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【まんが家訪問10:萩尾望都】

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ぱふ1979年08月号
発行日:1979年08月01日
出版社:清彗社




「ぱふ1979年08月号」154-155ページ
まんが家訪問10
(「漫波」1976年6月号掲載の再録)
萩尾望都さん
売れなくなるまで、終生、マンガを描き続けます。
(図版に続いてテキスト抽出あり)





まんが家訪問10
萩尾望都さん
売れなくなるまで、終生、マンガを描き続けます。

吸血鬼、同性愛の少年などが主人公の異色の世界を描き、少女マンガに新風を吹き込んだ萩尾望都さんは、“ベルばら”の池田理代子さんと ともに大変な人気の女流マンガ家。

その舞台はヨーロッパが多い。
「ドイツが好きです。とくに都会でないところですね」地味なコートをキッチリと着て、トレードマークのベレー帽、色白の顔をややうつむき加げんに、質問の答えは正確に答える。
「ヘッセが好きで、影響をうけたと思います。

それにしても少女マンガの舞台は西欧がかなり多いのはなぜだろう。
「それは男の人と違って女性は想像力を飛躍させることが容易にできるからじゃないですか。むしろ想像力を自由にはたらかせるには外国の方が、よく知らないだけに都合がいいわけです。日本の場合は生々しくて、むずかしいですね。これは描き手の都合もありますけど」

人気作家となるきっかけとなり、この春、小学館漫画賞の受賞作ともなった、長編「ポーの一族」は、時間を超越して孤独に生きる吸血鬼一族の物語。この一族は男女を問わず美しく、一八〇〇年代後半のヨーロッパ貴族の衣装、あるいは建物とよく調和している。
テーマはともかく、時代、服装、ヨーロッパ、と少女マンガにふさわしい設定。
「そうですね。まず服装辞典をみて、服装から時代を決めることが多いんです」

「ポーの一族」は吸血鬼というテーマからして、従来の少女マンガのハッピーエンド型ではない。萩尾さんの作品はどちらかというと暗いトーンの孤独感の漂うものが多い。
これは少女時代に孤独だったということと関係があるようだ。萩尾さんは小さい頃から“変わっている”といわれてきたという。「運動が得意でなく、家に居ることが多かったです」「演劇が好きだったんですが、いつも年増の役ばっかりでした」と静かに話す。

内気で変わりものといわれた少女時代の心の内側をのぞかせる作品もある。小学館文庫の、「11月のギムナジウム」の中に収められている 「ビアンカ」がそれ。
二十一歳で上京する前、九州の家で描いた作品だ。口数の少ないビアンカという少女はよく森に出かけた。森の中で、たった一人で踊るの が、夢であり世界だった、という話。この森の中での踊りをマンガに置きかえれば、そのまま萩尾さんになるようだ。

萩尾さんの出身地は福岡県の大牟田。三井三池の炭鉱の町だ。家にこもりがちな少女は読書と絵を描くのが好きだった。
マンガ家になる決心をしたのは高校三年のとき。その後入ったデザインスクール時代から本格的にマンガに取り組みはじめた。

しかし、最初の頃はどのマンガ雑誌も萩尾望都の世界に冷淡だったようだ。暗いイメージがする、テーマがよくない……。
だから「ポーの一族」は永年あたためていたテーマがようやく実現したという作品。

「ポーの一族」は各章の物語は独立した作品としても読めるので、描いているうちに長くなったようにもみえる。そういう問いには、ハッキリと「最初から長編の構想でした」と答えた。十分に練られた自信作ということだろう。そういえば、過去、現在、未来にわたるオムニバス形式は萩尾さんの作品の特長といえるかもしれない。
マンガのアイデアが浮かぶのは入浴中とか寝る前という。

「のんびりするのがいいんでしょうね」
これから描きたい作品はSFものということだ。ずっとマンガを描くのですかという間には「売れなるまで、終生、描き続けます」という力強い返事が返ってきた。
原稿は毎月三十四ページ前後というペースを守っている。これからもマイペースで力作を描き続けてくれるだろう。

では萩尾さんの熱狂的なファンのために一問一答を──

好きな色は
「緑、ベージュ」


「何でも好き」

理想の男性
「小さいことに気にしない鉄兵のような人」

今までに描いた人物で好きな人は
「エ ーリク、エドガー」

愛読書のマザーグースのどれが好きですか
「こわいもの」

仕事がイヤになるとき、楽しくなるとき
「マンガ家にならないとわからないでしょう」

一つの作品を描くのに何冊ぐらい本を読みますか
「見ません。資料は 手に入るだけ集めます」

これから単行本になる作品
「“アロイス”と“11人いる”です」

(76年漫波6月号掲載)



ぱふ1979年08月号

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