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【マネージャー・増山法恵:竹宮恵子を語る】

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月刊OUT-1979年01月号「竹宮恵子特集」
発売日:1979年01月01日
出版社:みのり書房




「月刊OUT-1979年01月号」31ページ
竹宮恵子特集扉「美しき惑いの詩」




「月刊OUT-1979年01月号」32-37ページ
マネージャー・増山法恵:竹宮恵子を語る
(図版に続いてテキスト抽出あり)









マネージャー・増山法恵:竹宮恵子を語る
註:「M」は「増山」と表記しました


今回は『竹宮恵子特集』ということで、ケーコ先生自身より、ケーコ先生のことならよく知っていると定評のある、マネージャーの増山法恵さんにインタビューしちゃったのでーーす。ケーコ先生はもちろんだけど、増山さんもなかなかステキな人なのです。喋ってることを聞いてもらえばわかると思うけど、頭のいい人なのよね。ケーコ先生が仕事に没頭出来るよう、猛烈なマスコミ攻勢から守るため日夜孤軍奮闘している姿は感動的。ケーコ先生の影に常にこの人ありという感じなんです。何はともあれ始まり、始まり〜〜〜っ。


──まず、増山さんと竹宮先生が知りあった頃のことから聞かせてもらいます。知りあったきっかけは?

増山 私、最初は、おモーさま(萩尾望都先生)と文通してたんですよね。彼女が九州、私が東京で……。まず、モーさまが、上京してケーコタンの仕事を手伝ったりして友だちになったわけです。私は、何かの折に、モーさまにくっついて、ケーコタンに会いに行って……3人仲良くなったわけです。

──その頃、竹宮先生はどんな作品を描いてらしたんですか?

増山 ……『ゴーストッブ物語』とか『魔女はホットなお年頃』なんかを描いてまして、私も手伝ってましたね。

──その頃から、こんな風に有名になると思っていましたか?

増山 ええ、ケーコタンにしても、おモーさまにしても、出会った当初から、絶対にぬきんでる人だという確信がありました。私はカリカリのマニアでしてね。COMなんかを、夢中で読んでいたほうですから……あの頃のCOMを読んでいたマニアって言えばおわかりになるでしょうけど……既成の少女マンガをバカにするようなところがあったんです。そういう私から見ても、彼女たちや、ナナエタン (ささやななえ先生)、お涼さま(山岸涼子先生)、山田ミネコさんなどの集団を見るにつけ、これからの少女マンガ界をになうのは、彼女たちだと思っていました。

──話が戻りますけど、竹宮先生の初対面の印象っていうのはどうでしたか?

増山 あまりよくないんですよねお互いに。(笑) 伊東愛子さんなんかも何かの時に「先生はブアイソだ」なんて言ってましたけど、ブアイソな人で……決して腰の低くない人なんですよね 今でこそ、だいぶ人当りがよくなってるんですけど……(笑) 私は作品としても、どちらかというと萩尾派で、竹宮の傾向をきらってたんで当初から彼女の作品はけなしてました。本人を 目の前において。(笑)

──それでよく……?

増山 案外、それで彼女も私に興味を持ったんじゃないんですか? おもしろい人だ……って。

──何か萩尾先生と竹宮先生と3人でくらした時期があるそうですが?

増山 おモーさまとケーコタンが同居しようという話が出た時に、じゃあ私が下宿先をさがしてあげようという話になって──私の実家が大泉学園だったんですけど、丁度、実家のまん前があいたので、パッと借りて……私もほとんど家になんていないで、彼女たちの下宿にいりびたりでしたから、いっしょにくらしていたようなものですね。

──食事なんかはかわりばんこにつくってたわけですか?

増山 さあ……? どうしてたんでしょうねー。あまり記憶にないんですよね。そのへんのことなんかは、伊東愛子さんなんかの方が詳しいんじゃないかしら。とにかくキタナイ生活だったってみんな言いますけどね。(笑) 熱気にはあふれていたけれど、生活は割とチャランボランでしたから……。(笑)  とにかく、いつも10人位で生活してましたでしょう? 伊東さんなんかの話を聞くと、経済的にはやはり、ケーコタンとおモーさまが出してたみたいですね。

──10人位で……と言いますと、かわりばんこに誰かが泊りにきていたわけですか?

