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【竹宮惠子・増山のりえ:スペシャル対談】1997年04月23日

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創美社コミックス
音楽漫画共作集「ウィーン協奏曲」
竹宮惠子 増山のりえ
発行所:創美社
発売元:集英社
発売日:1997年04月23日






竹宮惠子・増山のりえ:スペシャル対談
音楽漫画共作集「ウィーン協奏曲」294-301ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)






増山のりえ
1月29日東京都生まれ。水瓶座B型。
竹宮惠子プロダクションのプロデューサー・ディレクターを15年間務めた後独立。
書評・映画評・音楽評論活動のかたわら、小説家として活躍(筆名・のりすはーぜ)。
主な著書に『神の子羊・全3巻』(光風社出版)、『永遠の少年』(角川書店)、
増山のりえプロデュース作品は『アリスブック・全2巻』(新潮社)、『少女風雅』(徳間書店)がある。

竹宮惠子
2月13日徳島県生まれ。水瓶座B型。
昭和44年『リンゴの罪』(週刊マーガレット)でデビュー。
以後、週刊・別冊少女コミックなどで幅広く活躍。
代表作に「空がすき!」、「変奏曲」シリーズ、
第25回小学館漫画賞を受賞した『風と木の詩』、『地球へ…』などがある。


──出会った頃のことをお聞かせください。

竹宮 私が駆け出しの頃に講談社で連載をしていた時、萩尾望都さんと知り合って、友達になったんです。それで、萩尾さんと増山さんが文通していて……。

増山 萩尾さんは九州の人で、九州と東京でペンフレンドしていたんです。

竹宮 その頃はまだ、東京に出てきたばかりで、西も東もわからないから、東京の漫画ファンなんているなら話してみたいなという気持ちで会ったんですよ。

増山 会った瞬間、私のことどう思いました?

竹宮 私の知らないことをいっぱい知ってる人って感じ。

増山 私は、この人のことを今でもそうですが、メチャおしゃれだと思ったんですよ。私のまわりは文学や映画には凝っても、ファッションは全然気にしないって連中ばかりだったので、強烈な印象がありました。

──音楽に関してはいかがだったんですか?

竹宮 基本的には全くといっていいほどに知らないんですよ。でも、聴いたらそれなりに、自分であれこれ言える耳は持っているつもりだから、全然恥じないの。

増山 私は18歳まではプロのピアニストになるべく、物心ついた時からずっと教育を受けてきたんです。それが20歳から漫画の世界に入っていったんです。私の高校は芸大予備校って言われるくらい、芸大に行く人が多い高校で、私もそのままコースに乗ってきたんですけど、中学生ぐらいの頃から、ピアノじゃないなっていうふわふわしたものが出てきて、その頃から親と大げんかするようになったんです。まあ、それでもなんだかんだいって20歳頃までピアノは弾いてましたね。

竹宮 彼女が音楽学校を受験するべく、練習をしているそばで、私、ネーム描いてましたから(笑)。



20歳の時に家出しました●増山
すみません。私が誘惑しました(笑)●竹宮


増山 ピアノが捨てきれないで迷っていましたが、結局、20歳の時に家出しました。親と決別して、竹宮の家に飛び込んだんです。

竹宮 すみません。私が誘惑しました(笑)。

増山 大泉サロンを出た頃には、この人はもう売れっ子で広いマンションに住んでいて、私ひとりくらい養えるというので転がり込みました。大泉サロンの頃はまだピアノを弾いてました。やっぱり、十年来勉強してくると、なかなか捨てきれなくて。そういうことで生まれてきたようなもんかな、『変奏曲』とか『ウィーン協奏曲』は。

竹宮 増山に出会って付き合い始めた頃、彼女はちゃんとしたストーリーのある話を持っていたんですね。どういう形で発表すべきか迷っていたらしくて。私なんかまだ自分の確たる話というのを持っていない。それで、ああこういうものを持ってるっていいな、こういう大きいものをいつか手がけたいって思って。だから、その話を聞いて、あまりにもおもしろいから描きたいと、私はかなりはっきりと表明していましたね。漫画で描くのが一番よと誘惑したのは私。

