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【対談:ささやななえ・萩尾望都】
ささやななえ自選集1「ささやななえ今昔物語第1回」


ささやななえ自選集1
発売日:1997年05月10日
出版社:講談社
ささやななえ自選集のサイト↓
https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000031648

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163500...



対談:ささやななえ・萩尾望都
(画像に続いてテキスト抽出あり)












ささやななえ今昔物語第1回
萩尾望都編
今は昔
ささやななえというもの
ありけり
20ウン年来の友人・萩尾望都が、今だから明かす
ささやななえのすべて、独占一挙公開!!

デビュー作のこと

萩尾 デビュー作の「かもめーGULLー」は、すごく印象に残っているんだけど、あれはどういうきっかけで投稿したの?

ささや 当時の文通相手に「失敗作だけど」って送ったら、どうしてこの作品を投稿しないんだっていわれてね。
その頃は浪人していて、就職か大学へ行くか、ほんとに瀬戸際で。でも大学に行ったら終わりだと思ってたから。

萩尾 どうして?

ささや うちの親が教師で、子どもを教師にしようと、完璧にレールを敷いていたから。大学に入ったら教師にさせられちゃう。本気で教師になるか漫画を描くか、岐路に立たされてた時にあの作品があって…。私、完成された作品って、その頃少なかったから、あれを送ったのね。

萩尾 投稿したの『りぼんコミック』だったっけ? 私、出てすぐ読んだ記憶があるの。

ささや 私もあなたの読みましたわ(笑)。

萩尾 あの頃は漫画に飢えていてね、出ている漫画の本は全部読んでいたんだけれど、特に『りぽんコミック』は、どんどん新人の人が出てくるので、すごく楽しみで。
「かもめ」を読んだ後、ああ、この人次はいつ出るんだろうって次回作を期待してたのよ。次の作品が「手紙」だったっけ。

ささや そう、あれしか完成している作品がなくってね。といっても7、8枚くらいのものだったんだけど。

萩尾 でも16枚くらいあったよね。

ささや うん、やっぱり7、8枚じゃきついっていうので、16枚に直したの。確かに小さいコマが多かったから、それを広げて描きませんかって、担当さんに言われて。

萩尾 じゃあ、それは芦別(註:ささや先生の実家)で描いてたの?

ささや そうね、この頃は芦別。

初対面は突然に PART1

萩尾 私がささやさんに会いにいったのは、二十歳くらいのときだったかしら?

ささや うーん、定かじゃないけど、その頃だったと思う。

萩尾 私、九州育ちだから、山のように積もった雪って見たことがなかったの。それで札幌の友人に誘われて遊びにいったのね。ところが、暖冬で雨が降ってた(笑)。

ささや 札幌の方はそうだったかも。でも、うちの方は積もってたよね。

萩尾 どういういきさつか覚えていないんだけれど、私、ささやさんの電話番号を知ってて、ちょっと遊びにいこうかなって。でも、どうして知ってたのかな?

ささや 坂田ちゃん(坂田靖子氏)じゃない? 彼女が当時漫画マニアでね、あなたたちが住んでいた大泉に遊びに行って、その時に、私の住所と電話番号を置いていったっていうことがあったの。

萩尾 坂田さんとはどうして?

ささや これがまた不思議な縁でね。私が17、8歳の時に、田中雅紀っていう漫画家がいて、ファンレターを出したのがきっかけで文通をしてたのね。ほら、あの頃文通って盛んだったでしょ。
で、田中さんちの実家がお豆腐屋さんだったの。そこにしょっちう豆腐を買いにている娘さんっていうのがいて、それが坂田ちゃんだったわけ。

萩尾 アハハハハハ…

ささや おもしろいでしょ。だから坂田ちゃんが、いちばん仲間としては古いのかもしれない。彼女、高校生だったんじゃないかな。

萩尾 若かったねえ。

初対面は突然に PART2

ーーそれでは、萩尾先生が札幌にいらっしやったときに、ささや先生に電話をされたんですね。

ささや 芦別に夜、電話が掛かってきたんです。

萩尾 札幌から電話して「ファンですけども、会いにいっていいですか」って。

ささや 当時、高別の実家にはときどき家出したファンの女の子がきてたんですよ。それとか、芦別で「ささや」なんてめずらしいから電話帳を調べて電話してくる人もいたんです。
だから、てっきりそういう類の人だと思って相手してたの。で「お名前はなんておっしゃるんですか」って聞いたら、一瞬ためらったのね。「ん」って口ごもってからね「望都です」っていうの。(笑) その瞬間「あ、萩尾望都だ」って(笑)。ねえ、なんで名前を名乗らなかったの?

