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【尊敬に値する人ですね:ぶ〜け副編集長・倉持功】
ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」


ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」
発行日:1982年08月01日
出版社:雑草社


資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163149...


尊敬に値する人ですね
倉持功(ぶ〜け副編集長)

ーー竹宮さんと知り合ったのはどの作品からですか?

倉持 竹宮さんのデビュー作で、昭和43年の『週刊マーガレット正月増刊』「りんごの罪」。あれは四国の徳島から投稿された作品で、非常に頭のいい作品という感じがしまして、頼りにしていたんです。が、当時竹宮さんは高校3年生で、徳島大学を受験するので、まんがをやめますと手紙が来たんです。現在だったら、大学行きながら描きなさい、と言うところですが、その頃はそう言われるとしょうがないということで、そのままになってしまいました。

ーーということは、竹宮さんはもう描かないと思われていた訳ですか?

倉持 入ってからはどうかわからないけれど、当分は描けないだろうと思っていました。

ーーいつ頃から竹宮さんが描いていることに気が付きましたか?

倉持 45年位じゃないかな。竹宮さんの名前を漫画家として意識的に気が付いたのは。個人的な感情で言うと、僕は竹宮さんという人が好きなんです。はっきり自分というものを持っている。作品は非常に幅が広く、色んなジャンルのものを描くことが出来るし…。

ーー「リンゴの罪」をお読みになった感想は?

倉持 今から見ると、手法としては古いですが、頭のいい作品というか、キレのいい作品ですね。

ーー現在の片鱗はありましたか?

倉持 ありますね。今の竹宮さんの作品を読むと、非常にいき届いた計算がなされていますね。計算というと悪く聞こえるけれども、読者の気持ちを理解して、うまくそれに合うような話の作り方をしている人だと思います。

ーー再び竹宮さんと接触した作品は?

倉持『りぼんデラックス』を創刊した51年に、お願いした「ウィーン協奏曲」の時です。あの作品は、私小説的な発想で、打ち合わせの時“こんな変わったのをやってもいいだろうか”って、竹宮さんは心配していたんですよ。

ーー反響は?

倉持 大反響、大人気でした。

ーー竹宮さんを自分の雑誌に起用する時には、何を期待していますか?

倉持「ワン・ノート・サンバ」(ぶ〜け)の時は、竹宮さんの持っている才能みたいなのが、うまく舞台の中で出てくればいいと思いました。

ーー竹宮さんのどういう点に注目なさって、お願いするのですか?

倉持 やっぱり好きだからじゃないでしょうか。どういうジャンルの作品が出てくるのかちょっとわからないけれど、描く人を好きになるのが一番いいです。そして原稿を頼む。そうするといい作品が貰えるみたいな気がします。20年位、少女漫画雑誌をやっていた経験から言うと。それと、これは個人的ですが、あの方題名のつけ方がうまいですね。

ーー竹宮恵子さんと他の作家との違いはあると思いますか?

倉持 竹宮さんのマンガを描く姿勢は、男の漫画家さんに近いと思います。きちんとトラプロを作り、アシさんを確保している。それだけに自分の才能みたいなものを有効に発揮出来るんでしょう。非常に実行力もあるし、内容的には、ジャンルの幅が広いですね。

ーー本当に様々なジャンルを描いていますね。

倉持 だから、まんがの幅を広める時に、うってつけの人なんです。

ーー作家・竹宮恵子をどのように見ていらっしゃいますか?

倉持 仕事をきちんとやる人という印象が強いですね。こんなことを言ったら竹宮さん笑うだろうけど、尊敬に値する人です。何の世界でも10年間、一つのことをやるというのは大変なことであって、しかも創作、まんがの世界で10年ですからね。

ーー人間・竹宮恵子は?

倉持 殆どお会いしたことがないんですが、先日パーティーで会いまして、非常に頭がいいと思いました。でも、それをきつい形で表に出さないのね。受ける感じはソフトなので、ビックリしました。とても感じのいい人です。「りんごの罪」を読んだ時の印象では、もっと鋭角的なタイプな人だと思っていましたから。それに竹宮さんは非常に考え方の幅が広いです。

ーー今後の竹宮さんへのコメント、あるいはアドバイスを。

倉持 色々な面で、新しい実験的な試みをしてみるのがいいと思います。それから、もっと『ぶ〜け』に描いてくれって(笑)。

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