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【「変奏曲」あとがき:増山のりえ・1988年】
ペーパームーンコミックス版「変奏曲」あとがき(増山のりえ:38歳)

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162528...



変奏曲(1)ヴイレンツ物語
出版社:新書館
発売日:1988年02月01日


変奏曲(2)アンダルシア恋歌
出版社:新書館
発売日:1988年04月01日


変奏曲(3)皇帝円舞曲
出版社:新書館
発売日:1988年06月01日




「我が心のヴイレンツ」増山のりえ
(図版に続いてテキスト抽出あり)






「我が心のヴイレンツ」増山のりえ

“ヴイレンツ物語”が形を成してきたのは小学生の頃。最初はウオルフとアネットの、つまり兄妹愛ストーリーだったのです。そのうちエドアルドが誕生しウオルフとの恋愛にも似た友情物語へと発展し、ホルバート・メチェック氏の登場とともにヴイレンツ世界は私の心の中で、どんどん広がっていきました。“ヴイレンツ”は私の頭の中では立体映画のように展開されているのですが、この世界を現実化するつもりはありませんでした。ただ“ヴイレンツ・ノート”なるものを作り印象的なエピソードや会話を書きとめたりしていました。

二十歳になる少し前、竹宮惠子、萩尾望都といった新人漫画家とつきあい始めた頃から、“漫画”という形式で、“ヴイレンツ”を表現してみたら……という発想が生まれたことは確かです。「“ヴイレンツ”を自分に漫画化させてほしい」と竹宮から言われた時、私のイメージがどこまで絵になるか、ずいぶん悩みました。ただ“ヴイレンツ”以前に“ロベルティーノ!”に始まって何作か原作を提供していたので、合作するコツのようなものはのみこんでいたように思います。

原作にしと合作にしろ、私は自分の名前を出す事を拒んできました。これといった理由はないのですが、自分の世界が漫画という形でたくさんの人に喜んでもらえたら原作者の名前など、どうでもいいではないかと思っていたのです。竹宮はもちろん友人や編集者から十数年にわたって名前をだすように説得され続け、ようやく今回「保存版」ともいうべき“変奏曲シリーズ”に名前を載せる決心がつきました。

今まで“変奏曲”の豪華本等の解説などは私が書いていました。レコードの時は文章、構成、演出等ほとんど竹宮がやりました。このように私が創った物語とはいえ、すでに“二人の作品”になっているわけです。

“ヴイレンツ”は非現実なものですが、私の内的世界ではすべてが現実となります。疲れた時、逆にひどく心が高ぶる時、私はそっとヴイレンツに入りこみ見慣れた街角や大好きな椿館(カメリア)の書庫に入り込みます。私は決してヴイレンツの住人にはなれません。ただ成り行きを見守るだけの傍観者です。想像世界に自分を登場させないのが幼い頃からの私の鉄則でした。

心の中にあまりにも克明にえがかれてしまった世界を竹宮に伝えるのは、なかなかの難事業でした。感のいいことにかけては天才的な彼女も得手不得手があり、例えばエドアルドやボブ氏は私のイメージどうり即座に描いてくれたのですが、優等生のウオルフはなかなか本人に似てくれず何度もデッサンを繰り返しました。

今は“カノン”のニーノとアレンの物語が中途半端な状態ですので、さしあたりもう少し区切りのよいところまで話しを進めたいと思っています。この二人もかなり山あり谷ありの長いストーリーなので、多忙な竹宮がどこまでつきあってくれるか全く予想がつきません。

“ヴイレンツ”という名がいつ、どうやって誕生したのかは本人である私にも不明です。イタリアのフィレンツェと響きが似ているせいかウィレンツェという人が結構いるようです。ウオルフは正しくはヴォルフガングの略ですからヴォルフというべきでしたが、彼が幼い頃自分をウオルフと呼んでいたためこうなりました。などなど漫画化する際、細かいエピソードを切り落としているのが心残りです。別巻として切り落とした枝葉をまとめたらとか、“漫画”でなく“小説”という形で書いてみたら、などいろいろ言われているのですが自分に小説を書くほどの文才があるとは思えませんし。

ともあれ、私だけの夢空間が“漫画”という形をとったとたん、たくさんの人々から愛され主人公達はすでに読者の心の中で一人歩きを始めている現状を、私自身はたいへん喜んでいます。

幼い私は、本にうずもれた活字中毒少女で夢ばかり見ていました。私にとって現実はすべて非現実であり心の中の夢世界こそほんとうの現実なのだと信じていました。今でもそんな夢のしっぽをひきずりながら、スキあらば夢世界に飛び込もうとしながら、生きているように思います。それがいいことか悪いことかは別として。

ヴイレンツ世界は、私にライフワークなどといったおおげさなものではなく、息をするように自然と心の中で枝葉を延ばしています。つまり私が生きてゆく限り物語は続いていくわけです。どこまで作品化できるか想像もつきませんが、読者の方々に今までとかわらず主人公達を愛していただけたら、と願ってやみません。

突然名のりでた原作者に驚かれた方も多いかもしれませんが、読者の皆様の反応を私自身はすべて素直に受けとめるつもりでおります。原作者がいようといまいと“ヴイレンツ物語”そのものには、なんの変わりもありません。これからも淡々と楽しみながら語り続けてゆくつもりです。どうぞ、よろしく。

1988年2月  (注・文中敬称略)



「変奏曲」あとがき2種:1980年・1988年
 【「変奏曲」あとがき:竹宮恵子・1980年版】
 【「変奏曲」あとがき:竹宮惠子・1988年版】
   【原作者名の公表:竹宮惠子・1988年】
   【「変奏曲」あとがき:増山のりえ・1988年】

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