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【月刊OUT:竹宮・増山・N子インタビュー】

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/166235...



月刊OUT-1979年01月号「竹宮恵子特集」
発売日:1979年01月01日
出版社:みのり書房




当該インタビューより抜粋
竹宮 少年愛ものにしても「空が好き!」が成功したからこそ「風と木の詩」を描かせてもらえるようになったんです



「月刊OUT-1979年01月号」45-48ページ
竹宮恵子先生の仕事部屋におじゃましちゃった!!
(図版に続いてテキスト抽出あり)







竹宮恵子先生の仕事部屋におじゃましちゃった!!
註:発言者名表記について→取材者を「OUT」、「竹」を「竹宮」、「増」を「増山」、「N」を「N子」と表記しました


新宿のマジソンというテレフォン喫茶でカメラマンとOUTの編集者と打ち合せをしていると、ぼくの胸の中で急に、恍惚と不安が時速100km位のスピードでぐるぐると回転しはじめたんだ。なぜって、あの竹宮恵子先生に本当に会えるんだぜ。興奮するなっていったってムリな話さ。ぼくはまるで夢の中にでもいるような気分で、まだ信じられなくってほっぺたをつねってみたらやっぱり痛かった。

それより一週間ほど前、OUTの編集の人から体験記シリーズで竹宮恵子のアシスタントをしないかって言われた時はほんとにびっくりしたよ。でも最初はぼくは「できない」って言ったんだ。だって、いくらぼくが竹宮マンガの大ファンだといっても、マンガを描いたことなんか一度もなかったんだ。それでもかまわないって言うからぼくはか細い声で「はい。やります」って答えたんだ。むろん内心は飛び上がりたいほど嬉しかったよ。

あっという間に時間が経ち、泉屋で差し入れのケーキを買うと、竹宮先生の仕事場(トランキライザープロダクト、略してトラプロ)のある町へと西武新宿線で向かったんだ。あの時、電車の窓から見た新宿の街がいつもよりさらに賑やかに思えたのは、きっとぼくの気持の昂ぶりがそう思わせたのに違いない。

駅に着いたら二時きっかりに電話をするようにとトラプロのマネージャーの人に言われていたんでぼくは二時きっかりに、つまりほくの時
計で二時〇分〇秒に電話ボックスを占領している女子高生をかき分けて電話したんだ。

電話で道を教えてもらい、ぼくらはめざすトラプロに着いた。出迎えてくれたのはマネージャーのM女史だ。Mさんは大きなメガネをかけていて、はきはきと喋る明るい女の人だ。大きなスカートをはいて、足をちょこまかと運ばせながら働き蜂のようによく動くMさんの姿はすてきに個性的なんだ。ぼくらはそのMさんに導かれて仕事部屋に入った。大きな部屋は竹宮先生の個人的な仕事部屋といくつかの机が並んだアシスタントの人たちの仕事部屋が本棚で分けられていてアシスタントの部屋の端には二段ベッドが置かれていた。ぼくらはその二段ベッドの一段めに座って竹宮先生が現われるのを心待ちにしていたんだ。見まわすと、部屋はきちんとかたずいているし、三人の女のアシスタントの人たちものんびりとくつろいでる感じなんだ。

マンガ家の仕事部屋というものは、猛烈にあわただしい修羅場のような光景なのに違いないと想像していたぼくにとっては、なにか拍子抜けしたような気持がした。聞けば、竹宮先生はまだ「風と木の詩」の原稿の下絵が完成しておらず、みんなは下絵が出来上がるのを待っているそうなんだ。Mさんに言わせると先生は、「とにかくネーム(ふきだしの中の言葉)にすごく時間がかかる人」なんだそうで、そうならば当然下絵も遅れてしまうわけだ。し、しかし、すると今日のアシスタント体験記はいったいどうなるんじゃろう、と心配していると、その代り先生が大事な時間をさいてインタビューに応じてくれるというんだ。

