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【岡田史子特別インタビュー:クイック・ジャパン】1997年12月01日
「岡田史子を忘れるな」特別インタビュー

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163106...


クイック・ジャパン vol.17
発売日:1997年12月01日
出版社:太田出版
http://www.ohtabooks.com/qj100/archives/017/



岡田史子を忘れるな
特別インタビュー
インタビュー日:1996年10月11日

「自分の中から描きたいものが吹き出してこないと、いいものが描けないんですね」聞き手:編集部

前号に引きつづき、60年代から70年代にかけて、『COM』誌上で斬新なマンガ作品を発表してきた伝説の人・岡田史子の作品を掲載した。「消えたマンガ家」(文・大泉実成・前号で終了)という企画を始めた時から、僕の中で、岡田史子という名前はずっと気にかかった存在の一人だった。高校時代、高取英氏が書かれていたマンガ評論で、初めて岡田史子の存在を知り、『ガラス玉』(朝日ソノラマ・絶版)という作品集に出会うことで、少女マンガに対する認識を180度改めさせられることになってしまったのである。『ガラス玉』には知性と速度と詩と、全てのものが結晶となって存在していた。誌上を借りて告白してしまえば、岡田史子は僕の一番好きな少女マンガ家なのだ。そんな人に会わないで「消えたマンガ家」を終わらせる手は無い!! と思い立ち、大泉さんと担当編集者北尾君に演説をぶちかまし、「消えたマンガ家」三巻のボーナス・トラック(書き下ろしのこと)には岡田史子以外の存在はないと力説し、北海道への旅費を捻出させたのでした。大泉さんは岡田史子のことを知らなかったようですが、NTT出版から刊行された二冊の作品集を読み、その抽象度の高さに驚いていました。このインタビューは『消えたマンガ家』第三巻(絶賛発売中)収録の翌日、札幌グランドホテルで行われたものの一部です・ぜひ併せてお読みください。(編集部・赤田)
  * *
岡田史子 今、マンガ家として作品を描く気ないんですね。二年前、『COMICアレ!』(マガジンハウス・休刊中)に作品を投稿したんですけど、原稿は返却されました。マンガを描こうというキッカケになったのは、二年前の離婚なんです。離婚して、一年くらいブラブラして、食い詰めたものですから、どこかにお勤めしようと思ったんですけど、身体が弱くてお勤め出来ない。自分にできることはマンガを描くことしかなくて、その時『アレ!』が新人賞を公募していたから、仕事としてマンガをやっていこうかと考え、30ページのマンガを送ったんです。火曜サスペンス風の、ヤクザと関わりのある女が傷つきつつ強く生きていくという話を。そしたら、選者のひとり、竹宮惠子さんから手紙をいただきまして。作品自体の出来が良くない。あなたはマンガ界の現状を知らなすぎるようですと書いてあった。それでマンガ家への道はあきらめたんです。私のマンガ家生活は、それで終ったんだと思いますね。今は、一年ちょっと前から、保険外交の仕事をやってます。もうおばさんですから、やとってくれるところが保険会社しかなかった。疲れますよね。重い荷物を持って、一軒一軒家を歩きまわる仕事ですから。暑くても寒くても歩かなきゃなんないんです。私は内省的な人間ですから、今の仕事は向いてないと思うんです。11月に査定があるんです。これまで何とか上司がかばってくれてますけど、ノルマが達成出来なければ、会社を止めるかもしれません。マンガ描くのって、ものすごく面倒くさい作業ですよ。肉体労働ですからね。若い頃は肩凝りなんて知らなかったですけど。子供産んでからは肩凝りに悩まされて、針打ったりしながら描いてましたから。相当ひどかったですね。頭痛、歯痛……。今の仕事を続けてたら、何も描かないと思います。そんなに忙しく働いているわけじゃないんですけど、重たい荷物を持って歩く仕事なものですからね。保険の資料を一揃い持って歩くんです。文章ですか? 文章ねえ……書きたいですけど、あんまり才能ないんじゃないかな。この本(岡田史子作品集/NTT出版より刊行中)が出ることになった時、なんか急にものすごい創作意欲が湧いてきたんですよ。そして、四方田(犬彦氏/岡田史子作品集を出すため、尽力した評論家)さんという人が、もしマンガ描くのが無理で文章でも書くなら、発表できるようにお世話しますよ、みたいなことを言ってくれてたんで、矢継ぎ早に、いろんな文章を書いたんですね。けど、今読んだら、つまんないものばっかり(笑)。前は、マンガを描こうとすると、やむにやまれぬ感情が吹きあげて出てきたんです。私は依頼を受けて描くっていうのは苦手でね。やっぱり自分の中から書きたいっていうものが吹き出して来たものじゃないと、いいもの描けないんですよね。だから(『COM』の時代に)何回か編集部に依頼を受けて描いたあと、自分の方から企画を持ち込んで、これこれこういうもので何ページのものを描きたいんだけど、って感じで話して、「じゃ、やってみたら?」というようなことでやってました。私、高校生の頃から実存主義に走りまして。なんか人生の不条理っていうんですか、そういう問題に対して問いかけるっていうか、そういうことがマンガを描くきっかけになることがありましたね。生きていくって、どうしてこんなに大変なんでしょうか? っていうような問いかけを。今は、それを神様に問いかけてるから、マンガを描く必要がなくなってしまったんです。(1996年10月11日 於・札幌)
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*現在QJマンガ選書編集部では、岡田史子未発表作品集を限定出版として刊行予定中です。問い合わせ・・・・・・

岡田史子プロフィール●1949年、北海道静内町に生まれる。1967年、手塚治虫主宰のマンガ誌『COM』で鮮烈なデビューを果たし、読者の熱い支持を受ける。1972年、北海道に帰り、その後結婚(現在は離婚)。愛猫とともに札幌在住

まとめサイト補足:2005年04月03日、永眠。享年55歳。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E...

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