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【山本順也さんのお話を聞く会】
2008年03月08日
朝日カルチャーセンター新宿教室「少女マンガの力の秘密」
山本順也 (元小学館編集者)
聞き手:ヤマダトモコ


朝日カルチャーセンター新宿教室「少女マンガの力の秘密」参加者リポート(1)

2008年03月09日 mixi日記(全体に公開)より
https://open.mixi.jp/user/137593/diary/739404070


ヤマダトモコさん司会進行で、伝説の名編集者、山本順也さんのお話を聞く機会がありました。めったに表舞台に出てくることがないのが編集者の常なのでしょうけれど、編集者業は引退されたということもあり、いろいろ貴重なお話を聞くことができました。
山本さんの簡単な略歴はこちらになります。
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2004/merit/yamam...
(注:上記リンク切れています)
例によって、ずいぶん意訳あります。固有名詞があやしいところもありますし、抜けも多々あると思います。フォローいただければ幸いです。

まずはじめに、ヤマダさんが担当されてる「少女マンガパワー展」の経緯から。徳さんから全米で少女マンガ展を巡回したいという相談があったときに、原画をお借りするのにマンガ家さんに直接交渉してもまず難しいので、マンガ家さんが信頼してる編集者から依頼してもらったほうがよいとサジェスチョンしたことなど。

それから、山本さんの話へ。小学館へ入社して、まずは婦人誌「マドモアゼル」に配属され、その後絵本の編集に携わり、そのときに「ジャングル大帝」復刻版を担当して手塚治虫先生と知り合うように。順番がまわってくるのは遅く、手塚邸で待つ間、奥さまにもお世話になり、またマコちゃん(2歳くらい?)の相手もしてたそう。自分自身は世代的にもマンガとは無縁で育ったけれど、手塚先生と話すうちに、マンガの中のジャーナリスティックな波を感じて面白いと思うようになったこと。

当時、小学館は学習雑誌、学年誌がメイン。マンガなど娯楽関係は集英社にまかせればいいという考えだった。少女マンガ誌も他社と比べて遅く、68年に「少女コミック」が創刊される。しかし、創刊に際して編集スタッフを用意してくれるわけでもなく、まず作家さんもいない。集英社からもひとりも紹介してくれなかった。この頃は女流マンガ家を出版社が専属にして抱えてる時代だった。山本さん自身がすべていろいろ手配するしかなかった。学年誌の4・5・6年生対象の女の子マンガを描いてる作家さんを連れてきて描いてもらうことに。

少女マンガ家の絵の区別ができなかったので、目だけ切り抜いて見分けがつくように勉強したこと。ただし、COMなどに描いていた、作家性の強い女性作家の作品だと区別がついたそう。虫プロの山崎さん、秋田書店の壁村さんとも懇意になり、峠あかね(真崎守)、永島慎二ほかの方々とも知り合う。細川知栄子(智恵子)読みなよと言われたり。その頃すごいなと思った少女誌はりぼんコミック。小長井さんがいらした頃でしょうか。

自分では作家を育てたとは思っていない。環境さえ整えば、作家は自ら育つもの。女性は最初から自分の世界をもってる人が多い。またやっぱり当時の読者が凄かったと思う。
別マ、おしゃれなりぼん、地に足のついたリアル指向の講談社が少女マンガ誌をリードしていたが、集英社と同じ作家をもってきてもつまらない。どうせならライバル誌から作家を引き抜いてこようと思ったこと。萩尾望都、竹宮恵子が講談社でボツになったものを全部載せた。大島弓子は『誕生!』のときから凄いと思っていて、何年かのちにマーガレットから少女コミックへ。大島さんは直接の担当はしていない。
少女マンガの編集をまかされて、自分が面白いと思ったものをまさに独断で載せた。小学館の中でもワキにいたからこそ、好きに自由に自分の思うようにできたこと。ちゃんとした体制だったらできなかった。いろんな実験をしてるようだった。まさに隙間だったと思う。「自分の趣味で出してる」と周囲に言われてたと思う。あいつと一緒に仕事したくないと思われてたろう。最初の頃は週コミも別コミもほとんどひとりでやってた。それでも、永島慎二、真崎守、宮谷一彦、他方面からも少女マンガ注目されるようになっていた。

