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【原作者名の公表:竹宮惠子・1988年】
ペーパームーンコミックス版「変奏曲」あとがき(竹宮惠子:38歳)

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162528...



変奏曲(1)ヴイレンツ物語
出版社:新書館
発売日:1988年02月01日


変奏曲(2)アンダルシア恋歌
出版社:新書館
発売日:1988年04月01日


変奏曲(3)皇帝円舞曲
出版社:新書館
発売日:1988年06月01日




「彼女・親友Mのために」竹宮惠子
(図版に続いてテキスト抽出あり)







「彼女・親友Mのために」竹宮惠子

いったい何から書きはじめるべきなのか本当に困ってしまう。
何のことかって?

表紙を見て「!?」と思った人、思わなかった人、様々だと思うのですが、おそらくは前者のほうが多いことでしょう。そう、この『変奏曲シリーズ』は原作者名つきなのです。

このシリーズは発表されて以来、豪華本、新書版、もう一度新装の新書版、そして再度この新書館でのハード・カバーになり、つごう四回の刊行をされたことになります。そのつど、新しいファンも増えましたが、最初の刊行時のファンの方々もちゃんと見ていてくれて、アレコレ手紙で「前の装丁のが良かった」とか、ファンレターで知らせて来てくれたりしているのを私は良く承知しています。なのに、どうして再度のハード・カバー刊行になったのか。それはひとつにには、スタイルを変えると読者が新しく増えたりする、という理由があります。ですが、この度のは私にとって特別な、別の意味があったのです。それは、原作者名をこうしてあきらかにすることでした。

彼女、増山のりえの名前は、昔からのファンの方々なら結構知っている人も多いはずです。彼女は私がまだ新人2年めの頃から、私の友人であり良きアドバイザーとなりました。そして、昭和50年から54年までの間は、私のプロダクションである「トランキライザー・プロダクト」にマネージャーとして在籍していました。その後は独立して、私のブレーンという存在になっています。

私と彼女は、私が新人2年めの頃に漫画の同志として知り合い、「良い作品とは客観性のある主観である」などと、わけのわからないムツカシイことを日夜話しあう仲になりました。私はその頃、自分の暴れ馬のような構成力をいかんともしがたく、時には、〆切が来てもネームにつまって先へ進めない、という事態に陥ることがあって困っていました。そういう時に気やすく話せる打ち合わせ上手に編集者さんがいるとうまう助けられたりするのですが、当時私は若くてツッパリで、無論のこと打ち合わせ上手ではありませんでした。そこで彼女と協力してストーリーを構成してみる、という共同姿勢を思いついたわけです。今にして思うと、藤子不二雄両先生の姿勢ととても良く似ている形ですね。藤子先生は、今お2人の共同制作を解かれましたが、機を同じくして、私も増山のりえの名を、この『変奏曲』において発表すべきだと思い立ったわけです。なぜ今までそれをしなかったのか、のりゆうは、彼女が長らく「NO」と言い続け、機会を逸していた、というのが大きな原因です。その他には、当時原作つき作品は、私のファンに全く好まれないものだったので、私も彼女も、その偏見によって傷つくのを怖れた、という精神的理由もありました。

私と彼女の初めての共同制作作品は『ロベルティーノ!』です。彼女はそれを「原作」と言っていますが、彼女の場合、基本的に文章を書いて渡す、という形をとりません。口頭で伝えることによって、私との間に共同制作的な部分が生まれ、制作中、ペン入れ中にも、彼女とのやりとりが続いたりするために、正しく「原作」と言えない部分が多くなってしまうのです。だから藤子先生的共同制作、というのが一番正しいのでしょう。しかし彼女は絵を描きません。その点では藤子先生と同じ、とも言いかねるわけです。そして長い間、彼女が表舞台に出る機会は逃され続けました。もちろん私は、彼女との共作のほかにオリジナルを描いているので、「竹宮惠子」の名前を、2人一緒に使うというのも不自然でした。彼女がトランキライザー・プロダクトの一員である時にはともかく、彼女が独立してしまってからは、何とか早く、その機会が来ないもんかと考え続けていたのです。そこへ、新書館から『カノン』を出す話が生まれ、私は早速便乗して、新しく『変奏曲』を化粧なおしするとともに、彼女の名を発表することを申し入れました。なぜ『変奏曲』に対してそうすることにしたかというと、私にとっても彼女にとっても、この作品は一番「原作」と呼ぶにふさわしいものだったからです。この作品は、私が彼女と出会う前から彼女の中にあり、ウォルフが死んでしまうまでのストーリーは完全に出来あがっていました。それ以降のカノンシリーズが、私と出会ってからのストーリー展開です。他の共同制作作品では、私のオリジナリティが掛け合わされ、編み上げられて出来あがっていくのに対して、『変奏曲』の基調は、ほぼ、と言っていいくらい、彼女の色に統一されています。私は漫画化にあたっての翻訳家的立場でした。彼女は「原作」を書いてはいませんが、それに等しい細かさで、ディティールを説明することができたのです。この点が、他の彼女との共作品と比べて一線を画している点でした。

