがあるでしょう。

桑田 そう、むしろこれだけだからSFにしなくちゃと思うのに、そうは見てくれないんだな。

花都 ま、今のブームが空さわぎで終わらなきゃいいけど。

中島 SFの場合、どの作品にも共通したSFの香りがある。それを好きになってくれたなら、ブームというのは、非常にいいわけでね。

桑田 SFが最初にブームになったのはやっぱりアメリカですか?

中島 そうですね。アメリカのがいちばん面白い。

桑田 それは衰えることなく続いてるんですか。発展するとすれば、日本においても希望的観測が持てますね。

中島 衰えるということはないんですよ。SFファンというのはブームであろうとなかろうと好きですからね。SFファンでない人が ”ブームが終わった!”とわめかないでいててくれればいいわけでして……。

竹宮 もう、そろそろわめかれてんじゃない?(爆笑)

(終)


爆笑につぐ爆笑の座談会、笑い疲れました……

今回の座談会は「地球へ…」 「風と木の詩」などで、少女マンガ界を湧かせている竹宮恵子さん、「フェネラ」で確実にファンを掴んだ花郁悠紀子さん、そして女性軍を迎え撃つのは、永井豪さんと桑田次郎さん。それぞれ「デビルマン」や「エイトマン」であまりにもおなじみの両氏です。
司会役は、マンガに関することなら知らないものはない、という中島梓さんにお願いしました。
SFブームが巷の話題を席巻した感がある今日、少女マンガにも漸新な作品が続々登場してきたことは喜ばしい限りです。
紙面の都合により、座談会の全貌を明らかにできないのが、なにより口惜しいことではありますが、お忙しい中を、お集りいただいた各氏に厚く御礼申し上げると共に、今後いっそうのご活躍をお祈り致します。
編集部