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【ささやななえ:三つの衝撃】

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別冊太陽〔少女マンガの世界2〕昭和38年-64年
出版社:平凡社
発行日:1991年10月17日




「別冊太陽〔少女マンガの世界2〕」36-37ページ
三つの衝撃
ささやななえ
(図版に続いてテキスト抽出あり)





三つの衝撃
ささやななえ


七つ年上の姉がとってもらっていた「少女ブック」を私が引き継いだ時、それはちょうど「少女ブック」が「週刊マーガレット」に変身した時でもあった。

当時この雑誌の創刊号は、予約注文してる人、もしくは「少女ブック」廃刊号についているシールと引き換えに、無料配布された。

今考えてみても、これはすごい。(あとから聞いた話によると、小学四年〜六年の少女を対象に各組[クラス]配った学校もあるというから、もっとすごい。)

宣伝効果を考えてやったのか、「少女ブック」の購読者を逃がさないための手段か、いやいやそれとも、二号目を売ることに絶大なる自信を持っていたのか、お得意様を新しく掴まえるための、大出血大サービスだったのか。

どれにしても思い切った決断だったと思う。
その甲斐は、少なくとも我が家に関してはあった。

その頃、私は中学生になっていたので、「少女ブック」の廃刊を知った親に、「この際だから、もうとるのはやめにしようね」と、言い渡され、その気になり始めてたところへ、無料の、その本が届けられたのだ。

一度読んだらもうおしまい。結局「やっぱりとってほしいよォ」と親に泣きついて、継続することになった。

その創刊号には、「少女ブック」で描いていた、わたなべまさこ(以下、文中作家敬称略)が『ミミとナナ』、それに「少女クラブ」で描 いていた水野英子が『黒水仙』、「りぼん」からは牧美也子がやってきて『あにき』を描いており、他に関谷ひさしや野呂新平などが載っていて、実に錚々たるメンバーであり、殊に女性作家は、その頃徐々に台頭してきたいわゆる少女漫画の第一陣ともいえる人達であった。

──等と、えらそうに書いてるが、もちろんそれは、後になってからわかったことで、当時子供だった私にはわかるはずもないが、それでも、何となく他とは一線を画した漫画家が描いている。──てなことぐらいは感じていた。

わたなべまさこは、「少女ブック」の時からファンで、私が小学二年の時、生まれて初めてハガキに青インクで描いた似顔絵は、彼女の『山びこ少女』だったのだ。(注・もちろん青インクで描いてしまったために投稿はできなかった。)

牧美也子は、華麗で可愛く、なのにどことなく大人っぽい雰囲気を持った絵で、『マキの口笛』の頃は、休み時間にクラスの女の子達がこっそり読んでいる漫画をのぞいてみると、たいがいこの漫画であった。

そして水野英子は、それまでの少女雑誌に載っていた漫画とは明らかに違ったタッチで壮大なスケール、愛とロマンに満ち満ちた話で、我々を魅了した。友人の家に遊びに行った時、そこにあった「少女クラブ」で『銀の花びら』を読んだ時のショック。更に何年かしてから『星のたてごと』を読んだ時のショック。どうしてこの人が「少女ブック」に載っていないのだろう─と、くやしかった記憶がある。(注・水野英子が「少女ブック」に描き始めたのは、それから少し後だった。)

とにかく、それらが一週間毎に読める喜びに、ワクワクした日々の始まりだった──。



第一の衝撃を受けたのは西谷祥子の出現だった。私が中学三年になったばかりの頃である。

「別冊マーガレット」に『いしだたみ』という作品を発表してから、矢継ぎ早やに短編を発表。そして「週刊マーガレット」に最初の連載、『リンゴの並木道』を描き、『マリイ・ルウ』『白鳥の歌』と続いて、『レモンとサクランボ』を発表した。

何が衝撃だったかというと、美しく描かれた少女漫画そのものの絵にかかわらず、主人公達が、あたかも自分達の身近にいるような人間に感じられたからである。

中学三年ともなると、もう夢や憧れだけで日々を暮らすことができなくなる。否が応でも現実の生活に、悩みに直面させられる。

それまでの漫画は、夢と憧れと冒険とロマンの世界だった。

仮に学校が舞台の漫画があったとしても、直面している現実とは程遠く、起こる事件も我々とは無縁の物が多かった。

そして、なによりかによりも、主人公にコンプレックスがなかった。

家庭に関する事や成績のコンプレックスはあっても、主人公自身にコンプレックスを感じさせるものはなかった。

ところが西谷祥子の描く主人公達には、それがあったのだ。

私の知る限りでは初めて、主人公が自分の内面をみつめ、悩んでいた。

成長して、自我が確立していくと共に起きてくる劣等感[コンプレックス]。

どうしていいかわからない正体不明のモヤモヤ。
青春時代特有のイラ立ち。

それらを同じく持ち、一緒に悩む同世代の主人公が、初めてここで出現したのである。
この魅力は大きい。



──何故私が、ここでこんなにリキを入れているかというと、実は西谷祥子が描いた二番目の連載『マリイ・ルウ』には、ひとかたならぬ思い入れがある。

『マリイ・ルウ』というのは、美人の姉を持つ、思春期の傷つきやすい少女が主人公の漫画である。その中で、姉と自分を比較して悩む主人公に(もちろん漫画だから、マリイ・ルウ自身も可愛い。)美人の姉が、その美しさの秘訣を教えてくれる箇所があった。

「鏡を見る度に、自分はきれいだ、美しいと暗示をかけるの。そうすると、いつか自然にきれいになっていくのよ」

当時私はチビでブスでデブだった。(当時だけじゃないだろう。現在[いま]もだぜ)