増山 ええ、例えば、だれかがフラッと来ると、その人がいつまでいるのか見当がつかないわけですよ、ささやさんなんか北海道から上京して一ヶ月も二ヶ月も居たり……とにかく、出入り自由の状態でしたから。あの頃は精神的にもゆとりがありまして、いいファンレターが来たら読んじゃうんですね、あ、この人とは作家対ファンというより、友だちどうしとしてつきあいたい……って風にね。そういう人たちがまた、会ってみると本当にいい人たちで……伊東愛子さんあたりがそういうかたちでのラストメンバーなんじゃないかな、大泉サロン時代の……。 坂田靖子さんや、花郁悠紀子さんくらいになると、あの頃はまだ、サイン帳片手に通ってきているっていう感じで、メンバーというよりは、ファンに近い感じでしたね。まさかプロになるとは思いもよらなかったけど……(笑)

──坂田さん……といえば、『ウェディング・ライセンス』の時かな……手伝ってらしたでしょう?

増山 ……どうだったかしら? とにかくあの頃、色んな人が手伝っているでしょう。ケーコタンのバックを、まるまる、伊東さんが描いてたりささやさんが描いてたり……。その逆に、ささやさんの作品のバックを一まいびったりケーコタンが描いてたりね。もうめちゃくちゃですよ。

──一時期、竹宮先生とささや先生の絵がそっくりだったこともありましたよねえ、やっぱり影響しあっていた訳ですか?

増山 というより、ささやさん自体が、石森先生のマンガから始めているわけでしょ。ケーコタンもそうだし……、二人ともあそびで描いてた頃の絵なんか、石森先生そっくり! そういうわけで、あの二人は当初非常によく似た絵を、描いていたんですよね。最近ちょっと離れちゃいましたけど……サロン時代なんて、あの二人が、お互いの絵を描いたりすると、見わけのつかないことがありましたよ。

──萩尾先生と竹宮先生も、やはりお互いに影響しあって……?

増山 ええ、それはもちろんありましたね。大体おモーさまはねえ、全然少年に興味もっていなかったんですよ、それが、ケーコタンとか私とかとつき合うようになってから、いろいろと勉強してね。

──竹宮先生の方は最初から『少年』に興味を持っていたワケですか?

増山 ええ、それはもう……。ですから、少女コミックに舞台を定めてからっていうのは、ものすごく精神的に苦労したらしくって、少女マンガが描けなくって描けなくって、もう本当に、泣きながらっていう感じてやってましたから。とにかく最後には、『もういやだ。少年を主人公に描いて行く。これが一番自分のよさがでるんだから。』と決意して描いたのが『雪と星と天使と』。あの作品で、はっきりと自分の方向みたいなものを定めちゃったみたいですね。

──『少年』にしか興味がないわけですか?

増山 いえ、そんなことはないですよ。彼女は非常に興味の範囲の広い人で、大人でも、男女の恋愛でも描いてますでしょ? ただ、少年に関して一番自分の主義主張といいますか……言いたいことが表現しやすいっていうことですね。今、彼女は、なんか美少年作家……みたいに言 われますでしょ? ちょっとこちらも困っているんですよね。決してそれだけの人じゃないんですけどね。新聞や雑誌なんかでもインタビューなんかされましても、色々と話をしているうちに、わかってくれた、と思っても、記事になる時には、よりセンセーショナルに、ショッキングに取り上げられますでしょ? まあ、実際に、彼女の作品をちゃんと読んで下っさっている方は、わかっていると思いますけど。

──『風と木の詩』なんかはもっとストレートに表現したいんだ。 と聞いたんですが……。

増山『風と木の詩』なんかでも、彼女としてはきれいに、きれいにおさえて描いているわけです。少女の読者っていうのは、それでなくちゃついてこられない、あまりナマだと反発しちゃう……というようなところがあるんですね。だから、ちょっと現実離れしたような、きれいな感じて描いているけど、実際の少年ていうのは、もっとナマなわけで、きたないことばを、バンバンつかったり、それこそ、ちばてつや先生の主人公みたいに、ボロボロのかっこうして汗と泥にまみれて転げまわったりしているわけですよね。つまり、そういう風に……きれいごとで終りたくないんだ.……ということだと思います。

──先生が特に気に入って、ノッて描いたっていうような作品、ありますか?

増山『空が好き!』の時はもうめちゃくちゃにノッてましたね。あのタグ・パリジャンっていう主人公は、もう竹宮恵子そのものっていう感じのキャラクターでね。竹宮恵子の全てがそこに入って……という感じで。とにかくノリにノッてましたね。

──このへんで、質問の傾向を少しかえまして先生のプライバシーなどを……。 竹宮先生は、食べ物の好ききらいなんか、ありま?