萩尾 やっぱりほら、電話で話すのもはじめてじゃない。すごく恥ずかしくって…。私の名前を知らなかったらどうしようとか、いろいろ考えちゃったから。

ささや そして次の日、駅にむかえにいったのよね。あなた白と赤のチェックのケープ? 着てたよね。

萩尾 そう、ケープつきのコート。

ささや それ着て、ベンチに座ってた。

萩尾 なんか芦別って、雪だらけだった。駅ですごいと思っていたのに、ささやさんのお宅に行ったらもっとすごい!(笑)

北海道の思い出

萩尾 芦別でさやさんから、いろいろ悪いこと教わってね。お酒を飲むこととか…。

ささや あれ、私あのときお酒飲んでたっけ?

萩尾 うん、寒いからこれを飲んで寝ると暖まるよってコークハイくれたの。

ささや あれ? あの当時、もうそんなことしてた?

萩尾 北海道ってモダンだなあ、おいしかったなぁって記憶があるの。

ささや きっと市役所時代の上司に教わったんだわ。しょっちゅう飲みに連れてってもらってたから。
もうデビューしてた二十歳のとき、このままだと社会人っていうものを知らないで漫画家になっちゃうと思って、社会勉強のために交役所(原文まま)にアルバイトで通ってたの。

萩尾 うん、うん。

ささや 漫画の締切がたいへんだった。編集部には内緒にしてたから。でも、私がどうしても締切に遅れちゃったんで、バラしちゃったのね。そうしたら、その時の担当さんが、声をひそめてね 「あの、ひょっとして、そんなに生活苦しいんですか?」(爆笑)
でね、私すごくウブだったから「なんだったら、原稿料上げましょうか」っていわれたとき「いえいえそんなんじゃないです」っていっちゃったの(笑)。今思うと、すごい惜しいことしたなって。

萩尾 もったいなかったね。チャンスだったのに(笑)。

ささや あの時の原稿料って安かったもんね。

萩尾 たしか、当時1ヵ月9万円くらいもらってたのかな。で、家賃が2万円で十分生活ができたの。

上京したワケ

ーー北海道でお会いになってから、交遊を深められたんですか。

萩尾 結局、一週間泊めてもらったんです。

ささや いや、一週間以上いたの。山田ミネコが1ヵ月滞在の記録を持っててね(笑)。

萩尾 なんか、すごく居心地がよかったの。

ささや またいらっしゃいよ。

萩尾 うん。行く行く。

ささや それでね、次の年に私が東京に遊びに行くことになって、泊めてもらったの。半年いたんだっけ(笑)。

萩尾 長かったよね、そういえば。

ささや そして2、3ヶ月北海道へ戻ったんですよ。で、再び上京して、また同じくらいいて…。

萩尾 作品の締切が近づくと、いつのまにか、東京にささやさんがいるんです。原稿を持って。

ささや 編集部に呼ばれるの。原稿があぶないっていうんで、カンヅメになるために。

萩尾 すごく覚えているのはね、「ダートムーアの少年」でホテルでみんな一緒になってカンツメになっていたんだけど。

ささや ネームができなくて、一ツ橋の近くの「一ツ橋ホテル」に泊まり込んでたら、同じ旅館に、あなたたち大泉の連中がいたのよ。

萩尾 締切ギリギリで、まるで加速装置のようにダーッと一気に描いてたよね。

ささや 今もそうなの。こわい…。

大泉時代のこと

ーー少女漫画家が集っていたという、伝説の「大泉サロン」には、その頃からいらっしゃったんですね。

ささや サトさま(佐藤史生氏)とか、竹宮さん(竹宮恵子氏)とかね。なんかゴチャゴチャしょっちゅういて…。
最初の頃は、誰がここに住んでるのか、遊びにきてるのかわからないような空間だったの。

