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【「少女漫画革命」はいつ言われ始めたのか】

検証
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少女漫画革命」もしくはそれに類する言葉は誰がいつ頃から言い始めたのか、を追ってみる



1978年
「テレビランド増刊イラストアルバム5 竹宮恵子の世界」47ページ

編集 大学生だった竹宮が、当時の少女漫画に対し”もっとおもしろい漫画を”と感じ、少女漫画革命と呼ばれる質の転化を計ろうとしたころ、少数の人々だけが彼女を支持していた。
竹宮 少女漫画にも思想が必要です。漫画を通して、何を語りかけたいのか。作者のメッセージと、読者の反応がなければ漫画を描いている意味がないと思います。



1978年
「テレビランド増刊イラストアルバム5 竹宮恵子の世界」76ページ

増山 24年組は、編集者の意識革命もやったと思う。男の子を主人公にするっていうこと自体、大変な騒ぎでしたからね。絶対条件だったものね、女の子が主人公って。
増山 24年組の人たちは、マニアライクということで、マニアに支持されても絶対数は少なかったのね。編集部は、その多数のレベルですべてをやるでしょ。こちらの意見を通すためには、ほんとうにケンカした。
竹宮 べつに、主流だった漫画を、認めていないわけじゃないし、きらいじゃなかったけど、結局、自分が生きていけないこととかかわってくるから。まさに、闘いだったわね。
増山 24年組は、それぞれにね、くやし涙を流しながらやってきたと思いますよ。
竹宮 70年安保の影響でね、革命意識はある。と思うのよね。
増山 べつに、運動に参加していたわけじゃないけど「国家」とは何かとか「人間はなにをなすべきか」とか根本問題を一生懸命考えなくちゃと思っていた。決して、しらけてはいなかったわね。漫画というはっきりした目的があったし。漫画を通して、何かやろうということだったし。
増山 自分なりに納得したタイトルをだすと、編集部の俗っぽいわかりやすいタイトルに変えろとか、表紙の女の子は、胸から上で正面向きにしろだとか。そういうことに対する闘いをどんどんやって、前例を作っていきましたよね。それが読者に受ければ、編集部はそれにのっかるのよね。
増山 女の人の感性って、いくらでも横に広げられるのね、ところがたてには広がっていかない。24年組は、意識してやったんじゃないけど、ぐいっと上へ変革したのね。ところが、いまは横に細分化されるばかり。へたすると、せっかく24年組がやったことを拡散する危険性があると思う
竹宮 それはそれで、いいじゃない。そこまで、レベルがあがったところでパーっと広がったんなら。今度はそこから、何かがでてくるから。待たなきゃだめ。私にとって、こんど新しいトビラが開かれるとしたら、まったく違う自分を発見する、あるいは創ることね。いまは、これまであった自分を発見しようとしているけど、これが過ぎれば、構築していくことになるんじゃないかな。



1982年
ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」

流れの中に大石を投じて流れを変えることは絶対しない。革命しない、というのは、ホントびったりな言い方でした。でも生きのこるということは、まだ自分の意見を言う機会を残すってことですよね。時代はいつか変化していくもの、常に変化していたいもの。だから、私は、大きなせき止めはしないで、いつのまにか変化していた、というふうに変えたい



2006年09月29日
増山法恵インタビュー「密やかな教育〈やおい・ボーイズラブ〉前史」294-295ページ

増山 そのときから「革命」ってなんだろう? と考え始めたのです。「革命」ってひとりでも起こせるものじゃないのかな、って。絵画でもいい、映画でもいい、音楽でもいい、マンガでもいい、流れを自分なりの新しい思想にひっくり返すのが、いわゆる革命のはずひとつの分野だったら、ひとりの発想から新しい時代へとひっくり返せるぞ、と思いました。
増山 そんなときに偶然、竹宮惠子と萩尾望都に出会いました。頭の中でひらめきましたね。竹宮と萩尾という稀有な才能を目の前にした瞬間 「少女マンガ革命を起こせる!」と。ああ! できる! この才能をもってすれば時代をひっくり返すことも可能だ、って確信したんです。