『ファラオの墓』を発表し、『風と木の詩』『地球へ…』と続く作品群を出していく中で、『変奏曲』は強力な私の後押しになってくれました。特に『風と木…』を連載するにあたっては、ホモ・セクシュアルという、少女漫画にとって多少問題アリ、のテーマをとりあつかわなければならず、『変奏曲』は(少々その色ありとはいえ)かなり真面目な本格的音楽ものだったので、私は色めがねでしか見られない不幸な漫画家にならずにすみました。いえ、もちろん、それでも一般的には、ちょっとしたレッテル持ちの漫画家だということは充分承知しているつもりですが。

私の作品の中で、クラシック音楽が色濃く出ているものは、たいていが音楽学校出身の増山の知識によるところが大きいのです。たとえば『ウィーン協奏曲』『アンドレア』『アウフ・ヴィーターゼーエン』などなど。私には全くその資料知識はありませんので、私はいつも、サイン会等々でファンの方からクラシック音楽についての質問をされるたび、乏しい知識でお答えし、「これでいーんだろーか」「えーい、増山が答えてくれればこんな苦労はしなくてすむのに」と、悶々としたものでした。これらの作品の中でも区分けをすれば、『ウィーン協奏曲』は、あたかも私の体験談のように描かれていながら、むしろ「原作」と呼ぶに近い彼女の発想展開ですし、また『アウフ・ヴィーターゼーエン』は『アンドレア』に比べて、ずっと少年性を問題にした部分が多く、これは私の発想に近いでしょう。

この機会に2人で検討して、いったいどこからどこまでが、どちらの発想なのか、明確にしようなどという無謀な試みもしてみましたが、互いに忘れた部分もあり、結局確認は不可能でした。多くのファンは、我々の共作の事実を知ると、どの作品がだれの、と分けたがるようですが、我々としては、音楽ものは増山、というような漠然とした分けかたしか、しようがないのです。『私を月まで連れてって!』などは、一話ごとに、担当さんからネタをもらったり、アシストさんたちとの冗談から出来あがってしまったり、もう色々な素材(モチーフ)さがしのパターンがあって、ほとんどパロディのりで創っていました。私は少年漫画的大河ドラマ風展開が好きで、彼女は細かいディティールにこだわる少女漫画的詩文学調が好き。私は自然派で動物好き、彼女は都会派でアンティーク好き。SFの機構的な部分は私で、ファンタスティックな部分は彼女、といった具合なので、適当にご判断下さい。ファンタスィの部分では、『夜は沈黙の時』が彼女に近く、『真夏の夜の夢』は私が見た夢をなぞったもの、というふうになっているので、私も夜見る夢の中では、結構ファンタスィなところがあるのだな、と感心したりしました。意外なのは『遥かなり夢のかなた』で、これは私。あんなファンタスィの装いをしてはいても、昆虫世界とのファースト・コンタクトもの、という点で機構的作品なのかもしれません。ちなみに、終笛(オルフェ)シリーズは少年性が強く、したがって私の作品です。

いやはや、これをやりだすと全くキリがありません。

しかし、こうして発表されてみると、「竹宮の他の全作品は嫌いなのに、何故『変奏曲』だけ好きなのだろう」とか、「音楽ものは好きだけどSFはちょっとわからない」などという方々には何が原因であったのか良くご理解頂けたと思います。そう、そんなあなたへは、たぶん、ただの竹宮惠子を好きなのではなく、プラスアルファつきの、増山バージョン竹宮惠子が好きなわけです。

彼女は今、独立して、エッセイとは、レポートとかの文章を書く仕事をしていますが、本来彼女は文章を書くより口頭で伝えることに意欲的ですし、またそのほうが、より彼女らしいセンスも出ますので、私と組んでやったような形でストーリーを構成する仕事が向いているでしょう。もっとたくさん、その機会があればいいと思います。私は自分の作品もあるし、彼女の創作の泉から湧き出る全てを汲みとるわけにもいきません。彼女の才能を使えるな、と思う人がいたら、ぜひ交渉してみて頂きたいと願っています。小説を書いているけど構成力に自信がない人、漫画家になりたいけど、話づくりがダメな人、彼女の言葉にのせられて、天才になってみたくはありませんか。

彼女って、そういうことが得意な人なんですよ。



「変奏曲」あとがき2種:1980年・1988年
 【「変奏曲」あとがき:竹宮恵子・1980年版】
 【「変奏曲」あとがき:竹宮惠子・1988年版】
   【原作者名の公表:竹宮惠子・1988年】
   【「変奏曲」あとがき:増山のりえ・1988年】

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