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【増山法恵:総論】1980年07月



少年少女SFマンガ競作大全集PART6
発売日:1980年07月01日
出版社:東京三世社

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164353...



少年少女SFマンガ競作大全集PART6
巻中大特集「花の24年組」
増山法恵:総論
(図版に続いてテキスト抽出あり)








増山法恵:総論

少女マンガ界に革命をもたらした24年組。その共通意識は、大泉サロンに原点を見出だせる。サロンの創立以来から関わってきた増山法恵が当時の状況から現在に至るまでを語ってくれた。


24年組とその周辺

24年組というのは有能な人材がたまたま重なったものだと言えま す。萩尾さん、竹宮さん、山田ミネコさん、ささやななえさん、山岸凉子さんといったところですが大泉サロンのメンバーでもあったわけです。木原敏江さんや樹村みのりさんは、大泉以後、つながっていくという感じですね。状況からいくと大島弓子さんも24年組に入るといっていいでしょう。24年組という総称は少女マンガ全体の中で、やや特異派といえますね。 個性派、ゲリラ派ですね。池田理代子さん、美内すずえさん等は、典型的少女マンガ派で、ゲリラ派ではないですね。既成の少女マンガのいろんな部分を打ちこわそうというのではなくて、純然とした形の中から個性をのばしてきた人達です。でも、そう言うと、木原さん、大島さんの初期のものも典型的な少女マンガ。ですから、こちら側から見ると、24年組とか騒がれ出した頃、あの方達も、ある日突然ガラッと変化をみせ、自分の個性を主張し始めたという感じがしますね。


大泉の創立

萩尾さんが、まだ大田にいた頃、私とペンフレンドで、萩尾さんが上京した折に、竹宮さんが手伝ってもらおうと思い、東京に呼んだんです。そして一晩一緒に仕事をして意気投合して、同居しようという話になって、たまたま私が住む所を探すハメになりました。ちょうど私の実家の前の家が空いていたので、そこに二人が引っ越してきました。私も入りびたりになりまして、二人の信奉者が続々訪れるようになります。その頃はファンに対してめちゃくちゃオープンだったので、ファン対作家というより友達意識の方が先にたって”これはちょっと面白そうな人だから呼んでみよう”といって集まった人達が日夜たむろしていました。坂田さんや花郁さんはサイン帳片手にファンとして出入りしてて”先生、先生"となついてました。佐藤さんはちょっと別格ですけど。伊東愛子さんはアシスタントとして来ました。たらさわさんも来るようになって……。
面白いマニアとか、作家同志が自然に集まったという形でコミューンの様でした。自然と、マンガ好きの人達が集ってそれぞれ新人で海のものとも山のものともわからない状況でも情熱だけは持っていました。共通項は、それぞれ皆、個性派で既成の少女マンガにはない新しい波を意識していたことでしょう。西谷祥子先生、水野英子先生等が全盛の頃で、確かに学ぶものは大きかったんですが。少女マンガのパターン、例えばバックが少く絵柄が殆ど胸から上で何かというと花がとぶ。大泉サロンの連中は長年培われたその伝統のパターンそのものを破りたい。萩尾さん竹宮さんの初期の作品をみてもロングが多いし、どんどん変わった構図をとっているし人物が存分に動き回っている。アップの連続ではない。そういう作品は当時、編集者からも読者からも嫌われたものです。毛色が変わってて、受け入れてもらえない。でも、作家は自分の信念を持っている。当時は本当に気負いや夢がありました。


