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【インタビュー:竹宮妹(大内田英子)】
ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」

ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」
発行日:1982年08月01日
出版社:雑草社



不思議な人ですヨ
マネージャー:大内田英子(竹宮妹)
(画像4枚に続いてテキスト抽出あり)







不思議な人ですヨ
マネージャー:大内田英子(竹宮妹)

ーー姉妹の仲は良かったですか?

大内田 仲は良かったです。よくある姉妹ゲンカはしてたんですけど、あんまり親が心配するようなことは、なかったですね。

ーー竹宮さんは小さい頃から絵がうまかったのですか?

大内田 それはもう。私が幼稚園の時に、コンプレックスを持った位 (笑)。

ーーそれは竹宮さんの絵がうまいということで。

大内田 絵日記は当然、姉の方が先でしょ。幼稚園で絵日記を描かされる。私もその時期になって描くでしょ。すると母親が「これがお姉ちゃんの描いた絵よって持ってくる。「ウッ」と(笑)。「どうしてこんなに違うんだ」っていうんで悩みまして、「私は絵はダメだ」って、そこでしっかり自覚しましてね。

ーーどう違っていたのですか?

大内田 今でも絵日記が残ってて、それを最近見たんですけど、ちゃんと幼稚園の子の絵ではあるんです。が、おばさんに手を引かれてるとか、その状況がわかり易い絵を描くんですよね。 私なんかが描くと、花の方が人間より大きかったり(笑)。姉の方はちゃんとした絵を描いてたみたいですね。で、自分自身が、ああ姉の方がうまいって思った訳じゃなくて親がね、比べるんですょ(笑)。親というのはそういうことで、子供が傷つくって知らないらしくて言うのね。こっちの方がうまいとか。きっと無意識で言ってて今になって「そうだったの」って反省してるみたいですよ(笑)。

ーー宿題の絵を手伝ってもらったことは?

大内田 それはもうしょっちゅうありましたね。とにかくどんなに一生懸命描いても、どうしても私の絵というのは平面的になっちゃって、ポプラ並木を描いても横にズラーッて並んじゃうんですよね(笑)。姉貴がそれをこういう風にすると遠近感が出るのよって下絵で描いてくれて、ああそうかって真似して描く。仕上げもチョッと手伝ってもらって、だから殆ど姉貴の絵(笑)。同じ学校だから先生も知ってて、(ああどうせ手伝ってもらったんだ)って事はわかりながら、賞をくれたり(笑)。だから仲々絵の方では、得をしてましたね。

ーー竹宮さんの子供時代は?

大内田 とにかくもう姉妹でも血がつながってないんじゃないかと思う位、白と黒なんですよね。食べ物でも男性の好みでも、遊ぶことでもみんな違うんです。姉は家の中に引きこもっていることが好きで、私は外に出ていく方が好き。 親戚の人なんか来ても、呼ばないと部屋から出てこないって感じの子供でしたね。おとなしかった。

ーーおけいこ事とか、一緒にやったことなどはありますか?

大内田 姉は小さい頃、日本舞踊をやってました。舞台にチョット出たこともあるし、好きみたいだったんですけど、引っ越した時やめちゃいましたね。私は横でみようみまねで覚えて、ほんのチョットだけで一緒にやめちゃったんですけど。あと、父が楽器店にいましたから、ヤマハの音楽教室に少し通ってオルガンを一緒に習ったことがあります。それも少しかじるだけでやめちゃって(笑)。

ーー小さい頃の面白いエピソードというのは?

大内田 とにかく手塚先生の『鉄腕アトム』が好きだったんですよね。テレビでそれがありまして、よく家族でドライブに行こうという日が、「鉄腕アトム」に重なるんですよ。で、一緒にドライブに行っちゃったら、その時間までに帰って来れないっていうので「行きたくない」って始める訳ですよね。それで親が、「テレビのまんがのひとつ位、どうしたっていうんだ」って(笑)。「家族の交流の方が大事なんだから、一緒に遊びに行こう」って言うんだけど、もう泣いて行かないんです。で、一度おいて行ったことがあるんです(笑)。でもやっぱり気になって、すぐひき返したけど(笑)。あの時だけは、強情でしたねェ。

ーーわがままとか、何か欲しがるというのは?

大内田 それもなかったのね。よく子供がお店の前で「あれ買ってェ」って泣くでしょ。あれやるのは私の得意(笑)。ケーコタンは与えられたものに満足するって感じで。すごく対照的に、あっちはいい子で、こっちは悪い子(笑)。

ーー竹宮さんていうのは、どちらかというと優等生タイプ?