増山 私、この話を小学3年生から創っていたんですよ。中学3年生までに創ったのが『変奏曲』の第1部。第2部『カノン』は高校時代。最初から、エドナンもウォルフも名前やキャラクターは全部ありました。ただ、原稿用紙に書きつづっていたのではなく、イメージをノートに書きつけたという形だったんです。

竹宮 音楽的なエピソードの場合、練習はどこでやるの?とか、具体的にどういうところなのとか、何も写真や資料がないものですから、私は話だけ聞いて描く訳なんですよ。自分はそういったものの再現力に自信があったから、描けたんだって思います。

増山 竹宮惠子演出、増山のりえプロデュース作品です。結構、揉めたのが主人公の顔のイメージ。 試作のカットがあるんですよね。

竹宮 試し描きというか、今の顔になる変遷というか……。

増山 モデルは全然いないんですけど、私の頭の中には映画のように全てが存在しているので、ウォルフもエドナンもボブさんもこういう顔なんだってイメージがありますし、部屋などのイメージも全部あります。ただ、それを口で伝えるのがたいへん。私は絵が描けないから。

竹宮 ウォルフって本来、私の絵とは全然違うタイプだよね。

増山 私のイメージに近づけるために、ウォルフ、すごく苦労したね。

竹宮 それから、ボブは『吾輩は猫である』迷亭先生みたいな人だとか言われて……。

増山 そうなんです。 ボブさんは迷亭さんなんです。

竹宮 私はちょっと違うと思うな(笑)。 図々しい奴なんでどんどん変えちゃう。キャラクターとしてのアレンジはずいぶんしてます。エドナンは、どちらかというと私の得意なキャラ。ウォルフは当たりの時とそうじゃない時とあって。 ウォルフは『皇帝円舞曲』を描いて、ようやくわかったなって。エドナンの方は自信もって描いてましたね、最初から。

増山 私のイメージよりもずっときれいに描いてくれましたね、エドナンは。



あの時期は、野心がありましたからね●竹宮
出会った時は少年愛の「し」の字も知らなかったという……●増山


──『変奏曲』シリーズは、作品ごとに年代が入れ替わって描かれてますよね。

竹宮 どこから描くかは、ずいぶん考えたよね。だから、一番自分がわかりやすい部分から描きたかったこともあって、少年愛のショッキングなシーンからいこうかって……。あの時期は、野心がありましたからね。目を引きたいってつもりもあって、描いたんじゃないかな。でも、むしろあなたの方の野心だったんじゃないかと私は思うわ。

増山 そうですね(笑)。とにかく、モー様もケーコたんも出会った時は少年愛の「し」の字も知らなかったという……。 それで、このふたりに教えちゃえと思いましてね、教育したんです。このふたりに描いて欲しい、このふたりなら描けると思って、『車輪の下』とか『デミアン』とか『少年愛の美学』とか読んでいただきまして……。

──読者の反応はいかがでしたか?

増山 いい意味ですごかったですよ。待ってましたって感じで、熱烈に支持してくれましたね。一方で私は図々しくも『変奏曲』がクラシックの入門編になってくれたらと思ったんです。クラシックに怖じ気づいたり、わからないって言う人が多いでしょう。別に素直に聴いていいと思うんです。

──ウォルフとエドナンのふたりが初演するラロの『スペイン交響曲』のイメージは最初からあったんですか?

増山 小学生の頃から、ラロの『スペイン交響曲』が大好きだったんです。だから、一番肝心なシーンで弾かせたかった。『皇帝』も好きで、絶対にウォルフにはこの曲でデビューさせるんだ、という執着がありました。その場その場にあった曲は常に頭の中を流れていましたし、ここで何を弾かせようかじゃなく、ここで弾く曲はこれしかないという私の強引なイメージがありました。

竹宮 あなたの方に用意がない時は私が考えて。シャコンヌをすごいスピードで弾いちゃうっていうエピソードは私が決めたよね。

増山 そうだね、シャコンヌのところは。

竹宮 でも、交響曲の場合は、オーケストラを描かなきゃいけないから決めてくれないと困るじゃない、背景描くんだから。ファンから突っ込まれたこともありましたね。この曲だとハープはないんじゃないですかって。オーケストラってアシスタントが描くから、知らないでオケ全部描いちゃう(笑)。

