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【竹宮惠子ロングインタビュー6「天馬の血族:完全版6」2003年】

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竹宮惠子ロングインタビュー6「天馬の血族:完全版6」
インタビュー構成:梅澤鈴代
収録日:2003年05月07日
収録場所:角川書店会議室
(図版に続いてテキスト抽出あり)







6巻では、京都精華大学の芸術学部マンガ学科で教鞭をとる竹宮先生の教授生活に迫ります。
それまで漫画家一筋30年だった竹宮先生にとって、大学での日々は新鮮であり、
かつ、思いもよらぬ苦労や悩みが生まれるものであったようです。
漫画家としてではない、竹宮先生のもう一つの顔がそこにありました。



「エルメス」から始まった教授生活

今、私は皆さんもご存じの通り、大学で教鞭を取っています。そのきっかけとなったのは、前に少し触れた「エルメスの道」という作品でした。

「エルメスの道」は、エルメスの家族史に近代史も加えて、エルメスの社史を描いたものだったんですね。写真は残ってるけど、エルメス の社長さんもその実体を知らないひいおじいちゃんとかが出てくるわけです。また、「エルメスの道」は次々主人公が変わっていく話でもありますから、できるだけ私のキャラのようなアクの強さを出したくなかったんです。

「吾妻鏡」はその逆で、キャラクターの部分をある程度出さないと、物語として面白くない話でしたね。古典の中でも、「吾妻鏡」は特にそういう部類のお話です。だからできるだけ文学的に、平家物語と吾妻鏡の間…といった雰囲気の作品として描きたかった。それで、キャラクターもしっかりと前面に出してます。義経があんな美形じゃないというツッ込みもあるけど、無視して少女マンガのキャラっぽいデザインにしてますし(笑)。

ですが「エルメス」の場合、読む人が期待しているのはエルメスの社史としての部分が大きいわけですよね。私のファンももちろん読むんですけど、エルメスのファンが読んだり、エルメスの工房の人たちが読む。そういうことを考えて、わりと一般的なキャラクターで描こうと思いました。だから、普段の私のクセがあまり出てない作品なんですね。

その部分が、牧野圭一先生の目に止まったようです。牧野先生という方は、私より6年も前に京都精華大学芸術学部で教鞭をとってらっしゃったんですけど、ストーリーマンガを教えられる人を探しておられたんですね。

「エルメスの道」が出版されたときに「こんな仕事もやってます」とあちこちに本をお送りしたんですけど、それをたまたま目にされて、こんな風に自分自身を殺してマンガを描ける演出力…そういうテクニックを持ってる人なら、教えるのに向いてるんじゃないかと思われたらしいです。

「ちょっとお話がしたいんですが」と呼ばれて、鎌倉駅の前でお会いしました。でも、その時にはまだ精華大学にストーリーマンガ分野はできていなかったんです。作る予定もハッキリとは決まってないような状態で、とりあえず当たっておこうという感じだったんじゃないでしょうか。「大学で教えるというの はどうですか?」と聞かれました。

その時私は、「もしそんな機会があったら面白いと思います」というようなことをお答えしたと思います。専門学校でごく一部だけ教えるのに比べたら、大学でしっかり教える方がずっと面白そうでしたから。2年ぐらいじ ゃ何も教えられない、4年ぐらいないと…。自分が物事を教えられる人間かどうかは、とりあえず置いておくとしてね(笑)。ただ、そう なるとマンガは描けなくなっちゃいますよね。でも、やってみたい気持ちはある。だから、「本当にそれが実現するならば、面白いかも?」ぐらいな感じで、断言はしなかったんですね。



スタイルを確立したい

その場はそれで話が終わりまして、1年ぐらいあとに突然電話がかかってきて「この間の言葉に二言はありませんね」みたいなことを聞かれたんです(笑)。「気持ちはまったく変わってませんけど」とお答えしたら、「本当 に(大学でストーリー分野も)やりそうだから」ってことになって、それからはとんとんとんと話が進んで、実現してしまったわけです。

大学で教えるとなったら、責任が重いから連載はできない。たまに読み切りぐらいしか描けないだろうなと思って、そこは本当に悩みました。例えばもっと時間が経って、ある程度の形が決まってきたら、別の方と交代するようなこともできるのかもしれませんが、全貌が見えないうちはやるしかないですから、途中で放り出せないですね。

「大学でマンガを教える」というスタイルを確立したいという欲があるんです。今4年目ですけど、まだまだ見えてきた感じはしないですね。それでも何を教えるべきなのか、ちょっとずつわかってきた気はしています。

