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【偏愛!美少年の世界:竹宮惠子インタビュー】

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/166487...

TJMOOK(『このマンガがすごい!』編集部)
大人の少女マンガ手帖
偏愛!美少年の世界
出版社:宝島社
発売日:2016年02月23日




「大人の少女マンガ手帖:偏愛!美少年の世界」24-29ページ
竹宮惠子インタビュー









「大人の少女マンガ手帖:偏愛!美少年の世界」24-29ページ
竹宮惠子インタビュー

70年代、少女たちを夢中にさせた
金髪の美少年・ジルベールの誕生秘話!

異国の少年への憧れと
創作への周年が生み出した
ジルベールという宝石


男の子になりたかった
少女時代

──今日は、先生が描く美少年のルーツについてお伺いできればと思っています。子どもの頃、お近くに外国の子どもが住んでいたという記事を読ませていただいたことがあるのですが。

竹宮 徳島の田舎に住んでいたのですが、歩いていけるところにレンガ造りの洋館があったんです。5、6歳の頃だったでしょうか。そこの子どもがよく2階の窓から顔を出していたので、「この時間ならいるんじゃない?」なんて、友人といっしょに見にいったりして。戦後間もない頃ですから外国人自体が珍しく、当時は日本全国の子どもたちが外国にある種の憧れを持っていたんじゃないかと思います。

──ほかに外国への憧れを駆りたてたものは、ありますか?

竹宮 小中学生の頃、テレビでアメリカのホームドラマがたくさん流れていたので、その影響もありました。覚えているのは馬がしゃべる『ミスター・エド』(注:人の言葉をしゃべる馬、エドが主人公となるアメリカのドラマ。日本では1962年から放映)、乗馬の競技をしている女の子が出てくる「走れチェス」(注:牧場の娘、ベルベットが愛馬とともに競馬の優勝を目指す物語。日本ではNHKで60年に放映)……、その頃から馬が好きだったんですね。そこからSFの人形劇の「銀河少年隊」(注:手塚治虫原作の人形劇。1963-65年にかけてNHKで放映)も好きでした。宇宙船の乗組員はみんな外国人のキャラクターで。

──その頃お好きだったものが、竹宮先生の核をつくっていったのでしょうか。

竹宮 そうですね。幼い頃の自分をかたちづくっている記憶を、ずっと追いかけているような感覚はあります。あの頃、よくした遊びに「なりきり遊び」があります。クラスのなかでもお姉さんっぽい子がお母さん役で、私は必ず小学1年生ぐらいの男の子の役。その頃から、自分の精神性をそういうふうにとらえていたみたいです。

──自分で男の子のポジションを希望していたのですか?

竹宮 そうですね。男の子になりたい、男の子と遊びたいという気持ちが強くて。だから、人形遊びは嫌いで。でも、若せ替え遊びは好きでした。絵が描けるのをいいことに、ついでに女の子とお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、ボーイフレンドや彼が住んでいる家までつくっちゃう。

──俯瞰でものを見ている子どもだったのですね。

竹宮 ふふふ。わりと構築的な楽しみかたをしていたように思います。そこから、屋根の上から飛びおりるといった身体を使った遊びに興味が移り、中学生まではわりと自由でした。だけど、母が女性らしさを大切にする人で、高校生の時は「女の子は女の子らしく」と、よく言われたんです。そんな私が国立の教育学部に行ったものですから、男の子の友人が一気に増えて。学生運動が盛んでしたから、よく政治の話をしました。

──初連載は大学生の時ですよね。日常的に政治の話をする環境と当時の少女マンガの世界は、かなり乖離していたのではないでしょうか。

竹宮 じつは最初から少女漫画家を目指していたわけじゃないんです。高校生の時「COM」(注:1967年から73年まで刊行されたマンガ雑誌。発行は手塚治虫の虫プロダクションから独立した虫プロ商事)に投稿し始めたのですが、当時は「ゆくゆくは児童マンガを描きたい」と思っていて。ある時期から児童マンガ誌がどんどんなくなっていって、自分が目指すものにはなれないことがわかってきたんです。とはいえ、自分の描く線は青年誌に掲載するには弱いということもわかっていて。だったら少女マンガなのかなと、座りが悪いことがわかっていながらそこに行った感じです。



幼い頃の自分をつくった
憧れ、それを創作で
ずっと追いかけている

セルジュの初期設定イラスト。「最初はセルジュのジルベールも肉感的だったんです。でも、(読者の)女の子は好きじゃないだろうと徐々に削りました」(竹宮)




『風と木の詩」誕生前夜…
少年の名はジルベール

──では、『風と木の詩』についてお伺いしたいと思います。構想段階で、作家の増山法恵さんと電話で8時間お話をなさったそうですね。

竹宮 最初にストーリーとキャラクターの断片を書きとめている時、「この子はどこのだれで、どんな人物なんだろう?」という部分を埋めようとするほど、次々に創作がくっついてくるんです。そこで、「これは、読み切りで終わるような物語ではない」と感覚的に思ったんですね。彼女は、私が描く少年が魅力的だよ、とずっと言ってくれていたので、この構想を彼女に話してみたいと思って、電話したんです。

──増山さんとはどんな話をされたのでしょう?

