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【竹宮恵子:座談会「愛・少年そして変革」】
テレビランド増刊イラストアルバム5 竹宮恵子の世界



テレビランド増刊イラストアルバム5 竹宮恵子の世界」73-76ページ
出版社:徳間書店
発行日:1978年05月30日

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163456...




座談会「愛・少年そして変革」
大泉サロンの仲間たち”少女漫画”を語る
竹宮恵子
ささやななえ
伊東愛子
たらさわみち
増山法恵
(図版に続いてテキスト抽出あり)







座談会「愛・少年そして変革」
大泉サロンの仲間たち”少女漫画”を語る


「ネコとはキャベツ畑で接近遭遇!!」(竹宮)

増山 まず、みんながどうやって知りあったかということからいきましょうか。いちばん古いのがケータンと私、それから、たらさわさん、ななえタンね。

ささや 私は23歳で上京してきたのね。それまでは半年に一度でてきて、半年間、大泉に居候していたのよね。お正月にでてきて、夏に帰ってね。またでてきたり...。

増山 そういえば、よくコタツの前にいたわ。ラブちゃんはメシストで、きたってほんと。

伊東 うん。

竹宮 ラブちゃんのファンレターがおもしろくて、私いまでもとってあるの。たしか、地図が入っていたのね、黒ワクか何かの。それで、このへんでしょうかって、丸がつけてあるのよね。私の家のある場所に丸をつけて、行きたいって。おかしいこという人だなあと思ってね。

増山 それから”セブンティーン”に入選したのは、すぐだったんじゃない?

伊東 うん。入選してからきたの。それからアシストしながら勉強しました。

竹宮 たらさわさんは?

たらさわ お正月に遊びに行ったの。高校2年生のとき。春にもう一度いったら、そのとき、ささやさんがいてね。マーキュロを足にこぼしたって、真赤な足してた。

ささや えっ、そんなことあったー。

伊東 ささやさん、よくやきとり、買ってきてそれを食べながら、ごはんのできるのを待っているの。やきとり屋のお兄さんが、ジュリーに似ているって。(笑)

ささや 思い出した!

増山 学生時代に、だれかの下宿がたまり場になって、人が集まるでしょ。大泉サロンはそういう感じでしたね。家賃はケーコタンと、モーさま(萩尾望都氏)がだしていて。

ささや あたしも、定期的に1万円払ってた。

竹宮 そもそも、この人(増山さんを指さして)の陰謀なんですよね。モーさまと私が下宿をさがしていたら、この人の目の前の家に決まったというわけ。

たらさわ 先生と萩尾さんは、どこで知り合ったの?

竹宮「アストロ・ツイン」のとき、手伝ってもらって。たまたま、彼女の「爆発会社」を読んで、好きだったし。手伝いはともかく、知り合いになりたかったの。彼女の作品を読んで、はじめ、この人は絶対、男に違いないって。結婚しようと思っていたの。(笑)

一同 エーーッ!

ささや 私は中年のおじさんって、想像していたの。

竹宮 そうよね。最初からベテランぽかった。彼女とは、性格は全く反対だったけど、とにかく、漫画に対する情熱は同じだったわ。そうじ、洗たくも忘れて、描いていたわ。

伊東 そう、すごい部屋だった。あそこは、4畳半だっけ。テレビに、コタツに、ネコのお手洗いに、茶ダンスに……。

たらさわ 私たち、よく、そうじしたもんね。

ささや 私があそこの家にはじめていったとき、ここはトイレ、ここは風呂場って、案内されたの。で、お風呂場に入ったらね、ネコのフンがデーンとあって、すごーくショックだった。ここに入るのかって。

竹宮 あのネコ、私の妹がキャベツ畑で接近遭遇したんだけど。そうそう、私たちがヨーロッパ旅行中に子どもを産んだの。私がたいせつにしていた、バスタオルの上に……。

ささや 私が必死に育てたのよ。

伊東 私も最初訪ねたとき、びっくりした。台所いっぱいに、カップなべやきラーメンがフライドチキンのバーレルのおっきな箱に、いっぱい入っているの。

竹宮 男やもめなんてものじゃないわね。(笑) もっと、高尚な話をしようよ。


「タブーはファッションと男の話」(増山)