加えてメガネもかけているので、(現在[いま]も) およそ男の子にモテルとは、断じて言いがたい存在であった。(現在[いま]も)

おまけに姉がいて、この姉は親に「おまえはきれいだ、美人になる」と、よく言われて育ち、本人もその気になってたのか、鏡を見ると、「私って美人よねー。お父さんそう思わない?」(おねえちゃん、怒んないでー。もちろんあれは半分冗談だったんだって、今はわかってんだから。) なんてこと言っては親に聞いていた。するとまた父親が言うんだよね。

──「うん、そうだよ。お前は美人だよ。」

思春期に入って、その頃の姉と同じ年頃になっても、親は私に何も言わない。これは子供心にも悲しい。

だからこそ、この『マリイ・ルウ』を読んだ時、ハッとした。いきなり開眼した。

──そうか、そうだったのか!お姉ちゃんがよく鏡を見て言ってたのは、自分に暗示をかけていたんだ!
暗示をかけ、親に確認を求めていたんだ。

だとすると、私も美人になれる日は近い!
即、私は実践することにした。

新聞を読んでいる父親のそばで、姉と同じように鏡を見ながら言ってみた。
「ねー、お父さん、私って美人だと思うわ。そう思わない?」

すると父親は、新聞から目も離さずに、こう言った。
「おまえ、そんなこと言うと、人から嫌われるよ。」

──多感で傷つきやすい少女は、二度と聞くのはやめようと心に誓ったのであった……。



だいぶ横道にそれてしまった。漫画の話にもどそう。

さて、西谷祥子の登場から少し後に、更に第二の衝撃が待っていた。

講談社で募集していた新人漫画賞に、里中満智子が一五歳で入選したのである。

それを知ったのは、父が見せてくれた「週刊朝日」でだった。彼女のことが取りあげられた巻末グラビアを見ながら父は言った。
「おまえより一つ年上なだけだよ。」

その少し前あたりから、漫画を描き始めていた私にとって、これは驚きだった。

何故なら、漫画家というのは大人がなるもんだと思っていたからだ。いつか大人になった時、漫画家になれたらいいなー等と漠然と思っていた私の前に、一つ年上なだけの少女が漫画家となって出現したのだ。

おまけに、その時次席に入っていた青池保子も、一六歳だった。
こんなに若くても画家になれるんだ。
雑誌に載ることができるんだ。

漠然とした夢が、急にリアルな目標となった。──ひょっとしたら、私だってなれるかもしれない。十代で画家に!

この想いは、その時同世代の漫画家志望者達は皆持ったと思う。

はたせるかな、その後雑誌には、十代の漫画家がドドドと登場してくる。大和和紀、飛鳥幸子、平田真貴子、忠津陽子──。

私もせっせと描き、投稿した。没。没。没。

没が三作続いた時、一旦あきらめることにした。燃えあがるのも早いが、あきらめも早い。──いや、まだヘタだから仕方ない。もう少し力つけてから応募しよう。なんせ時間はまだまだある。

十代のうちにと意気込んでいた割には、悟りを開いてのんびりしてた。その時でてきた描き手が皆、一歳か二歳にせよ年上だということで安心してた。(漫画家になってから知ったことだが、「りぼん」で描いていた樹村みのりは一三歳でデビューしており、前述の青池保子も、本当のデビューは「なかよし」の『さよならナネット』という作品で、やはり一三歳(註:下記に参考資料あり)の時だった。つくづく漫画家になる前に知ることがなくてよかったと思う。もし知っていたら、立ち直れなかったぜ。)

私の方が年下だもん。ヘタなのは仕方ないもん。──才能の無さを年齢に責任転嫁してもしようがあるまいに、才能が無いなどと認めるのはいやだった。

しかしそれも追いつめられる時がついに来た。美内すずえが一六歳でデビューしたのである。私が一七歳の時だった。

ガーン、年下なのにうまい……。 年齢に責任転嫁するわけにはいかなくなった。あせり始める。

描き手の主流は、完全に若い世代に移っていた。私もワクワクしながら漫画を読んでいただけの時代をもう終えて、自分の描いてる作品とどう違うか、研究しながら読むようになった。

高校卒業を目前に控えた冬、「別冊マーガレット」の漫画スクールに、金賞で入ったにもかかわらず、掲載されなかった作品のあるのが気になった。(金賞になった作品は掲載されることになっていたのだ。)「萩尾望都」というその名前を、何と読んでいいかわからなくて、ずっと頭にひっかかった。

ほとんど同じ時期「週刊マーガレット」の増刊号で、「りんごの罪」という作品をみつけた。従来の少女漫画より少年漫画に近いタッチで描かれた、その作品に目をひかれた。

「竹宮恵子」という名の作者は、それから「週刊マーガレット」の本誌にも増刊号にも登場することがなく、やはりずっと頭の中にひっかかった。

その二人が、やがて私に第三の衝撃を与える作家だとは、まだ知ることもなく、私が漫画家としてデビューするのも、まだまだ先のことであった──。
(漫画家)



参考資料【昭和24年前後生まれの作家たち
生年月日順
西谷祥子
 1943年10月02日
里中満智子
 1948年01月24日
大和和紀
 1948年03月13日
青池保子
 1948年07月24日
『さよならナネット』:りぼん1964年お正月大増刊号掲載
掲載時、青池保子は15歳
忠津陽子
 1949年01月25日
飛鳥幸子
 1949年02月05日
樹村みのり
 1949年11月11日
ささやななえ
 1950年01月31日
平田真貴子
 1950年02月13日
美内すずえ
 1951年02月20日



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