竹宮 興味を持っていろいろ質問してくれるので、決まっているところとそうでないところがわかってくるんですよね。「その子は学校に閉じこめられているのよ」と私が言うと、「なぜ?」と彼女が質問し、「なぜだかは知らない」なんて会話を(笑)。とにかく反抗的な子で、学校の規則にとらわれていなくて、いつもほとんど服を着ていなくて、上級生を次々に誘惑して学校の成績をなんとかしながら過ごしている、ということは決めていました。

──ジルベールという名前は決まっていたんですか?

竹宮 わりと早い段階で。なぜ、その名前を選んだかというと、オーソドックスな名前は読者に受け入れられやすいということと、いい家庭の人はオーソドックスな名前をつけるものだということを雑学として知っていたからです。その年代が舞台となっている映画を観ていると、「そんな変な名前の人と付き合うことは許しません」なんて台詞が出てくるじゃないですか。

──たしかに貴族の間では名前って受け継いでいくものですよね。そうやって少しずつ話を具体化していったわけですね。

竹宮 夜明けまで話して、とりあえず寝ましょうと。そうしたらその日の午後に彼女が「絵を見たい」と家に来てくれて、「おもしろいけど難しい話だよね。たくさん勉強しなきゃならないね」と話しました。それはわかっていつつも、早くマンガにしたいわけですから、いきなりクロッキーノートにコマを割り始めて。それを今でも持っています。



いきなりクロッキーノートに
コマ割りを始めたくらい
早くマンガにしたかった

「週刊少女コミック」1976年10号に掲載された「風と木の詩」の第1話の冒頭がこちら。今見ても衝撃を受ける冒頭シーンだが、コミックスでは見ることができない、「執念の ジルベール」というインパクトあるアオリ文が印象的だ。




満足いくものがつくれない
苦しみで自家中毒に

竹宮 そこで、テレビのタイアップものの週刊連載をこなしながら、『風と木の詩』の準備を進め始めたんですが……。その頃、萩尾(望都)さんといっしょに住んでいたんです。彼女はストーリーコントロールが上手で深い話が描ける人。描くもの、描くもの質が高くて、それを間近で見ていたら、いわゆる売れ線の少女マンガを描くのがイヤになってしまったんです。その週刊連載は1年の約束だったんですが、辛くって。その一方で、つてを辿ってはこれぞという編集さんに『風と木の詩』のネームを見せるんですけど、なかなか勝負を賭けようという人が見つからない。なにせベッドシーンから始まりますから。そうこうしているうちに自家中毒みたいになって、どんどん痩せていってしまって。

──なんと!

竹宮 新人は生活が不安なものですから仕事は入れるわけです。けれど、描くもの、描くもの納得いかないのに生み出していかなければならない。それが自家中毒の原因で、その状態があまりにも長く続いたんですね。萩尾さん、山岸(涼子)さん、増山さんと私の4人で1カ月半ほどヨーロッパ旅行にも行ったんですが、帰国してすぐ、「悪いけれど、私は抜ける」と話して。萩尾さんは「スープの冷めない距離に住んで、自由に行き来すればいいじゃない」って。

──それで、自家中毒からは脱出できたんでしょうか?

竹宮 それが、ダメだったんです。私だけ駅の近くにマンションを借りたんですが、萩尾さんが編集部に行った帰りに必ず私のウチに寄るんです。自分のわがままで同居を解消しているわけですから、「やめてほしい」とはさすがに言えないじゃないですか。それで、強迫観念から怖い夢を見たりして。離れたことで少しは物語のコントロールができるようになっていたんですけれど、これを大切にしないとたいへんなことになるぞと思って、「正直つらい」という話をしたんです。

──その時点では『風と木の詩』は、まだこの世に出ていないですよね。

竹宮 温めてはいましたが、描くには至っていないです。その頃、マンガの合間に載る1ページエッセイに、「こういう話を考えたけど、描けない。でも、絶対にいつか描くから」と書いたんですね。読者から「いつまでも待っています」という手紙がけっこうきて、少し安心したりして。

──最終的にはどうやって、あのシーンを通したのでしょう。

竹宮 ある時、少年マンガ誌の編集部にいた人が私の新しい担当になったんですね。その人に見せたら、「これはダメでしょう。だけど、読者ア ンケートで1位を取って人気の後ろ盾ができたら、いち編集者がその作家さんが次に始める連載内容にとやかくいえません」と、はっきり言ってくれたんです。それまでは読者アンケートを意識したことがなかったのですが、それなら目指してみるかと『ファラオの墓』を始めたんです。

──そこで晴れてトップになったんですか?