ってなワケで、竹宮先生とMさんとアシスタントのN子さんを対してぼくのしどろもどろの即席インタビューということになったんだ。

さて、わが憧れの竹宮先生はというと、あの公の席やよく写真で見かけるあのおそろしく派手で非現実的ともいえるスタイル(先生ゴメンナサイ)とは全く違って、横縞のタートルネックに渋いグリーンのパンタロンという格好で現われたんだ。まぁ、当り前といえば当り前のことだけどね。竹宮先生を最初に見た瞬間、ぼくは気難かし気でとっつきにくそうな人だなあと第一印象で思ったんだけど、話しているうちにそんな印象は吹っ飛んでしまった。実際の竹宮先生は四国出身の人らしくちょっとおっとりとしたアクセントでにこやかに話す、ちっとも気どったところのない気さくな人柄の人なんだ。一応今日来た目的がアシスタント体験記ということなのでぼくはアシスタントのことから聞きはじめた。


OUT アシスタントの方は、今、何人ですか?

竹宮 正式には二人です。このN子ちゃんと向こうにいるJ子ちゃん。非常時には三・四人になることもあります。

OUT お二人の年令は?

N子 あたしが23でJ子ちゃんが18です。

竹宮 二人ともアシスタントになって二年位かな。

増山 アシスタントとして彼女たちで四代めなんですが、専属のアシスタントを持つようになって四年位しか経っていません。だから比較的最近のことなんですね。

OUT お二人はどんなきっかけで?

N子 わたしは少女マンガの雑誌に竹宮先生のアシスタントの募集の記事が載っていたんで応募してみたんです。竹宮先生の大ファンでしたから。でも本当になれるなんて思ってもみませんでした、運が良かったんです。わたしは。

OUT マンガはけっこう描けたんでしょ?

N子 それが全然描いたことなかったんです。ペンも握ったこともなかったんです。

OUT そうなんですか。でも驚いたなあ……。

竹宮 むしろペンも握ったこともないような全く最初からはじめるような人の方がいいんです。わたしも最初のうちはまんが家になるという意欲を持った人をとるべきなんじゃないか、と思っていたんですけど。現実にはそういう人よりはむしろ全然描けなくても自分の作品を好いてくれてる人の方がいいんです。むろん、憧れだけじゃだめですけど。

増山 絵のかなり描ける人というのは、自分なりのクセみたいなものがどうしても身についてしまってるし、人間的にも我が強いというか問題があることが多いんです。だから、たいがいあまり長続きしないんです。

OUT J子さんは?

竹宮 彼女はサンルーム(竹宮恵子後援会)の会長を三年間やっていて、それで知ったわけです。三年間友だちとして付き合ってみたら、この人だったら一緒にやっていけるだろうと思ったんです。

OUT ということだと結局、アシスタントの条件みたいなものはどういうことになるんですか?

竹宮 要するに絵の面での技術的なことじゃなくて、その人の人柄が一番重要なことなんです。その点が少年マンガと少女マンガのアシスタントの非常に違うところなんです。少年マンガの場合だと、アシスタントは使う方も使われる方もビジネスライクなものとして割り切ってやってることが多いらしいんですけど、少女マンガの世界だと、よく言われるように、一つのコタツにみんなで足をつっこんで仕事、っていう感じがすごくあるんです。ビジネスっぽくないんです。だから人間的に肌が合うか人間としてどう関わっていけるかということが一番問題なんです。他の少女マンガ家の人たちからよく聞くことなんですが、アシスタントが自分とウマが合わないような場合、人間的な葛藤で非常に苦しんだり悩んだりすることがあるわけなんです。だから何らかの形で人間的に結び合っていけるような人じゃないとダメなんですね。ウチの場合は特にそうなんです。