増山 ないです。ほとんど。きらいなものをあげた方が早いな。……なっとうがダメなんですよ(笑) それくらいじゃないかな。果物類が好きで、ミカンなんてよく食べますね。あと、ケーキやなにかより、和菓子の方が好きなんですよ。

──甘党なんですか?

増山 甘い物も、からい物もよく食べますね。

──お酒なんかは?

増山 あ、それはダメです、酒、タバコ、一切ダメ。

──のめないんですか?

増山 全然ダメなんです。っていうか、慢性不眠症でしょ。一滴でも入るとパタッとたおれてねちゃうんですよね。だから、こう……いわゆるおつきあいでも絶対に飲ませないようにしているんですよ。パーティなんかでも、帰ってきたら、仕事が待っているわけでしょう? そこでパタッとねられちゃ困るんですよね。(笑)

──先生とケンカなんかすることあります?

増山 それはもう毎日ですよ。(笑) もうすごいですよ。 私とケーコタンていうのは、好みも性格も、白と黒程にちがうんですよね。ですからケン力の連続です。大体仕事のことで、ですけどね。

──仕事がおそい!とか?

増山 ええ、それはもちろんありますけど。何しろ、めちゃくちゃにおくれるという人ですから……天下の手塚先生より、またさらにおくれるという人ですからね、この人は……! でも一番ケンカするのは、やっぱり傾向というか……もう今回のはおもしろくないとか、絵が気に入らないとか、何でこんなくだらない作品を発表するのか……とか。何しろ会った当初からですからね。(笑)

──ケンカは、口ゲンカですか?

増山 いやー。 とっくみあいのケンカやったこともありますよ。一度や二度じゃないですよ。(笑) お互いに絶対にゆずりませんからね。私、も、ことマンガに関する限り相当キツイ方ですから。本当にケンカばかりしています。

──竹宮先生は、増山さんから見て、どういう性格だと思いますか?

増山 おおらかで、スケールの大きい人ですね。小心なところや、女のいやらしさ陰湿さ等は、全然持っていない人なんですが、悪くいうと、デリカシイに欠ける。作品を見ても。大胆ではあるんだけど、いわゆるデリケートなこまやかさっていうのはないんですね。大島弓子さんに見られるような、少女の心のひだにしみいるようなもの……っていうのはない。男性タイプっていうのかしら、ものの見方がちがうんですよね。人間、とか世界という観点に立って見るものだから。当初、私はまったく理解できなかっ たもの。(笑) 知りあったばかりの頃だったかしら。彼女がいきなり言うんですよね。『私は人間が好きだ』って。私がせせら笑いましてね。だって若い人がそんなこというと、なんだかおかしいでしょ。何てナマイキなことを言うんだろうって。(笑) でも今になって考えてみると、非常に正直なひとことで、その姿勢がずっと作品の中でつらぬかれているんですね。いわゆるこう……『生きる』っていうことにとても積極的な人で、めげる……とか、いじける......とかそういうことのキライな人なんですよね。時々鼻につくこともありますけど、私は彼女のそういうところに『強さ』を感じて魅かれるんですよ。


【OUT編集】このところ随分といろいろな雑誌が少女マンガの特集を組んだり、或は竹宮恵子に関する記事を載せた雑誌やら本が眼につきましたネ。そんなこともあって私たちOUTは、竹宮恵子論だとか竹宮恵子に直撃インタビューなんていう正攻法で竹宮恵子にアプローチするんじゃなく て、もっと違った(ひねくれた?)角度から竹宮恵子の実像に迫ってみようと思ったんです。(言い訳だったりして)となれば、十年近くもケーコ先生とほとんど寝食を共にして生活してきたマネージャーの増山法恵さんにケーコ先生について語ってもらうのが一番いいんじゃないかと、こうして増山さんにインタビューをしたんですが、いかがなもんでしたでしょうか?
ともあれ、インタビューを終ると、私たちは、この特集に使うための写真を見せてもらったんです。すると、「あ、これ『空が好き!』を描いてた頃のだわ」と増山さん。「この服、見覚え あるでしょ? タグ・パリジャンの着てた服ってみんなケーコタンの持ってた服だったんです」
サイン会などでケーコ先生が何故お姫みたいな格好をするのかと聞くと、「一度ああいう服を着てったら、次は何を着てくるかってファンに期待されちゃってね。本人は、ホントはあんな格好したくないのよね。でも期待を裏切っちゃ悪いでしょ」と増山さん。こんな風に写真をはさんでワイワイガヤガヤ、一時間で失礼する予定を、なんと二時間も座りこんでしまったのです。

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