大内田 あ、それはもう、どちらかと言わないでも優等生でしたよ。髪をピッと引きつめてメガネをかけてね、インテリ女学生って感じで。 ともかく淡々と朝出かけては、同じ時刻に帰ってきて部屋に入っちゃうって感じで、親も私も勉強してるって思ってました。成績もいいんですよね、すこぶる。ところがあとで聞くとまんがを描いてたというから「どうなっているんだろう」と私は余計コンプレックスに (笑)。「クソーッ」と感じです。

ーー思春期の悩み、みたいなものを相談したことなどありますか?

大内田 あります。私が高二の頃からずっと三年間位つきあってた人がいたんですけど、彼の両親に仲々理解してもらえなくて、チョットつらい思いをしたことがあったんですね。その時、姉貴があとで事情を知って、けしからんと言いまして、その彼を呼び出してさんざん何かお説教したらしくて、あくる日彼が落ちこみましてね(笑)。「君の姉さんはすごい」って。言ってることが的を射てて、もうとにかく反論できなかったんだって電話してきたのね。だから意外と私が何か外から害を受けることがあると、やっぱり姉貴なのか、私がやらなくちゃって。そういう所があるらしくてね。けっこう頼もしいんだなって、その時思いましたね。

ーー普段は自分から何か発言するということはないのですか? 何か相談したら的確な答えを?

大内田 とっても抽象的に答えるような所はあるんですけど、相談すると親身になってくれますね。だから普段はあんまり姉貴って感じがしないんですけど、いろいろ相談した時にわかるんですよね。やっぱり上なんだなって。頼りにしてていいなって感じです。

ーー大学生の頃の竹宮さんは?

大内田 講義なんかはサボッてなかったし、教育実習もやっていたし、割とほとに真面目な学生ではあったんですよね。まんがで捨てたこと以外は。あっ彼女、ボーイフレンドがいたんですよね。で、一度とっても可哀想だったのは、一緒に公園を歩いたらしいんですけど、殴って帰って来たんです(笑)。理由聞いたら「だって肩なんて抱くんだものォ」って(笑)。「お互い好きなら、当然の成りゆきでしょ」って言ったんですけど、「ウソ!」って(笑)。不思議な人ですヨ、実際。

ーー漫画家になりたいと言い出したのはいつ頃ですか??

大内田 彼女が露骨に言い出したっていうか、『宝島』に入って同人誌が送られてくるようになってから、ああ結構、本気なんだなっていうのがわかってきました。それまでは単に趣味程度に漫画描いているのかな、位にしか思ってなかったんですよね。それなに真険に漫画家になりたいたいなんて、おくびにも出さないし、てっきり教師になるのかなって私は思ってたから突然漫画家になるって言い出した時は驚いたんですよ。

ーーもめたりはしませんでしたか?

大内田 そのもめた時もね、私は好きなことさせてあげればっていうか、本人がしたいことした方がいいんじゃないって、そういう考えだったんだけど、親はとにかく大学は行った方がいいと。まんがの世界なんて、まだそんなに認められてなかったし、どうなるかわからないし、親の考えとしては四年間、大学に行きながらまんが続けて、それからプロになっても遅くないって。結局その時は、ケータンの方が説得された形になったんですね。それより、上京する時、大学を辞める時がすごかったの。

ーーそれまでは、お互いに丁度いいように真中をとって?

大内田 ケーコタンも利口に考えて、じゃ、とにかく大学さえ入れば文句はないだろうって感じで。それで入ってみたら、やっぱり教師なんて向きそうもないし、美術部で描く絵よりまんがの方が性に合ってるって確信もってね。で、春休みに東京にいったん出たんですよね。そしたら仲々帰ってこない。やっと帰って来たと思ったら、大学辞めるって言い出したのね。今はともかく休校になっているから、そのままにしておいて、しばらく考えなさいって両親が一生懸命説得したんですけど、ケーコタンが泣き出しちゃったんですよね。『鉄腕アトム』以外では泣かないあの人が泣いてね、漫画家やりたいって言うんです。教養課程が終わって、あとは専門課程でしょ。それが自分にとって意味があると思えないって、一生懸命何時間もかかって泣いて言うんですよね。親も参ってね。結局、ケーコタンの涙の方が勝って、そこまで言うんだったら一回やってみるしかないかっていうんでね。完全にケーコタンは捨て身になって頑張ってたんじゃないかなあ。親との口論じゃなくてケーコタンが泣いてまで言っているということが、すごいと思ったんですよね。それまで何でもハイ、ハイって優等生だったから意外だったんですよ。

ーーその気持ちがわかったっていうか?

