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【竹宮惠子のマンガ教室】247-250ページ

発行日:2001年06月20日
出版社:筑摩書房



大泉サロンと“花の24年組”

サロンに出入りしていたマンガ家たち





ーーそうすると、増山さんも、一緒に住んでたわけじゃないけど、二人の家のお向かいさんだったわけですね。それが大泉サロンの始まり。
竹宮 そうなんです。で、増山さんがその事態を牛耳ったというか、場所決めとかだけじゃなくて、彼女ははっきり意識を持ってた。萩尾さんと私がいれば、第二のトキワ荘も夢ではない、と密かに思ってたみたいです。だからその頃から、「いろんな人が出入りする場所にしたらどうだ」みたいに、はっきり意識してた。
 一方、私たちはトキワ荘といっても、「ああ『COM』の中で見るとそよさそうだよね」という程度しか知らなかったんですが、そんなことになるとは思わずに、まあなんとなく始めたんです。
 ファンレターがたくさん来ますよね。その中で、話ができそうなしっかりした人を見つけると、家に招んでみたりとか。そんなことをいろいろやってた。
 たとえば北海道にささやななえ(こ)さんみたいな人がいるそ、「うちに泊まっていいよ」なんで感じで、あちらも「
えっ! 竹宮さんと萩尾さんがいるのだったら行く」みたいなことで、大泉サロンに来て。

ーーじゃ、ささやななえさんは最初ファンレターを下さっていた方の一人なんですか?
竹宮 じゃないんだけど、文通とかそういうことでお互いに知り合いになったんです。あちらも私たちのマンガは見ているわけです。で、友人として、お互いに知り合いになりたい、というのがあった。あの頃、マンガを見れば多少とも人となりがわかるから、ああ、この人と友達になりたいな、というのはごく普通の流れだったんです。それはいまでも変わらないと思いますよ。
 新人どうしはそういう形で「あの人のマンガ好きだから友達になりたい」「編集者が知ってたら紹介して」とかってよくある話だし、それはいまでも同じ。まあそうやってわわやさんが転がり込んでくるというか(笑)、宿代が要らないから東京に来るたびに泊まっていく。そんな形でいろいろつながりができた。

ーー竹宮さんと萩尾さんが同じ家に住んでて、そのすぐ前の家に増山さん。そして東京に来たときにはささやさんが加わる……。
竹宮 ささやさんは半年ぐらいいたこともあるんじゃないかな。だから住人のようなそうじゃないような(笑)。

ーー他にもそんな方が何人もいらっしゃったんですか?
竹宮 そうですねえ……佐藤史生さんが、話をしにずいぶんよく来てた。で、長いこと泊まってた。私たちがヨーロッパ旅行に行っているあいだ、一ヶ月ぐらい留守番してもらったら、その間に猫が子ども産んじゃったりとか、いろいろあったんです。まあそういうふうに、一緒に住んでた感じなのは、佐藤史生さんと池田いくみさん。

ーー池田いくみさんというのは?
竹宮『ハリー』の新聞広告でしたっけ? ありましたよねえ……。

ーー『ハワードさんの新聞広告』?
竹宮 それそれ。

ーーそれはでも、萩尾先生の作品では……?
竹宮 じゃないんです。原作は池田いくみになってます。彼女は萩尾さんよりもっとボーッとした優しい顔の絵を描く人だったんですけれども、あの話はもともと彼女が描いたマンガなんです。結局、彼女はそれを発表することなく、病気になってしまったもので、了解をとって萩尾さんが出したんだと思います。
 池田さんが病気になって郷里に帰って、結局、大泉サロンはたった二年間しか続かなかったんですけれども、ものすごく密度の濃い二年間だったんです。二年で賃貸契約が切れて更新するか否かというときに、私がけっこう自分自身の悩みに疲れてきちゃって「一人になりたい」というので出ちゃったんです。

ーー「自分自身の悩み」とおいうのは作劇上の?
竹宮 そうそう。もうすでにスランプだったんですね。

ーーその時期に大泉サロンに出入りなさっていた方は他にどなたか?
竹宮 山岸凉子さんが来てましたね。「竹宮さんと萩尾さんが一緒に住んでいる場所があるらしい。どうしても行きたいから、一緒に行って」と頼まれてもりたじゅんさんが連れてきた。木原敏江さんとかは来ていないです。大泉サロンがなくなってすいぶん後になって、萩尾さんと木原さんがお友達になった。青池保子さんもこの間、あの頃、『別冊少女コミック』の編集長だった山本順也氏のパーティーで初めて会ったんですよ。「昔から知っているような気がするけど、お会いするのは初めてですよねえ」って。
 あと、その頃大泉に来てた人って言うと、その頃はまだマンガ家にはなっていなかったけれど、坂田靖子さんとか開発さん姉妹。開発さんというのは、その名字を二つに分けて、お姉さんが甲斐悠紀子さん(原文まま:甲斐悠紀子の誤字と思われる)、妹さんが波津彬子さん。坂田さんと一緒にその頃来てたのはお姉さんの甲斐さんの方で、甲斐さん(原文まま:甲斐悠紀子の誤字と思われる)は萩尾さんのアシスタントをしてて、しばらくしてデビューした。もう亡くなってしまわれたんですけど。

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