増山 結構読者からの細かいチェック来ましたよね。あと、音楽を専門にしている人やエアメールのファンレターが届きました。海外で音楽を勉強している留学生からの熱烈なファンレター。『ウィーン協奏曲』の時、どうしてこんなに留学生の気持ちがわかるんだって手紙が来ましたね。だから、そういう人たちも納得してくれる話なんだ、よかったって。うれしかったです。

竹宮 ウォルフの心臓病についてもお医者さんにちゃんと伺いました。

──『変奏曲』シリーズはなぜ、同じエピソードが何度も描かれたんですか?

竹宮 増山はたぶん長い連載でやりたかったんじゃないかと思います。でも私は、連載じゃないと描けない『風と木の詩』という作品を抱えていたからできなかった。描き継いだ原因はやはりファンが多かったからじゃないですか。

増山 ファンの気持ちもあるし、一度ではとても描ききれないから、何度も何度も描いた。

竹宮 でも、連載がよかったのか、ああいう形がよかったのかは、今でもわかりませんね。



『カノン』は途中で切れているから……●竹宮
その先は私が小説で書くしかないよね●増山


──第2部の『カノン』については?

竹宮『カノン』は途中で切れているから……。

増山 その先は私が小説で書くしかないよね。私はあの先、ずーっと創ってあるんですよ。あそこで止まってないですよ。

竹宮 私の絵が変わっちゃったから。いまだにあの絵のまま描いてくれっていう人も多いんだけれど、やっぱり無理。昔の絵が描けないかというと、興味があれば描けるっていう気はするんですよ。でも、その時見ていた人にとっては違うもの。だから、むしろ描くべきじゃない。その作品のためだけに、その時だけ作る絵があって、その時に描き切ってしまわないといけないんですね。文章で書いた方がイメージで読めるから、あまり差がなくていいんじゃないかと思うんです。

増山 今、3年がかりで自分が書き下ろしている小説があるんです。まだ、決着ついてないんですけど。これがいわば『裏・変奏曲』みたいな話で、ふたりの少年ピアニストが葛藤する話。だから、この小説を『変奏曲』に似ている、いや、『カノン』と似ていると思う人も出てくると思います。

──他の作品についてはいかがでしょうか。

増山 そもそも共作の第一作は『ロベルティーノ』 ロベルティーノは’60年から’61年にかけて活躍した実在の少年歌手です。ラジオでやっていた子供の歌特集の番組を録音していたら、2曲いきなりロベルティーノという少年の歌が流れてきたんですよ。物凄く上手なカンツォーネで、ガーンって感じで惚れ込みまして。みんなに聴かせたんです。

竹宮 私と彼女が意気投合した発端は、ウィーン少年合唱団について意見が合ったことなんです。少年合唱とか少年の歌声については、こだわりがあって、探しだしてきてはこの子の声がいいとか言ってたんです。

増山 じゃあ、この少年をイメージして作品を一本創ってみようよと、ディスカッションしてキャラクターを創り、ストーリーを創りっていう共作を初めてやったんです。

竹宮 締切があるので、話し合いながら一晩で創っちゃうって感じで。割とそういうことって多かったですよね、後の時代も。

増山 これは本当に全くの偶然なんですけど、ロベルティーノはあの物語と同じような見出され方をしたらしいんです。だからロベルティーノを知ってる方は、知ってて描いたと思ったみたいです。でも、私たち、全く知らないで創った物語なんです。後から知って、こういうこともあるんだな〜と。ホントにビックリ。『ロベルティーノ』はそういう意味でも思い入れが深い。たった2曲のカンツォーネからできた話。あれが、ふたりでセッションしながら話が創れるんだと知った始まり。

竹宮 そうですね。 出来るかなとか疑いもしませんでした。恐れない。まあ、出来なかったら、その時はその時だと(笑)。

増山 こういう人なんですよ。私は違うんです。すごい心配症なんですよ。何でもきっちり準備して完璧にやらないとだめ。

──『ウィーン協奏曲』については?