作家の描きたいものは最初から色々聞いている。
竹宮恵子の『風と木の詩』のモチーフは、大泉サロン以前の初期の頃から聞いていた。びっくりしたけど、今、世の中に出すのは無理だしまずいから、自主出版で出すしかないだろうと最初答えたそう。
萩尾望都は当初人見知りで、下を向きながら「SFが描きたい」と言われた。しかし、山本さんはSFに興味がなく全然わからなかったので、SFマニアの外注スタッフのつてで、いろいろSFを教えてもらった。萩尾作品初期はSFというよりはFF(ファンタジーフィクション)だった。そういえば、『遊び玉』の原稿が紛失したのは俺のせいだということになってるけどな、とか。

74年初の単行本化について。「少年サンデー」でも苦戦してる時代だった。上司に呼ばれて、1年で1万部売れなきゃ駄目と言われた。萩尾望都の『ポーの一族』と上原きみこの『ロリィの青春』が候補にあがり、最初はポーを選んだ。そしたら、あっというまに売り切れた。みんな待っていたのだった。世の中が動いていたし、マンガもそれに同調していた。ポーがメチャ売れたので、週コミで人気のなかった『トーマの心臓』も最後まで連載を続けることができたのだった。作家がどういったペースで仕事をすると完成度の高いものをつくるか、タイプがある。
週刊のキャパだったのは竹宮恵子や上原きみこ。月刊ペースは萩尾望都や大島弓子。

萩尾望都の第一期作品集(通称赤本ですね)、77年に刊行。他の出版社にニラみがきいていたのか(笑)、他社で発表された作品も入っている。
赤本、緑本(竹宮)、青本(上原)の作品集のこと。上部に出させてくださいとお願いした。売れるという確信があった。萩尾第二期作品集はSFがメイン。

山本さんには少女マンガ編集でない空白の3年がある。ビックコミックオリジナルに異動の時期があった。そのときには萩尾望都に『十年目の毬絵』を描いてもらった。面白いことに、少コミの作家たちが他誌で活躍してる時期と重なります。作家さんがついていく編集さんは何人かいらっしゃいますが、山本さんの場合もまさにそう。
3年ぐらいしてまた少女マンガ誌にもどり、「プチフラワー」「フォア・レディ」をたちあげる。フォアレディでは牧美也子、竹宮恵子、倉多江美、水野英子、土田よしこ等。ヤマダさんがおっしゃるように、作家さんにとって後に残る作品、代表作を描かれる場を提供されてるのでした。

(長くなったので、ふたつにわけます)


朝日カルチャーセンター新宿教室「少女マンガの力の秘密」参加者リポート(2)

2008年03月09日 mixi日記(全体に公開)より
https://open.mixi.jp/user/137593/diary/739405477


萩尾望都にしろ、他の作家にしろ決して出だしは順風満帆ではなかった。人気が出るまではさんざん叩かれた。また最初の講談社の元担当さんにしろ、集英社の倉持さんにしろ、一生懸命親身になっていたはずで、それと社内的な問題はまた別。ただ、手塚治虫、小松左京、ほかの作家さんからもエールがあったし、自分には売れるという確信はあった。

以前、『トーマの心臓』の扉絵がTVの鑑定団に出てたのでビックリ。連載当時、雑誌での人気が低迷してたので、アンケートをあげるために読者に扉絵プレゼントしてたもの。(有名エピソード)山本さんはそのとき担当ではなかったので知らなかった。