最初のうちは本当に五里霧中でしたね。当たってみないと、みんながどんな風に受け取るのかわからない、何が聞きたいのかすらわからない。だから「何が聞きたい?」って学生に逆に訊ねたりしましたよ。「先生、何も考えてないですね」とか「行き当たりばったり」とか、よく言われました。でも、学生の方も初めてなわけですよ。だから、何を教えて欲しいのか、何が教えてもらえることなのかがわかってない。大学側もよくわかってない。なのに、ストーリー分野を作ってしまったという(笑)。でも、要望はとても強くあったみたいですよ。漫画を勉強してみたいと思っている人は、けっこう多いんでしょうね。



学生がもっとも望んでいること

最初の授業のことは、もうあまり覚えてません。当たって砕けろ状態で、カリキュラムをきちんと決めずにラフな感じで臨みました。確か、第一回目は「演出って何なのか」というようなことを話したと思います。マンガにおける演出はいろいろありますよね。背景であり、吹き出しの形であり、効果音であり…。学生に、何が演出だと思うかを出してもらって、ひとつひとつそれを説明していきました。でもそういったものより、学生が望んでるのはやっぱりストーリーの作り方、具体的な組み立て方なんですね。今ではそちらに重点を置いています。マンガを描いたことのある学生が多いので、コマ割りや演出法などはそれなりに形ができていますが、ストーリーの組み立て方となるとわからないわけです。

ストーリーの組み立て方は、漫画家をやっていて、私自身、いちばん苦労した点ですね。それを教えることは嫌ではないんですが、+α、エッセンスの部分は自分で見つけないとダメな部分なので、その見極めが学生には難しいみたいです。私の方は起承転結と5Wと1Hや、どうやってページを割っていくかというようなことを、基本通りに教えています。プロットがどんなものかわからないというので、私が実際に書いた物をコピーして教材に使ったりしました。また、雑誌の中のマンガからいくつか選んで、逆にプロットを作らせたりもしています。

キャラクターの作り方の要望は不思議となかったですね。それは他のところで教えてもらえるからかもしれません。でも、脚本概論の中でキャラクターをどうやって組み立てるかという話も、そのうちにしたいなとは思っています。ビジュアル面ではなく、人格的な面でのキャラ作りはストーリーにも関わってきますから。



4年目の思わぬ後悔

最初の頃は、本当に戸惑いの連続でした。変な髪の色にしてる人がいっぱいいるので(笑)、どんな性格なのかわからないうちはとても緊張していました。マネージャーと一緒に行って、いろいろ手伝ってもらっているんですけど、彼女は見知らぬ人や見知らぬ動物を手なずける(言葉は悪いですが)のがとても得意なんですね。ちょっと扱いにくそうな学生を研究室に連れてきては話して、餌づけ(笑)して……ということをくり返していたんです。そういう風にして呼びこんでみると、どちらかというと甘えん坊な子が多くて、外見とは全然違うんだなと思いました。内気だったり、口下手だったりして、そのせいで他人へのあたり方が変になっちゃう誤解されやすいタイプなんですね。それがだんだん授業の出席回数が多くなって、こなれてくる。それだけでも大学に来てよかったなと思います。

「若い人とすれ違うと怖いよね」という友人がけっこういるんですけど、大学に行き始めてから、私はそれはなくなりましたね。さすがに若い人慣れして(笑)。

漫画家だからなのかもしれませんが、私はあまり先生然としていないでしょ。そういう意味では、学生の方も馴染みやすかったようです。タメ口でも全然気にしませんからね、私は。

英語じゃ「タメ口」という考え自体がないし、日本だからあるというだけの、特殊な概念だと思っていますので。

ただね、4年経つと就職という問題が出てくるわけですよ。ここにきて初めて、「うーん、教育を間違えたかな」とは思います。お行儀関係のことを、まったく教えなかったのはさすがにマズかったかなあ。でも、私もちゃんと分かっているかといわれると怪しい。だから、正しい敬語について知りたい人は、マネージャーに聞いてくださいと言ってるんです(笑)。彼女は証券会社の窓口をやっていたぐらいなので、その辺はしっかりしてるんですね。「就職の教育はそっちに任せた!」みたいな感じになっちゃってます。

マズイなと思いつつ、私自身はそれほど気にしてませんが、事務局の方は意識しているようです。人気のある学科なので、やっぱりちゃんと卒業させて就職してもらいたいんでしょうね。ただ、マンガですからね。マニュアル教育でできるようなものではないので、難しいなと思います。