OUT 絵の方は

竹宮 絵は一年もみっちりやればなんでも描けるようになっちゃいますよ。それに個性がプラスされるようならば、十分プロとしてデビュー出来る位のところまでになれます。

OUT へぇー。意外だったなぁ……。アシスタントの人にお聞きしたいんですが、苦労話なんてありますか。

N子 それがあんまりないんです。だから他のマンガ家のアシスタントの人から、随分大変だ、ということを聞いてもちょっとピンとこないんですね。すごく恵まれてるんですね、きっと。ウチの場合、なごやかで楽しい雰囲気で仕事をしていますし、先生はどんなに締切りがせまっても決してヒステリーを起こしたりなんかしないんです。むしろわたしたち回りの人間の方がヒステリーを起こしちゃったりね(笑)。それにわたし自身性格が楽天的なもんですから。苦労話といってもせいぜい今みたいに先生の下絵が完成するまで待機していて、それが時間がかかりそうなのでその前に寝ておこうと思って、寝る準備を整え、ベッドに横になってさあ寝ようという瞬間に先生が「N子ちゃーん!仕事!」 なんて呼び声がかかったことぐらいかな(笑)。

OUT 竹宮先生はそんなにネームと下絵に時間がかかるんですか?

増山 いつもギリギリです(笑)。

N子 だから、実際アシスタントとしての仕事がはじまるとホッとするんです。後はスムーズに行きますから。それまでが緊迫した重苦しい雰囲気に包まれるんです。

OUT 叱られたりなんかしますか?

N子 いいえ、ありません。先生は気が長いというかめったにおこったりすることのない人ですから。だから苦労なんてないんです。

増山 大変といえば、外国旅行の時ですね。彼女は旅行があるからといっても決して描きだめの出来ない人ですから。絶対に旅行の日程に仕事がくいこんじゃうんです。この間のヨーロッパ旅行の時なんかも本人だけ一週間遅れて行きましたしね。向こうへ着いてからがまた大変で観光どころかホテルでマンガばっかし描いてるんです(笑)。

OUT 仕事をしに外国までわざわざ行くって感じですね。

増山 まったくその通りですよ。非常事態のために日本でアシスタントにパスポートを取らせて待機させておくんですから。いざという時に日本からヨーロッパにアシスタントにこられるようにね(笑)。

OUT 原稿取りもそうなると大変ですね。

増山 増大騒ぎですよ。一度でいいから仕事のない旅行がしてみたいなあって思います。

OUT 失敗談なんかありますか?

N子 ドジは日常みたいになってます(笑)。この間、やっとペン入れの終った原稿がどこを探してもないんですよね。どうやら風に飛ばされて窓から外に落ちちゃったらしいんです。ショックでみんな息をのみました。夜だったから、探してもみつからないんです。そしたら、次の日は雨が降ってて……。もうだめだと思ったら、親切な人がとっておいてくれました。

OUT 話は変りますけど「地球へ」の今回の連載はどの位の期間ですか?

竹宮 10ヶ月位だと思います。

OUT 少女マンガの中に竹宮先生のようにSFものや少年愛をあつかったものを持ちこんだということは大変なことだったと思うんですが?

竹宮 それはやはり大変でした。新しい傾向のものやそれまでになかった内容を盛り込んだ作品というのは、やはり非常に警戒されますし、最初はまずは受け入れてもらえません。実績をつけてからじゃないとダメなんです。例えば少年愛ものにしても「空が好き!」が成功したからこそ「風と木の詩」を描かせてもらえるようになったんです。だから自分の描きたいものを描かせてもらうにはかなり遠廻りをしなきゃ出来ないんですね。

増山 だから正直言って編集者との戦いって感じでしたよ。二十四年組(竹宮恵子、萩尾望都、樹村みのり、大島弓子)と言われる人は皆同じ苦労をしているはずです。

OUT でも結局そういった人たちが今となっては少女マンガを代表するような描き手になってるわけですよね。

竹宮 そうですね。だから少女マンガ家を志す人に言いたいのは、少女マンガはこれこれこういうもんでしかないっていうような固定観念にとらわれる必要はないということなんです。どうしても自分の表現したいものがあるのなら、それが今までの少女マンガにはないものであってもどんどんぶっつけていくべきですよ。諦めちゃダメね。

OUT そうですね。それでは今日はどうもお忙しいところをありがとうございました。

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