増山 今まで『ウィーン協奏曲』の生島玲君という少年があまりにリアルなんで、ファンの方の大半が、実在する人物だと錯覚されるんですよ。で、夢を壊すのが悪くて言ったことなかったんですけど、今回、ここではっきり言っちゃいましょう。あれはモデルもいないし、全く架空の少年です。

竹宮 いまだに生島玲君によろしくって葉書が来る。

増山 私の夢とか音楽観を漫画にした、完璧に私のオリジナルです。 だから、玲君の顔から何から全部くっきりしていて、こういう顔なんだって描いて見せて(笑)。そんなカットが残っているんです。読者が一番感動してくれたのが「ぼくにとってはピアノが言葉。あなたにとってはまんがが言葉」というセリフ。自分にとってピアノは何かって考えた時、それは言葉だっていう、自分が積み上げてきた音楽観を彼にやらせたかったんです。自分がこうだったら、どんなに素敵だろうという理想のキャラクターで見果てぬ夢を……。これが何だかめちゃくちゃ好評だったんで続編描いたっていうのが『ノルディスカ奏鳴曲』ですけどね。ファンの皆さん、夢壊しちゃってすみません。全くのフィクションだったんですよ。

竹宮 漫画で育っている私がノンフィクションを描くなんて、全然思いつきもしないんですけど。

増山 でも、音楽だけは、そういうリアリテを出せるって自信があった。

竹宮 リアルってことがすごく重要だったから。

増山 それが読む人をドキドキさせるんじゃないかって。

竹宮 私はそういうことを言われてもわかんないっていうか。だから、はいはいって描いただけ(笑)。

増山 はいはいって描いただけですか(笑)。結構そういうことってやりましたよね。まるで本当にあるかのように装って描く。

竹宮 創作物になっているけれど、自分たちの体験だっていうことはたくさんあります。例えば『風木』の中で使った、セルジュが弾いてるピアノに合わせてジルベールが後ろで歌う、ピアノが歌っているかと思ったシーン。私が増山の練習に合わせてネームをやりながら歌っていたことがあったんですよ。そうしたら彼女が、ここのところ弾いていなかったから、ピアノが喜んで歌っていたのかと思ったって言ったんですよ。それを私がずーっと長いこと覚えていて、それをどこかで使いたいと……。そういう現実的じゃないこと、この人は割と平気で言っちゃう。



ケンカは本当に死ぬほどしました(笑)●増山


増山 今聞くとすごく恥ずかしい。『風木』読んでて、ジルベールのセリフに多かったのかな、このセリフどこかで私がしゃべったぞって。

竹宮 例えば、ケンカしている時のセリフね。私だったら思いつかないセリフが出てくるから(笑)。

増山 そう、ケンカのシーンのセリフが多かったですね。私、これ言ったぞって。驚いちゃいましたよ、読んでていきなり。でも、ケンカは本当に死ぬほどしました(笑)。

──『スター!』については?

増山 映画の『イヴの総て』、あれを御覧になれば重なるかと思うんです。あくまでのし上がっていく、それを少年版でやりたかったんです。

竹宮 私は『イヴの総て』を見ずに描いたのかもしれない。見ちゃうと真似みたいになるから。そうじゃなくて、もっと自由な発想で創ろうってことで。

増山 その時は大筋だけ話して、ディスカッションして。

竹宮 こんな感じかなって。で、ラストは心中で締めたかったもんだから。

増山 あのニュアンスはね。私はああいうラストを創らない。

竹宮 暗い話ですよね。正義が勝つ話じゃないから。しかも、正義であるべき人が相手を殺して終わる。妙な暗さっていうのは私の方が堂々と出せるタイプだったんですよ。私は割とあっと言わせることが好き。

増山 大胆不敵でございました。 昔から……。

──『ワン・ノート・サンバ』については?

増山 これも結構、びっくりされたり、がっかりされたりするかもしれないけど。これはモデルがいて……トシちゃんとマッチなんです。

竹宮 私たちが好きだったのを知ってる人なら気づいたかもしれませんね。

増山 トシちゃんと個人的に仲良くなって、「23、4になったのにかわいらしくアイドルしてなくちゃならない」という苦悩を彼が話してくれたことがあったんです。アイドルがここまで苦悩するのかと私は感動したんです。

竹宮 ふーん、それで描いた話? フフフフ……。何ですかね。

──『変奏曲』シリーズの新しいファン、若いファンの反応は?

