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【光瀬龍:孤独と情念の子・萩尾望都】
テレビランド増刊イラストアルバム6 萩尾望都の世界


テレビランド増刊イラストアルバム6 萩尾望都の世界
出版社:徳間書店
発行日:1978年07月30日


資料提供
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孤独と情念の子・萩尾望都:光瀬龍
(画像に続いてテキスト抽出あり)




孤独と情念の子・萩尾望都:光瀬龍

萩尾さんの作品はどれも好きだが(どれも好き、などというのは、なんだかいいかげんなほめかたをしているようで、どうもよくない。そこで)とくに心に残っているものを二つ三つとり上げてみると、
  『爆発会社』
  『三月ウサギが集団で』
   イラスト詩集の中の幾つかの詩と画
ということになる。
『爆発会社』は、かの女の作品の中では初期の系列に属するものであろう。主人公のデビィクロケットは、底ぬけにあかるく、天衣無縫で、世の中にこわいものなしという少女だ。萩尾さんの作品にでてくる人物の中で、私がいちばん好きなのはこの子だ。

だいたい、人に愛されたり好かれたりすることに馴れっこになっている女の子というのはこういうもので、それが邪気満々ともいうべき魅力になっているといえる。そのデビィクロケットは、萩尾さんの作品に登場してくる少女たちの、いわば原形であり原点だったと思う。
やがてかの女の作品の中から、デビィクロケットのような少女は姿を消してゆく。
これはすこぶる暗示的なことだ。

このことは、私が『三月ウサギ』に興味を持つ理由でもある。
この作品の中の男の子や女の子は、なんともそうぞうしく、ガサツなほどに元気がよいのだが、この作品にのぞいている悲哀の翳はどうしたことなのだろう? 作者が、どこかへ置いてきてしまった自分の青春前期の想い出によせる哀惜の傷みなのだろうか? ドラムをたたき、ギターをかき鳴らして唄う少年たちに、作者はかぎりなく近よろうとしては近よれずにいる。この作品にはふしぎな燃焼がある。悲しみにせよ、傷みにせよ、この作品の中で、作者の心は実にいきいきと動いている。
この作品はとってもいいぜ。萩尾さん。
この「爆発会社』と『三月ウサギ』の一篇だけで、私は萩尾望都論が書けそうな気がする。

「少年よ」というイラスト詩集の中の、スペース・マンをテーマにした詩と画がいい。
『恋人へ』、『別れ』、『手紙』という三部作は、萩尾さんのイラスト詩集の中の、ひとつの頂点といってよいだろう。過ぎた愛を「今」の中にとりこめて静かに唄えるその心に、女の情念と静謐を感ずる。ことに、遠い日の父と母のはげしい愛情を、息子の口で語らせるその語り口に、作者の深い孤独をうかがうことができる。静謐は虚無の謂れか。

『三月ウサギ』は結局、ここまでこなければならないのだろう。
某SF雑誌で、私は萩尾さんと共作をつづけているが、この中にも、これだ、というような画が何枚かあった。SFのロマンを、つめたい情念の中でどう燃焼させ、再構成してくれるか。私は期待しつづけている。

ここで『百億の昼と千億の夜』にふれるベきだろう。原作が私自身のものだから、たいへん語りにくいのだが、実際、よくやったものだと思う。もともと視覚化することが難かしい作品ではあり、週刊誌に連載しているときの七転八倒ぶりと呻吟は知っていた。だが別に助言も、げきれいもしなかったが、でき上ったものににじんでいる苦渋と悲惨な思いは、まさに戦いを感じさせた。萩尾さんは萩尾さんのやりかたで原作を完全にわがものにし、乗り越えたと思う。
私のへやに、かの女が描いた《阿修羅王》の像が掲げられている。その絵の中に燃えている執念は、見る者をして戦慄させる。その像は、実はかの女自身なのだ。そして、その画を私にくれてから、かの女は『百億の昼と千億の夜』にとりかかったのだった。

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