大内田 ていうか、私はそこまで出したから好きになったって所があるんですよね。それまで割と親の言う通りって感じの人生だったでしょ。だから自分の考えをストレートに出して生きていこうとしているから、すごくその部分が好きでしたね。

ーー漫画家になってからの竹宮さんは、どう変わりましたか?

大内田 とにかく強くなりましたね。自分の言いたいことを作品の中にぶつけているからか、それとも7年程前にトラプロ設立して、何人かの人間を抱えているという責任からか...。やっぱり自分で何か作り出している人って、強いですよ。

ーー大内田さんの竹宮さんのまんが感というのは?

大内田 私は姉貴が有名になってるっていうのを、なんとTVで知ってね。駿々堂さんのサイン会の模様をたまたまTVで観たの。ファンの人達が大勢、遠まきにしてたりして、そこで初めて有名なんじゃない、わりかしって(笑)。少年愛がどうのこうのってインタビューされてたので興味持ってね、チョッピリ。『風と木の詩』の単行本を全部買いこんで来て読んだんです。正直言ってショックでしたね、色んな意味で。 恥ずかしいような...でも、衝撃的でした。トラプロを手伝い始めて『地球へ...』を読んだ時には、もう感動! あの『地球へ...』の中で言っていることは、私なんかには全然想像もつかないっていうか、考えもしないことだから、すごいなあと思ったんですよね。男性だったら、ああいう風に考えるだろうなって思うけど、女っていうのは割とその場、その場で生きてるでしょ。世の中がどういう風になっても、なんとか生きていくような所があるから、未来の地球はどうなるかなんて考えないと思うのね。だから、すごいなあと思ってシーンとしたんです。正直、尊敬もしちゃった(笑)。私はどっちかと言うと『弟』とか『ここのつの友情』とか、初期の頃の絵が好きなの。なんか、あたたか味があって。

ーーそうするとプロで頑張っているというのは、伝え聞いて知ったのですか?

大内田 それは母親から聞いて知っていました。私が結婚した頃は、彼女がスランプだったらしくて結婚式にも現われなかった(笑)。こっちはこっちの生活に一生懸命だったから、結婚式の当日に誰も気付かない訳ですよ、彼女が来てないことに。で、さあ写真をっていう時になってケーコタンがいない(笑)。「あら、恵子が来てないわ」って(笑)。「なんなの!なんなの。って夜電話したら、「ゴメンネ。今ね、落ちこんでるのよ」って。でもね、どこか憎めない所があってね。大変なんだなあって思いました。そういうスランプの時期を一緒に乗り越えてくれたのが増山さんなのね。最近、ケーコタンとよく話すんですけど、やっぱり10年間ってのは長いからね。一人だったらどうだったかなあって思うんですよね。作品も一緒に作ってくれてるしね。ノンタンの存在は大きいんですよ、ケーコタンにとって。支えていうか、パートナーでしょうね、お互いに。

ーー竹宮さんのマネージャーになったのは、いつ頃?

大内田 丁度三年。丸三年じゃないかな。

ーーきっかけは?

大内田「地球へ...」のアニメの上映を来年に控えている大変な時に、ノンタンがダメなのよって。あの頃、ケーコタン随分あたふたしてたのね。でも、私じゃまんがのことは全然わからないから、そういう意味でノンタンの代わりなんかは出来ない訳ですよね。事務的なことでよければ手伝うって、それが条件で入ったんです。

ーーお仕事はスケジュールを決めたりとか?

大内田 でも、スケジュールを全然守ってくれないから、つらい(笑)。あとは原稿の管理と必要があればファンレターの返事。それから修羅 場のベタマン、そして運転手。早い話しが雑用ばっかり(笑)。

ーー仕事の依頼がきた時は?

大内田 殆ど、ケーコタンとノンタンの三人で相談して決めますね。

ーー無理な注文はうけつけない?

大内田 それはそうですね。まず時間的なこと、どの辺までのばせるかも聞いて、原稿料のお話しして、その上で三人で相談するんです。

ーー時間の調整というのは?

大内田 最初ごくおおまかに日にちを計算して決めるんですよね。で、必ずそれに三日位ずつずれが生じる。当然そのずれに合わせるんですけど、そのずれが又ずれる。これはもうどうしていいかわからない。だからもう放っておくんですね。私の手帳みると、どれ位ずれたか歴然とわかってね。「あんたが悪い」とか言うと「見ないもんねェ」って(笑)。憎ったらしいの、ほんとに。

ーー早くしてと言っても、しょうがないと?