2007年08月
マンガナビ記事「少女マンガ界の第一人者、竹宮恵子さんに聞く」

マンガナビ その共同体から少女マンガ界に革命を起こそう、という構想みたいなものがあったんですか?
竹宮 私と萩尾さんにはそういう大きな考えはなにもなかったですね。単純に生活するうえでの理由です。ただ、増山さんには最初から少女マンガ革命というプランが具体的にあったようですね。彼女は出会った最初から、少女漫画家にとっての共同体を作りたいというようなことをよく話していましたし。
ただ、どんなに作りたいと言ったところで実現は難しいですからね。結局は、萩尾さんと私でまずは一緒に暮らそうという現実的なところから始めようと。
だから、大泉サロンについては増山さんがいちばん詳しいと思いますよ。



2010年
「Spectator 22号」123ページ

増山 いや、それは社会の中の既定事実でありますけど、『COM』という雑誌がなければ世に出なかった、という作家が多かったと思いますし、漫画に対してはこういう精神でいたいなということを、わたしに教えてくれました。意識革命みたいなものを。



2010年
「Spectator 22号」124ページ

増山 結局、少女漫画革命って、こういうもんじゃないかって思います。だから『COM』も革命なんですよ。
増山 いち分野をひっくり返せば、そこからいろんなものが派生するというのが、当時18歳だった私の理屈で。当時とにかく少女漫画と言ったら、イコールくだらないものと思われていた状況に立腹していたんですよ。なんとか少女漫画革命を起こそうと
増山 竹宮惠子と萩尾望都という才能を見た瞬間に、これは世の中ひっくり返せると思ったんですよ。ビックリしました。すごい才能に。この特異な才能をなんとかすれば少女漫画革命できるぞと踏んだんですね。今の保守的な少女漫画全部切り捨てちゃえ。一気に変えようって。
増山 わたし、ずっと屁理屈屋でいろいろ考えてきた人で、「このままじゃ少女漫画はいけない、少女漫画革命を起こすんだ」って気炎をあげたんですよ。「革命を起こすんだ!」って。



2010年
「Spectator 22号」125ページ

増山 だいたい自分では、この革命は20年でやるつもりだったんですけど、実質10年でした。萩尾と竹宮が漫画賞を獲ったじゃないですか。あのとき初めて「闘いは終わった」と思いました。



2010年
「Spectator 22号」126ページ

増山 革命の中心にいて、共に苦節何年戦った人は「同士」、「戦士」なんです。だから、そうじゃない人まで括るなよって気持ちがすごくあったんです。
増山 みんなで夜になると「少女漫画をどうやって改革するか?」って、徹夜でディスカッションしてました。



2016年
「少年の名はジルベール」
図版は小学館文庫(2019年)66-67ページ
発言者「増山」「竹宮」を付加してあります

増山「少女マンガを変えようよ。そして少女マンガで革命を起こそうよ
竹宮 まったく同感だった



2020年05月23日
読売新聞朝刊気流面「時代の証言者 第一回」

知野恵子の署名記事
タイトル「マンガで革命を
「1970年代、少女マンガの世界に変革が起きる。」
「男性中心の価値観に転換を迫り、社会に変容をもたらす



2021年
「扉はひらくいくたびも」76ページ

とはいえ、すべてパターンでできあがっているように見えるこの時代のマンガを、私たちは変革したいと思っていました
言葉では、革命的なとか、何かを変えようとか、言っていましたけれど、実はそんなことよりもやはり自分の立つ瀬を見つけることが重要でした



2021年
「扉はひらくいくたびも」93ページ

私は類型化した少女マンガの世界を変革したいと思っていました。



2021年
「扉はひらくいくたびも」133ページ

出版社も、編集者も、こういう需要や市場があることが初めてわかったようでした。そして、そのためには、それまでの「常識」を打ち破った私の存在が不可欠だと思ったようです。

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