増山 当時は、忠津陽子さんと大和和紀さんの時代だったんじゃない。

竹宮 彼女たちも同じ年なんだけど、ぜんぜん、早いデビューね。あのころは、いわゆるラブ・ストーリーばっかりでね、変わりばえがしなかった。もっと描くことがあるんじゃないかってね。

伊東 結ばれて、終わることに、もうイライラしていた。

ささや そのあとは、どうなるんだ――って。

竹宮 こんなに完全に結ばれるわけはないじゃないかってね。もっと、内包している間題を全部ひっぱり出して、それを外にだして、描くべきだって。当時”COMの影 響は強く受けてたわね。少年漫画でも、少女漫画でもない児童漫画というのかしら? ――それを”COM”では、描けると思っていたから。私はいわゆる少女漫画は得意じゃなかったでしょ、少年漫画ばかり読んでいたから。その中間をいくみたいなものを、描きたいなあと思っていたの。

たらさわ 最初”COM”を見て、変形コマというの? あれにはびっくりしたのね。

増山 みんな”COM”の洗礼は受けているわね。同人誌の延長というか、あらゆる可能性を秘めた実験ができる熱気があったもの。

伊東「火の鳥」なんか、すごくおもしろかった。毎回、毎回おどろきの連続。

竹宮 それまで、私は石森先生一本ヤリできていたから、あれに出会ったときはビックリ。

増山 私たちは手塚先生・石森先生の満足度を知っていたから、あれくらいの満足度を与える作品を描くべきなんだって、いつも話してたわけよね。

竹宮 自分がどれほど打ち込んでいるかっていうことがあらわれる漫画が、いちばん魅力的にみえる。私たちにそう映るってことは、読者にも反応があるしね。

増山 描き手の集団でしょ。読み手のマニアの集団だったら、理論化されるけど、おたがいに何をいってもむだだったんですね。作品として、証明していかないと。

ささや あのころには、たしかに新しい方向が何かでてきたのよね。その新しい方向で、力いっぱいやりたいと思っていた。

竹宮 とにかく、よい漫画をという真剣さだけはあったわね。それまでは、あまりに底が浅い。それにあきたらなくて、なんとかしなくっちゃっていうか。

増山 マニアもよく、大泉サロンへ出入りしていたわね。当時、彼女たちはマニアから絶対的な支持をうけていたの。マニアのほうも、描けないけど、漫画の新しい動向を求めていたし。手紙がきて、おもしろそうだったら、どんどん招待しちゃったし。

竹宮 桜多吾作さんなど、男の人も平気で泊まっていったわね。入ってくる人は、男だと認めなかったけど。(笑) へたなことすると、みんな総出でね…。(笑)だから、わりとおとなしくしてくれたんじゃないかしら。

ささや その気にならなかったんじゃない?

竹宮 あんな地が出た生活を見ていたら、いまさらっていう感じね。

増山 でなかったのはファッションと男の話。

竹宮 色気はなかったわね。(笑)

ささや どうしてだろう、いまだに不思議。

伊東 男・女という前に、まず人間として生まれてきたこと自体が問題だったから。

竹宮 オールドミスの集団になっちゃった。(笑) 私が、四国から出てくるときも、ボーイフレンドを、振ってきちゃったしね。彼、しょっちゅう、漫画と自分とどっちがたいせつかっていってたしね。そういうこということ自体が、低レベルだって思ったなあ…。


「『風と木の詩』でめざめた私」(ささや)

増山 ところで、みなさんは「風と木の詩」誕生の時期にいた人たちでしょ。公表する前に、50ページくらい描いていたでしょ。 あれ、見ました?