山本さんは話を聞いていてもわかるように、編集者としては会社寄りではなく、圧倒的に作家寄りであること。出版社が企業として拡大したとき、編集者もまた様変わりしたとおっしゃってました。
作家はふつうのサラリーマンの3倍は稼がないと生活が成り立たない。以前『橋のない川』の住井すゑが遊びにきたとき、新潮社の専属だったが、旅行から観劇からすべて費用を出していた。昔のマンガ業界の場合、専属といってもせいぜい家賃、そして原稿料を支払い、あとは拘束するだけだった。自分は専属制度は嫌いだからしてない。高橋亮子が別な雑誌に描いたとき大変恐縮してたけれども、全然かまわない。
いかにいい作品を描いてもらうか。自分は面白い作品を読みたいし、他誌にうつってもいい。作家をサポートするのが仕事だと思ってる。

会社を飲みつぶしてやると思ったが、自分がつぶれてしまった。2004年に呼吸器系で倒れ、10日間ICUに入り危なかったそう。4年間リハビリして現在だいぶ回復されたとのこと。

大学は日芸だったがあまり行かず、仲間と『釘と靴下の対話』をつくったこと。自主制作映画では有名らしい。安保の真っ盛りだった。
自分がかかわった少女マンガも新しい流れ、フェミニズムの流れは大きかったと思う。当時、マーガレットはレズマンガ、少コミはホモマンガと揶揄されたし、会社も周囲もあれでいいのかと言われたが、なにより読者が支えてくれた。

自分がいなかった間に週コミの『風木』が中途で終わっていた。この扱いはなんだと、会社に対する不満を感じた。それで、プチフラワーにきてもらって、風木を完結させた。(これは初めて聞いたので感動)作家に対してだけでなく、読者に対する責任もあるのだと。
人気があれば編集者の手柄、なくなれば作家のせいというのは間違い。

引退するとき、少女マンガ家たちが有志でお別れ会をしてくれた。そういう会は好きではないというのを皆知っていて、どうも秘密裏に進めていたらしい。そのときの集合写真のそうそうたるマンガ家さんの顔顔顔。そして、寄せ書きならぬ、山本さんとの出会いを1ページずつ割り当てられた、小冊子がまた素晴らしい。これは言葉にならないくらい嬉しい、編集者冥利につきるでしょうね〜。このあとの喫茶店でまた見させてもらいましたが、もっとじっくり1枚1枚拝見したい内容でした。しかし、一番多いセリフが「ヤクザみたい」「いつも酔っぱらってる」 ていうのが、なんともおかしい。

スタジオライフ『カリフォルニア物語』の話が出たあと、吉田秋生がいうところの「言ってもいいウソと、言ってはならないウソがある」は彼女のキーワードではないかと。(これは藤本由香里さんの著作インタビューでもおっしゃってましたが)昔は勢いで描いていたけれど、新作『海街ダイアリー』ではものすごく時間がかかるとおっしゃっていた話を披露して、2時間近くの講座はおしまいです。

いや、終わる前に質問タイムもあって、萩尾さんから山本さんへ絶縁状が渡されたことがあった経緯についての質問。答えたくないですが…と前ふりつつも、編集者のおごりについて話されてました。
またmoyoさんからは、再掲載された萩尾作品についての質問。ていうか、山本さんよりもmoyoさんのほうが情報詳しかったです(笑)。

そのあと、ロイホへ。8人メンバーだったので、4,4で分かれて座りました。私はヤマダさん、川原さん、たいまつさんの席。haneusagiさん、moyoさん、凸凹さんは山本さんと同席。その後、凸凹さんがご用ではずれて、山本さんと7人(後に6人)同席であれこれお話をうかがいました。
いろんな先生方の話(オフレコ話ですよね)があまりに広範囲で、時間のたつのを忘れてしまいました。萩尾さんのソ連で事故にあったときの話、水野英子さんとノルウェーでばったり会った話、竹宮さん、大島さん、岡野玲子さん、森脇真末味さん、池田理代子さん、武田京子さん、美内すずえさん、樹村みのりさん、山岸凉子さん(現ご住所について聞かれてしまった)、佐藤史生さん、文月今日子さん、岡田史子さん、高野文子さん、もとやま礼子さん、楳図かずおさん、(もっともっとたくさん!)話を聞きながら鼻血が出そうでしたよ(笑)。(先生つけてるとキリがないので、さんづけで許してね)『おごってジャンケン隊』のことをふったら、「あれ、ほんとに自腹なんだもんなぁ〜」とマンガと同じぼやき反応 (笑)。
外で他の人がいるときは、マンガ家さんの名前に先生や敬称をつけるけれども、ふたりで対面してるときは呼びつけであるとか、部屋に入れる範囲で、本棚をチェックしてたとか(今なんに興味を持っているのかを知るため)などなど。