大内田 もうしょうがない。最初は姉妹だから、ちっとも怖くないから、口うるさく言ってたんです。でも、うるさいわねって追い返されるんです(笑)。クソーット思ってね。遅れると眠れないのは本人だし、アシさん達は適当に交代が出来るから大丈夫だけど、本人はとにかくもう寝かせてもらえないでしょ。報いは全て本人にいく(笑)。あんたが悪いという感じが、ホントにあるんですよね。

ーー担当さんの苦痛は?

大内田 私が一手にひき受けます。たまに怒鳴ってくるんです。私、あの手、この手で言い訳するんですよ。最後には半ば開き直って「そんなことおっしゃられてもネームの時、いくら私がギャアギャア言っても出来るものでもないんですょ」って言うのね。そしたら「そうなんだよなあ、わかるわかる」って(笑)。

ーー仕事をやり始めて、驚いたことは?

大内田 もうとにかく、何もかもずさんで驚いちゃう。私、ノーマルな人間だったんですよ。

ーーイベントとかに行って、ファンに圧倒されたことはありますか?

大内田 とにかく大阪のファンの人がすごい! 手にキスしたりするんですよね。やっぱり純粋にファンの人っていうのは、可愛いっていうか、ケーコタンの為に一生懸命、どんなに暑い時でも集まってくれてね。本当にこの人達に支えられてるんだなあと思うものね。だから手紙なんかにも、出来るだけ返事を書いてるのね。必要があれば。

ーー竹宮さんの仕事ぶりを見てて、感心することは?

大内田 何故に二時間睡眠で起き上がれるんだろうっていうことね。たった二時間でどうして物を描けるのかっていうのが、今だにわからない。昨日なんかも、下絵を描きながら眠っちゃったのね。それ位、ハードでね。あの状況でどうして二時間後にまたペンを動かせるんだろう。 あれだけは不思議ですよ。

ーー竹宮さんとは今は友達みたいですか?

大内田 あんまり姉妹とか、血のつながりみたいなのは意識しないですね。昔はとにかく、お姉さんだった。今は私も私なりの人生を歩んできた自信みたいのがあるし、結婚もして、全然違う経験も色々してる訳だから、姉貴というより、お互い一人の人間としてつき合えるって感じかな。

ーー姉妹の二人共通点というのは?

大内田 設計図引くことかね。でもそれは親の血っていうのかしら。親子四人とも好きなんです。間取りを描いてね、ああでもないこうでもないってやるの、大好きでね。今でも私が部屋の図面描いて、こういう風に家具おいたのよって見せると、「どれどれ、これはこっちの方がいいんじゃない」って。それが始まるとね、時間を忘れてワイワイ、ピーピー。これだけが共通点なの。姉妹唯一の。

ーー普段、お仕事離れてる時なんかはどういう会話なさいますか?

大内田 割とバカなことを言って、キャイキャイしてますね。くすぐりっこしてみたり、昔よくやってたんですよ。ケーコタンがね「時々、バカ笑いしたくなるの」とか言ってね。「あんたはバカ笑いの対象に一番いい」って(笑)。どういう意味でしょうねェ、ブツブツ......。

ーー竹宮さんの長所と短所をあげるとしたら?

大内田 短所は、作品も含めて何事も一人では決断しかねるところかな。何でもノンタンに相談しないと決められないようなとこ、あるんですよね。作品は別として、まどろっこしくなっちゃう、しっかりしろヨって感じで、くせになっちゃってるんでしょうね、10何年も一緒にいると。長所は、こだわらないとこかな。例えば、この作品は人気がないとか言われても、「あっそう、これダメ。それじゃ今度はこっち」って感じでね。切換できるような所あるものね。だから、その辺はあまり将来も心配ないなあっていうかね。そういうとこ、母親から受け継いだ長所だと思うの。うちの母はすごくたくましいんですよね。

ーー終わりになりますが、これからの竹宮さんに期待すること、又は注文をーー。

大内田 注文はとにかく、身体をこわさないでほしいってことね。そりゃもう起こす時、本当に可哀想なんだから。出来ることなら、ずっと寝かせておいてあげたいと思う位、目はまっ赤で、くまが出来てて可哀想なの、それをたたき起こす私って、鬼みたいじゃない(笑)。そうならない為に、もうチョットだけ、スケジュールに忠実になってほしいのね。それで将来は自分の本当にやりたい仕事、描きたい作品だけを大切に選んでしていってほしいと思います。無理だけはしないように。

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