竹宮 ささやさんは、ダメッていってたでしょ、あれを。

ささや 健全な私は、友情に毛のはえた程度しか許せないの。ああいうのは、好きだったの。でもあそこまでは、考えていなかった。ほっぺたにキスくらいなら、許せるけど。

竹宮 のっけから、ベッド・シーンだもんね。

ささや 健全な私にね、あそこに居候に入ったとたん、ババーッと見せられたでしょ。そして、すごい本なんか積んであって、読まされたのよね。徹夜で。ほら、ノンタンが”読みなさーい!”とかいってね。

増山 ”薔薇族”とか、あんなのね。(笑)

竹宮 あのころ、18歳未満は禁止というのがはやっていたでしょ。略して”十八禁”ね。 いま、新人でデビューしている坂田さん、花都さんには、見せなかった。

ささや あのとき、ノンタンに、ネクタイ派かリボン派かって聞かれたのよね。

増山  あのころ、少年愛的なものを私は理論的にさぐっていたの。稲垣足穂さんの本なんかで勉強させてもらっていた。いろいろ、いろいろ定義があるわけで、ネクタイしめた子と、リボンを結んだ子、どちらが好きかによって、少年愛のし向がわかったりね。半ズボン、長ズボン、どちらが好きかとか……(笑) 小学生のころから、男の子の美しさをひたすらさぐっていたの。

ささや 私も金田正太郎から。

伊東「鉄人公号」の? 男の子二人がいつも主人公でケンカしてね。なぐり合って、いつもニコニコ…友情だって(笑)

増山 半ズボンで、ハイソックスだったわね。

ささや そうそう(笑)

竹宮 同じ思い出ね。そういうことに関する関心というか、魅力みたいなものは。小さい男の子や女の子を見て、かわいいなと思うでしょ、それと同じ。みんないっしょに、色っぽかったといっちゃうのね。

ささや とにかく、私は男と男でどうしてできるのかって、思っていたから。(笑)「風と木」は、もう一つの性教育書だった。あっ、目覚めてしまったって感じ。(笑)

増山 同性愛に対する激しい興味というのは、大泉サロンの共通項ね。それぞれ、リボン派、ネクタイ派と、すごーくこまかくわかれていたし、少年と少年、少年と成年とか、それぞれ違っていたけど……。

竹宮 私はわりとオールマイティ。なんでも好きなの。(笑) はじめ、少年だったけど、認めるものがふえてきたのよね。あれもいいなあ、これも…って。それをぜんぶ描こうと思ったから、ああいう長ったらしいものになっちゃったのよね。(笑)

たらさわ 構想ができたのはいつ?

竹宮 大泉サロン以前。あの話ができたときノンタンに電話して、8時間も話したの。あなた、寒いから毛布もってくるっていったのおぼえてる?

増山 だって、電話が玄関にあったんだもの。翌日すっとんでいって、話でなく、いろんなカット、「風と木」のいろんな場面を見たのね。そのときは、作品にだせるというより、話の世界自体が「あっスゴイ! それだっ!!」って感じ。

竹宮 あれはまさに一晩で、できた作品ね。


「女の子だったら男の子がみたいはず」(伊東)

たらさわ 私、最初のは読んでいないけど、「サンルームにて」が、とちゅうで男と男の話に変わったでしょ。だから、先生が描きたいのは、少年愛だってわかってきた……。

竹宮 でも、編集者、とくに男の人はみんな拒絶反応を示しましたね。

伊東 レズなら好きなんじゃない。(笑)

増山 24年組は、編集者の意識革命もやったと思う。男の子を主人公にするっていうこと自体、大変な騒ぎでしたからね。絶対条件だったものね、女の子が主人公って。

伊東 おかしいよね。読み手が女の子なんだから、男の子を見たいっていうのが、あたりまえなのにね。

竹宮 保守的なのよね。たとえばタイトル文字っていうのは、たいてい赤色に決まっている。編集者に渡すときは、紫色にって、指定するんだけど、変えられちゃう。

増山 24年組の人たちは、マニアライクということで、マニアに支持されても絶対数は少なかったのね。編集部は、その多数のレベルですべてをやるでしょ。こちらの意見を通すためには、ほんとうにケンカした。