竹宮 なかなか聞けないですね。連載について手紙をいただくことはあっても、気おくれしちゃうのかなって感じで。まあ、そういう人たちに聞くと、リアルタイムで読みたかったって言いますね。

増山 作家の方も受け取る読者も熱気に満ちた、少女漫画華やかなりし時代ね。やっぱりあれは対等じゃないと成り立ちませんから。双方で直球を投げ合ってないと、作家がどんないいもの出したって、読者がそっぽを向いちゃうと、それは認めてもらえずに、なくなっちゃいますしね。だからあの作者からの豪速球を読者が受け止めたのは、読者も偉かったと思う。

竹宮 逆に、十代の頃、横目で見ながら通り過ぎてきて、20歳を過ぎてからようやく読めましたっていう人もいましたね。

増山 当時は少年愛が出てくるから悪い本だと思ってたとかね。読んでみたらいいじゃないかってね(笑)。女の子って保守的よね。

竹宮 私は全然抵抗なかったから。知識として、成り行きとして、これはあるべきじゃないかって思って、単純に描いただけなんですけどね。

増山 妙なバランスで創ってましたね。徹底的にアバンギャルドな人と、徹底的に保守的な人間とが、ケンカしながら創ってた。

竹宮 私がやり過ぎて止められるってことの方が多かった。

増山 この人、本当に大胆な構図で。根がおおらかだと思うんです。でも、保守の目から見ると、それはちょっとーみたいな(笑)。だから、私が止めちゃいましたね。そういうところが、ぱあっとあけっぴろげな人。

竹宮 それを描いて売ろうって気分じゃないんですよ。ただ、あけっぴろげなだけ。

増山 当時、原作者を持つのはいけないって傾向が強かったから……。編集さんには、もう増山さん、名前出してもいいんじゃないですかって言われたんですけど、名前を出して竹宮惠子の評価が下がるっていうのは、私の方が我慢ならないので。

竹宮 私は全然気にしないんですけど。私だけが責任取るのはいや。半分取ってくれたら楽だなって(笑)。

増山 でも、実は共著なんですってことをどこかでまとめたいという願いがあったんです。それが、今回音楽に絞り込んでこの「作品集」を作らせていただいて、とても嬉しいですね。

竹宮 私はタイプとして、あんまり系統だっていないし、何でも描けちゃったから(笑)、一緒にやれたんだろうな。あなたの世界っておもしろいもの。

増山 この人の構成力とか、伝えたイメージを全部作れちゃうとか、これはすごい。これが共作のおもしろさだな。

竹宮 あなたが自分の中にだけ、囲い込んでいるものを出したいっていう、誰の目に触れてもわかるものにして出すことが好きなんだと思うの。

増山 腕のいい職人っていう感じ。



『地球へ…』と『風木』で、私はもう満足しちゃってるっていうか……●竹宮


竹宮 私の漫画作業って職人的なもの。あんまり、自分の作家性を満足させなきゃいけないとは思っていないね。オリジナルじゃなきゃいけないとか。だから『地球へ…』と『風木』で、私はもう満足しちゃってるっていうか……。

増山 いっけないんじゃないですか。作家としてそれ言っちゃあ(笑)。

竹宮 (笑)



参照
竹宮惠子:変奏曲
 【「コミックJUN」掲載、竹宮恵子直筆メッセージ】掲載年月日:不明
 【竹宮恵子:自作解説「変奏曲外伝」】1980年09月10日(30歳)
 【竹宮恵子:変奏曲こぼれ話】1982年05月25日(32歳)
 【「変奏曲」あとがき2種:1980年・1988年】
 【原作者名の公表:竹宮惠子・1988年】1988年(38歳)
 【「変奏曲」あとがき:増山のりえ・1988年】1988年(38歳)
 【竹宮惠子・増山のりえ:スペシャル対談】1997年04月23日(47歳)
「ウィーン協奏曲」と「ノルディスカ奏鳴曲」の嘘実

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