5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【竹宮惠子のマンガ教室】250-252ページ

発行日:2001年06月20日
出版社:筑摩書房



大泉サロンと“花の24年組”

花の24年組”は自分たちで言い始めた

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ーー大島弓子さんはどうなんですか? 大島さんと竹宮さんと萩尾さんって、三人セットで語られることが多いですよね?
竹宮 “24年組”というと、そう言われるんですが、大島さんとは別にその頃交流があったわけではなかったんです。ちょっと電話で話したりしたことはあるんですけれども、ほとんどつながってはいなかった。ただ世間が皆“花の24年組”という言葉を使い始めた時に、大島さんを含めて言うようになってきちゃった。それこそムーブメントだから、それはそれでいいんですけれど。
 でも“花の24年組”というのはもともと私たちが言い始めたことなんですよ。

ーーえっ!? そうなんですか!?
竹宮 ええ、そうなんです(笑)。それはもともと増山さんが言い始めたんだと思います。「だって考えたら24年組だよね、みんな」って。ほんというと私と増山さんは早生まれだから、昭和25年生まれなんですけど、まあ、いいか24年で(笑)なんて。その頃、まわりには木原さんとかちょっと年上の人とかもいたので、平均をとるとそのへんがいいんじゃないかと。「言い方としても美しいしさあ」ということで自分たちで言い始めたんです。

ーーその頃の“花の24年組”というと竹宮さんたちの認識には誰が入っていたんですか?
竹宮 岸祐子さんとか、そういう同世代のマンガ家さんたち。ちょっと毛色は違うけど、牧野和子さんとか、平田真紀子さんとか。なんかもう自分でマンガ家さんたちを呼び集めるという感じで『少女コミック』それから『別冊少女コミック』に全部私が声かけて引っ張ってきちゃった。「おいでよ、おいでよ」って(笑)。たくさんそういう人がいたほうが、ムーブメントにはなるから。

ーーそういう人ってどういう人ですか?
竹宮 まだ若くて、でも何か連動して新しい動きを作りたいと思う作家は一緒の場所にいないと。「私たちだって、読みたい作品が三本は載ってなかったら雑誌なんて買わないじゃない」とか言って。私たちはまだ、私たちの作品一本で雑誌を売ることはできないけど、ある雰囲気でまとまっていれば買ってくれるんじゃないかと思ったんです。上原きみ子さんなら彼女の作品だけでも雑誌が売れるかもしれないけど、私たちはまだ、そういう存在になれないから、「みんなでまとまろうよ」みたいな気持ちがあった。

ーーそれでみんな『少女コミック』に?
竹宮 牧野和子さんは、もともと講談社ですよね。それを「おいでよ、おいでよ」とこっちへ引っ張ったので、編集者から「ゴッドファーザーしないでくださいよ」って言われたこともあります(笑)。

ーーそのとき声をかける規準ってなんですか?
竹宮 作風は問わず、元気があれば。牧野和子さんは私とは違うタイプの人だと思うんですけれども、私は、力のある人なら誰でもいいと思っていた。作品の種類を問うような問題じゃない、と。ムーブメントというのはそういうものではない、作品の傾向で集めるもんじゃない、と思ってたから。

ーー「元気がいい」というのは、作品の中になにか新しさがあるということですか?
竹宮 見ている方向が新しいということです。
 この間、文庫の解説を書かせていただいてすごく思ったんですけど、極端に言えば、上原きみ子さんだって、作品は一見すごく昔のパターンで、不幸な少女ががんばって幸せになるという話なんだけれども、主人公がすごく意志的にがんばってるんですよね。彼女の主人公は非常にしたたかな強い女性。だから一面では、女の子の強さを表す作品といってもいいかもしれない。

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