ーーいちばん最初はどなたが借りたんですか。

萩尾 あれは私と竹宮さんが、共同で下宿を借りたのがはじまりです。その頃は、親が一人暮らしなんてとんでもないっていうことで。

ーー大泉では、どんなことが思い出に残っていますか。

ささや 絵を描いていた記憶しかない。

萩尾 そうね。

ささや もう、あれはカルチャーショックだったな。私は仕事以外で、絵を描いたことがなかったから。
だから大泉に行ってみて、なんで仕事が終わった後「さぁ、お絵書きの時間よ」ってスケッチブック広げなくちゃいけないんだ! と思ったの。こんなに疲れてるのに、まだ絵をかって感じで。それほどみんな絵を描いてて。

大泉サロン・秘話

ささや ねえ、城くん(註:萩尾氏のマネージャー) はどうだった?

 私はアシスタントと、みんなの食事係のメシスタントで入って…。最初は「二人の先生」(萩尾・竹宮両氏)の二人分の夕食を作ってください」っていう話だったの。
でも、夕方になったら、人が4、5人いる! どんどん人が増えていく!

ささや そうなの。夕食とかごはんのとき、すごく人がいるんだよね。そういえば、食費とかどうしてたんだろう。

萩尾 食費はね、私と竹宮さんで半分ずつ生活費を払ってて、この範囲でやってくださいってお願いしてたの。

 3万円でね、1ヵ月暮らせっていわれたもの。ガスも電気もなにもかも含めて。

ささや それって驚異的だよね。

 途中でこれはもうダメだ!と思って、パチンコ屋さんに飛び込んでね。みそとかしょうゆとか、なんかいろんなものもらってきたの(爆笑)。

ささや 私、最後の方であんまり居候してちゃ悪いと思って、1万円入れた記憶があるんだけど。でも、1回か2回だけどね(笑)。
そういう生活費のこと、何にも考えずに生活してたんだけど、この前取材を受けたときに、そんな話になって「あれ、そういえばあの時の食費どうしたっけ?」って。若気の至りよね。

萩尾 私もあんまり考えてなかった。

ささや みんな考えてなかったような気がする。

 経済観念のない人たちが暮らしていたもの。この先生(萩尾氏)は、ほとんど本を読むか、絵を描いているか、寝てるかだっった(笑)。

ささや 私の記憶でもね、いつもクロッキー帳かかえて、座り込んでて。

萩尾 私が覚えてるのは、ささやさんがくるたびに、泊めてもらったお礼とかいって、絵を残していったの。

ささや そんな殊勝なことしてたんだ、全然覚えていない。

萩尾 私、全部持ってる。

ささや えーっ。今度見せて。懐かしいっ。

アシスタント料は洋服!?

ーーお互いのアシスタントもされてたんですか?

ささや やってたよね。「ダートムーア」に至っては、萩尾望都と竹宮恵子と山田ミネコと絵がはっきりちがう!
「飛ぶ鷹」(自選集2巻収録)の方も手伝ってもらったんだよね。

萩尾 そう、私8時間眠らせてもらえるんだったらやるっていったの。徹夜がダメで。

ささや そしてアシスタント料代わりに、服を買ってあげたんだ。

萩尾 あ、そうか。

ささや 服でいいっていうんで、服を買ったの。

萩尾 はいはい、どうもありがとうございました(笑)。

ーーどんな服だったんですか。

ささや 夏用のワンピース。

萩尾 クリームベージュの地にピンクのバラが散っているもの。
私そのときに、もうこれ以上の年令になったら、こんなかわいい服が着れないからと思って買ったんだけど、その後ロマンティックモードが流行って、今はオバさんでも着ているという…。