少年マンガを越えろ

私の目から見ても、いつかは一線におどり出る人達だと思っていましたが、こういう形で主流になるとは想像できませんでした。今の時代の人は想像がつかないと思いますが、10年前の少女マンガは下らないものの代表でした。少年マンガがようやく社会的に市民権を得て、いわゆるトキワ荘の一派が華やかなりし頃で『マンガ入問(註:入門の誤植)』 という本(石森章太郎・著)でも少女マンガのコーナーは一ページか二ページ。だから少女マンガ家は市民権のない状況に不満を持ちそれを得るためには少年マンガを越えなきゃいけないという意識が強かったわけです。手塚作品や石森作品がいいといえば、何故いいのか、その分析から始めて追いつけ、追いこせの精神だったわけです。それが今やどんでん返しというか、少女マンガの評価の方が高くなっていますが、くやしさがエネルギーに転化したからと言えるでしょう。自分達の描きたい作品が決して少年マンガに負けるものではないというツッパリや自負心が非常にあったわけです。


戦いの日々

描き手側としては、ただひたすら自らの壁をのりこえ、筆のおもむくままにやってきたのであって結果としてサイドの者が24年組、またはその流れだとか言ってるにすぎないといえますね。実に彼らは立派だと思います。当初からずっと10何年やってきて、思考錯誤(注:試行錯誤???)の連続は当然ありますが、姿勢は全然変わっていない。しかもその間消えていった人達もいるわけです。これを言ったら驚く人もいますが、当初、決して萩尾さんや竹宮さんに比べて実力、才能は決して劣るとは思えなかったむしろそれ以上の力があるんじゃないかと思えるような期待した有望な力が波の中で消えていってます。どれだけ消えていったかわからない。
それは人間的に弱くて編集との対立に破れたり、自分の思考錯誤(注:試行錯誤???)に破れたり。だから残っている人達はサイドではわからない戦いに勝ち残ってきた強い人達であると思います。少女マンガではSFと時代ものはいまだに編集部から嫌われてますね。ダメ!と言われながら載せていく強い主張を持つ必 要がありますね。ただ、面白いことに、編集部にこんな作品はダメだ!スポーツ物にしなさい、ラブコメにしなさいと言われて、ハイハイとやるけれど、ラブコメの形式をかりて自分の描きたいことを描いてしまう。その辺のすごさを持つのもまたひとつの方法かもしれません。例えば、山岸凉子さんの絵も、もともと硬い線だったけど、当初は丸い顔でないと編集にダメと言われてそういうふうに描き、ある程度、自分の地位が確立 してくると自分の描きたい線でバッと描いてしまう。あれ程極端じゃないにしても、ああいうこと、皆やってるんですね。全面的妥協じゃなく、状況の中で生きのびるための手段とでもいうか。


第二、第三の波はどこから?

確かに、現在、24年組に憧れて育ったという人がいるかもしれませんが、なかなか24年組を越えられません。きっと、今の世代の人のどこかで、24年組といわれている大御所のことなど気にもとめず我道を行くという人達こそ、もしかしたら新しい波なのかもしれません。かつて24年組がそうでしたから。大御所なんてクソくらえという、態度に出さずとも、自分の世界こそという主張がありました。だから全然別のところで、全く24年組の影響をうけず、新鮮な個性が育ってるんじゃないかと思います。全く別のところから別の波がおき、新しい人が出てくる。これは私の個人的期待でもあります。


24年組のゆく先

24年組の全盛期は3〜5年前程と言えるでしょう。それ以後、決してあの頃の熱気を越えたものではありません。作家自体、安定期に入り、評価が定まったからということでもありますが、むしろ認められていない全く無名の多くの新人の中で注目を浴び始めた、その数年間が輝ける時期でしたね。
今、少女マンガが全盛かというと、そういうわけでもなく、少女マンガにとってこれからの10年は大変波乱に富む時期ではないかと思います。トキワ荘の方々、手塚先生、石森先生、赤塚先生……各先生方が現在、全く別の道を歩んでいらっしゃるわけですね。だからこれから24年組も全く個々のやり方で別個の道を歩んでいくでしょう。今まではわりと一本化していたというか、少女マンガ界の新しい力というふうに総括されていましたが、全然違っていくのでしょうね。もう既に違ってきています。それは興味深いことであると共に、当事者に近い者としては非常に恐いですね、むしろこれからの10年の方が恐い……。



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