竹宮 べつに、主流だった漫画を、認めていないわけじゃないし、きらいじゃなかったけど、結局、自分が生きていけないこととかかわってくるから。まさに、闘いだったわね。

増山 24年組は、それぞれにね、くやし涙を流しながらやってきたと思いますよ。

竹宮 70年安保の影響でね、革命意識はある。と思うのよね。

増山 べつに、運動に参加していたわけじゃないけど「国家」とは何かとか「人間はなにをなすべきか」とか根本問題を一生懸命考えなくちゃと思っていた。決して、しらけてはいなかったわね。漫画というはっきりした目的があったし。漫画を通して、何かやろうということだったし。

竹宮 まず、発表の場がほしいんだっていうところから、はじめなきゃならなかったしね。だけど、そのために自分を曲げる気はない、ガンコなところもあったわね。

増山 自分なりに納得したタイトルをだすと、編集部の俗っぽいわかりやすいタイトルに変えろとか、表紙の女の子は、胸から上で正面向きにしろだとか。そういうことに対する闘いをどんどんやって、前例を作っていきましたよね。それが読者に受ければ、編集部はそれにのっかるのよね。


「少女漫画と少年漫画の違いは……」(たらさわ)

増山 ところで少女漫画の将来性だけど、正直なところ私にはまったくけんとうもつかないの。もしかしたら、また旧態然としたものが支持されて、またはみだしっ子になる可能性もあるかもね。24年組が30歳を越えた段階に、どうなるかということも心配。

たらさわ 三十歳(みそじ)がくるなんて、考えたくない……。(笑)

増山 女の人の感性って、いくらでも横に広げられるのね、ところがたてには広がっていかない。24年組は、意識してやったんじゃないけど、ぐいっと上へ変革したのね。ところが、いまは横に細分化されるばかり。へたすると、せっかく24年組がやったことを拡散する危険性があると思う。

竹宮 それはそれで、いいじゃない。そこまで、レベルがあがったところでパーっと広がったんなら。今度はそこから、何かがでてくるから。待たなきゃだめ。私にとって、こんど新しいトビラが開かれるとしたら、まったく違う自分を発見する、あるいは創ることね。いまは、これまであった自分を発見しようとしているけど、これが過ぎれば、構築していくことになるんじゃないかな。

たらさわ ”少女漫画””少年漫画”という違いは、このままつづくかしら?

伊東 私は意識したことないわ。手塚先生は男の子、女の子も関係ないでしょ。私はその意識で描いてきたから。

竹宮 少年漫画誌にはじめて描いた「地球へ」も、描き方としては変わっていないでしょ。バックがまともに入ったというか。(笑) もし二つがいっしょになるとしても、女だからできるって、いってるうちはダメね。

増山 中間地帯ができる可能性があるね。少年漫画的なものをいっさい求めずにいる少女漫画もあるし。ほら、おとめチック漫画が花ざかりでしょ。二つの輪が完全に重なることはないと思いますね。

竹宮 少年漫画に女を載せるなんて、もってのほかだという人もいるしね。

増山 とにかく、ファンのほうも本ものになってきたと思うの。むかしはキャラクターに人気が集中していたけど、いまは生きる姿勢とか、作家的価値観とかでしょ。ケーコタンの場合、もう敵は自分でしかない。闘うのは自分の弱さとか、甘えとか、自分の世界がどのくらいの広さなのか、どういう感触なのか、さぐることだけ。それをつかみきって、自信をもって表現したとき、ようやく読者を満足させられる。

竹宮 いつまでもマイペースで描きつづけるしかないなあ。そして、70歳のおばあちゃんになっても、現役で漫画を描いていられたら、最高だわ。でも、手がふるえて線がよれっちゃったりして……。 (笑) 漫画家専用の養老院でもつくる?

伊東 うん、うん、つくろう。

竹宮 じゃ、私たちの養老院を建てるべく、がんばらねば。

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