教授生活最大の苦痛

大学に行くようになって、いちばん変わったのは、朝、ちゃんと起きるようになったことですね。それまでも、仕事しているときは比較的ちゃんと起きている方だったんですけど。3時間ぐらいしか寝ない場合でも、やっぱり朝の方が寝覚めはいいですし、健康状態を保つためにも朝起きて夜眠る方がいいんですよね。でも、仕事が終わると自堕落になっちゃうんですよ。夜中にやりたいことが多いですからね。しかも、仕事がないと朝起きる理由がないですから、夜中に映画見たりして、ずるずる朝寝坊をしてしまう。

でも、大学に行くと本当に毎日毎日きっちり起きなきゃいけませんよね。漫画の仕事の時よりもずっと早く起きて、それから外出の支度をするという、さらにワンステップ加わるわけですよ。マンガの仕事だと、そのまま机に向かえるんですけど。とにかくお化粧しなくちゃいけないのが嫌でたまらなくて(笑)。これはいまだに大嫌い。お勤めの経験がありませんから慣れてないし、グズなんですよ。これが最大の苦痛ですね。

帰りはだいたい8時か9時頃です。前はもう少し早かったんですが、最近遅くなってしまって。何か特別なこと(教務会議とか)があると、10時ぐらいまで大学にいたりします。書類を整理したり提出物を赤入れしたりしているうちに、時間が経ってしまう感じですね。その作業をこっちに持って帰ってきてもいいんですけど、持ち帰るのも大変ですから。

また、そういった事務的なことで悩むのも嫌いなんですよね。マンガを描く準備に関しては、もう30年以上もやってきていて、作業の流れも全部できているから楽なんです。机についたらすぐにできちゃう。でも、事務仕事をクリアする手際はまだまだ悪いので、余計に時間がかかってしまって、イライラします。さらに大学には私以上に事務的じゃない人がけっこういるので、またそこで大変で(笑)。

大学というところは、とにかく書類が多いんですよ。 なんであんなにいるのかわからないんですけど。みんなに平等に情報を与えなくてはならないので、コンピュータ上に取りこんでブラウザで勝手に見てね、ということができない。結局、配るしかないんですよね。しかも、それが極秘書類だったりすると、いちいちシュレッダーにかけなくちゃいけない。表に出しちゃいけない書類とか、いっぱいありますからね。学生の名前や番号をうっかり出しちゃったら、機密漏洩になってしまいますし…。気を遣うことがいっぱいあるんですね。それも、今までは遣う必要のなかったことで遣うので余計に疲れます。



教授として、漫画家として

でも、学生の描いたものに赤入れするのは、とても楽しいですよ。ただ、その赤入れしたマンガを、雑誌などに応募されては困るので、そこのところが悩みますね。どこまで教えるのか、どこまで直すのか。精華大学の教授には、小学館の編集長だった山本さんもいらっしゃるんですけど、彼もその辺は悩んでいるとおっしゃっていましたね。逆に、私の手が入ってないのに、精華大学の学生ということで、添削してもらったんだろうと思われる場合もあるわけですよ。それもまた気の毒だなと思います。

学生たちが制作したもので、私の意見がいちばん入っているのは、この間制作した鎌倉の海水浴場の120周年記念誌かな。マンガを使って海水浴場120周年の記念小冊子にしたいということだったんですね。この時は、一部ネームを切ったりもしました。記念式典での無料配布本で、数も限られてますし、今はもう手に入らないと思いますが。

大学で教えるようになって、いちばんよかったなと思うことは、読者との距離を縮められた気がすることです。漫画家を長くやっていると、だんだん読者と年齢が離れていくじゃないですか。今の読者(=若い人)は、もう全然違う価値観なのかなと思っていたんですが、近づいてみたら意外にそうじゃないんだなと。そう思えたということが、何よりの収穫でしたね。

今後卒業した人たちと、こうした小冊子のようなものを制作するチームや会社などを作れたらいいな、なんて思っています。教授としての夢ですね。漫画家としての夢は…今年一年はお休みさせていただくんですけど、秋に漫画家生活35周年記念の個展を計画しているので、まずはそちらを頑張りたいと思います。

註:ロングインタビューは6巻で終了、7・8巻は対談



全8巻データ(表紙・裏表紙・奥付)
竹宮惠子「天馬の血族:完全版」2003年

竹宮惠子ロングインタビュー
竹宮惠子ロングインタビュー「天馬の血族:完全版」2003年

対談:竹宮惠子・belne
対談:竹宮惠子・belne「天馬の血族:完全版」2003年

他の作家からの寄稿
Special message to Keiko Takemiya「天馬の血族:完全版」2003年

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