moyoさんがおっしゃってましたが、あの頃メジャーだったマーガレットや別マ(だっけ?)を読んでた人たちは、いつのまにかマンガを卒業してしまったけれど、後発の週コミ、別コミ読者はずっとマンガを読み続けてると。ほんとにそうですね。

私は中学までは集英社系で、ぼちぼちマンガから離れつつあったのですが、高校生のとき、友だちから無理矢理借りたことによって、別冊少女コミックの黄金時代まっただなかをリアルタイムで経験しました。当時の別コミでは、竹宮さんのタグ・パリジャン、そのあと「変奏曲」シリーズ(もちろん週コミの「風木」も毎週読み)、萩尾さんの「ポー」後半の連載や「11人いる!」もあり、大島さんがものすごい勢いで短編中編を描いておられ、樹村さんの「見えない秋」や他短編作品、倉多江美『ジョジョシリーズ』、もう少し後に吉田秋生さんが出てくるのですが、たかだか1冊の月刊誌なのに、ひらくとそこには多様な才能と濃い未知の世界、夢のような世界が拡がっていたのでした。
そりゃ衝撃と影響を受けないわけがないじゃないですか。個々の先生がたの力はもちろんですが、大元締めである山本さんにその旨を話し、お礼を言う機会がもてたことに感激しました。少し興奮したのか手がふるえてしまいました。本当に感謝したい人に感謝の気持ちを伝えることができて、こんなにありがたいことはないです。

また山本さんの生い立ち、複雑な家庭事情のこと、日本映画のヌーベルバーグに惹かれて映画の道に入りたかったことなどなど、気がつけば、なんとロイホで7時20分まで。山本さんは昼からずっとお話してくださったのでした。お別れして私たちも突然疲れを感じたのですが(それと空腹)、体調がすぐれない山本さんはもっともっとお疲れだったことでしょう。申しわけなかったですが、こんな機会そうないと思うとどうしても聞かずにはいられなくて。帰っていかれる後ろ姿を思わずジッと見つめてしまう我々一同。

そのあとはお腹がすいていたので、別なマンガ研究家批評家プロ集団の方々と合流させていただきましたが、どうもメンバー的に私はパンピー過ぎましたよ。
それにしてもhaneusagiさんと久しぶり夜飲みかなと思い楽しみにしてたのが、中途半端な時間ということもあり、夕食前に帰られてザンネンでした。でも、たしかにあの時点で私ももう胸いっぱい、燃え尽きておりました…なのに空腹という。
そうそう、図書の家メンバーで贈られた、紫のバラは大層よい香りで美しかったですよ。ヤマダさんの胸にしっかと抱かれてました。ヤマダさん、皆さん、お疲れさまでした。この日は一生忘れられない一日になりました。ほんとにありがとうございました!




元編集者・山本順也さんのお話を伺う

2008年03月13日(個人ブログ)
http://mangalove.seesaa.net/article/89405662.html

 去る3月8日、朝日カルチャーセンター新宿にて行われた、
「少女マンガの力の秘密」と題した講座を聴きに行ってきました。
元小学館編集者の山本順也氏のお話を、
マンガ研究者で川崎市市民ミュージアムに勤務されているヤマダトモコさんが聞き手となって伺う、という講座です。
(以下、ブログに続く)

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