ーーお互いにアシスタントをしていて、描きやすいところや、描きにくいところってあるんですか。

ささや 萩尾さんはうまい人だったから、ともかく助かったけど、私がやった原稿は、ベタは湖のように溜まっているわ、ホワイトは山のように盛っているわで、しょっちゅう怒りまくられていました。

萩尾 ごめんねー。私あの頃、作品に関しては容認がなかったもので。アシスタントをいびっちゃってね。

ささや 今だってないじゃない(笑)。

萩尾 そうだ、3年くらい前にもきてもらったんだったっけ(笑)。

私の好きなささや作品

ーー萩尾先生がいちばんお好きなささや先生の作品って強いてあげるとなんですか。

萩尾 うーん、「私の愛したおうむ」ですか。これを発表したときに、ささやさんが私の好きな作品はこれだっていってたんですね。
でも、この話結末がアンハッピーな話で、読んでいて辛くてね。ささやさんがいうほど好きじゃなかったんです。
もっとロマンティックな、例えば「若葉の頃」とかね、そういうのが好きで…。
ところが昨日、この対談のために読み返してみたら、すごく感動したんです。ささやさんの描く日本家族関係ものというか、心理ホームドラマっていうか、その原点がここにあるなって感じたんですね。

ささや 私もこれを今回収録するので、原稿を直してて、これって完璧に心理的虐待の話だったんだなあって感心しちゃった。

萩尾 最近の作品で「凍りついた瞳」ってあったでしょ。あれって家族関係のそういった部分を非常に分析的に描いていて、すごいなぁと思ったんだけれど、昔からそういう傾向のものは描いていたのよね。「それぞれの季節の中で」とか。

ささや あれも心理的虐待だよね。

萩尾 で、そういえば「私が愛したおうむ」から、家庭間のいろいろな細かい心理を描きはじめたんだわと思って。今回収録された頃の作品の中でいちばん好きです。
ミステリーでも、いっぱいあるんですよ。最近ストーカーってブームになってるじゃない。あれって「生霊(いきすだま)」でしょ。

ささや えん(原文まま)、あれってストーカーだよね。実際にあった事件をヒントにしたの。

萩尾 ヒィーーツ。
でも、そういった人間の心理が不思議な方向にいってしまったり、ここでなにか救いがあればいいのに、追い詰められちゃったりとかっていうの好きだよね。

ささや うん、好き。

萩尾 ただ、ささやさんの作品には、悲しいラストにしたところで、徹底的に人を突き放すってところがないんですよね。なにかどこか最後の部分であったかいの。

ささや ほんとうの悪者を作りたくないからじゃないかな。

萩尾 それがささやさんのもっている気質みたいな気がするんです。寛安度がすごくある、人間に対して基本的な信頼があるんだと思うの。
だからささやさんとつきあっているといい人だなあって。怒ると恐いけどね(笑)。

そして、これから…

ーーむずかしい質問だと思うんですけれど、これからのささや先生に望むことっていうのはありますか。

萩尾 恐いものが好きなんですよ。たから恐いものを描いてください。

ささや 私だって恐い話描きたいの。描きたいんだけどネタが…。いろんなエピソードが浮かぶんだけど、まとまらなくてほったらかしにしてあるの。

萩尾 私「たたら」の意味って、ささやさんから教わったのよ。

ささや 私も描くまで知らなかったよ(笑)。

萩尾 そんな不思議なことばや様式、いかにも日常のなかに埋もれているようなもの、それが恐いんだよね。

ささや うん、そういう重箱の角をつつくようなものが好きなの。スケールが小さいんだけど…。 大きいと収拾がつかなくなっちゃって大風呂敷広げて閉じることができないの。よく閉じられるよね。

萩尾 え、誰のこと?

ささや あなたのことよ(笑)。

ーー最後にささや先生にひとこと。

萩尾 ささやさんと、私ほんとうに友だちでよかったなと思ってるんです。もしかしてささやさんが私のお母さんとか、お姉さんとか。家族だったらもっとおもしろかったかなとか思うんですけど。
私は結構、人見知りするほうなんですけど、ささやさんを見ていると、ここにこんなに人間を信頼している人がいるんだって励まされますね。

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