竹宮 いえいえ、全然トップなんて取れていないんですよ。表紙を描いて、カラーページをもらって、大々的に新連載を始めたんですが、アン ケート結果は8位でした。担当者は「困ります」と言っていましたが、私はめげなかったんです。それまでの私の作品に比べたらサービス精神旺盛だし、派手にコマを作ろうとしているし、そういう意味では前に向かって努力しているもん!って (笑)。ちゃんと前に進んでいると思えれば、安心していられる性質なんです。その頃、デパートの屋上で上原きみ子さんと合同サイン会をしたのも自信につながりました。たくさんのファンが来てくれて、2000人分ぐらいサインをしたんですよ。

──2000人!? たいていのサイン会は、先着100名とかですよね。

竹宮 今では考えられませんけれど、何回並んでもOKみたいな感じだったんです。お話も恋愛要素を入れてからアンケートの5、6位をう ろうろするようになり、最終回の1話手前で2位になりました。その頃には自家中毒的なものも抜け、「2位までいったんだからいいじゃない」と編集者を押し切るほど気持ちも強くなっていました。



『風と木の詩』を
世に出すため
初めて意識した
読者アンケート

まだ掲載が決まっていない73年に、「週刊少女コミック」誌上「1ページ劇場」に掲載された原稿。今も「初心忘るべからず」との思いで、竹宮先生のアトリエに額装して飾ってあるとのこと。




スランプを超えて
ついに名作誕生!

──執念で始まった『風と木の詩』ですが、カのこもった連載初回の反響はどうでしたか。

竹宮 みなさんハンで押したように、「学校の帰りに買って、電車のなかで読もうと思いましたが、そーっとページを閉じて、家で読みました」という反応で(笑)。「絶対に先生に見つかってはならない。親にも見せられない」と思ったようです。

──ジルベールの美しさも相まってすごいインパクトでした。キャラクターを生みだすにあたり、一番、苦心なさったのはどの点ですか?

竹宮 初期に描いた彼らは肉感的すぎたので、女の子が好きな形状はどのぐらいかを考えて、かなり体格を削りました。1巻のセルジュとかたくましい感じでしょ? 後半にな るほど植物的になっていくんです。

──たしかに、所作も質量を感じさせない軽やかさがありますよね。何か参考になさったモデルなどはいましたか?

竹宮 ジルベールを作るとき、映画『ifもしも…』(注:1968年公開のイギリス映画。英国の伝統ある寄宿学校を舞台にした作品。翌年のカンヌ国際映画祭グランプリを授賞)のルパート・ウェブスターに似ているなと思ったことはあります。だけど、ルパート・ウェブスターの歩き方は嫌いだったんですよね(笑)。

──お気に入りのキャラクターはいますか?

竹宮 だれというのはないのですが、パスカルは人気がありました。作者が言いたい深いことを言ってくれる重要なキャラクターです。

──私もパスカルが大好きでした。頼れるお兄さんという感じで。お気に入りのシーンはありますか?

竹宮 初めてセルジュとジルベールが結ばれるシーンがあるじゃないですか。その日の夜の風の音や風景をたくさん描いているんですが、私としてはそこが好きです。

──まさにタイトルを表しているシーンですね。個人的には香水のシーンが印象に残っています。

竹宮 読者に匂いや音というものを意識してほしくて、どういうふうに感じさせるかを、けっこう一生懸命考えました。

──匂いといえば、「カレースープの味がするキスなんて」という台詞もありました。

竹宮 あはは(笑)。あの時代には東インド会社もあるし、大丈夫かなと思って出しました。アヘンもあの頃のヨーロッパでは珍しくなかったので、ああいうかたちにして。ちなみに、ジルベールが死ぬことは連載開始時から決めていたんですよ。

──ジルベールが堕ちていく様は胸が痛かったです。しかも、最期の台詞は「オーギュ」ですよね。実際、馬車に乗っていたのは別の人なのに。

竹宮 そういう抗議が一番多かったです。森崎偏陸(注:寺山修司の影響を受けて劇団『天井桟敷』の一員となり、舞台や映画、デザイン、文筆業など多方面で活躍)さんにも「オーギュだったら踏みにじられてもいいと思うけれど、なぜ別の人にしたの?」 と怒られました(笑)。



ジルベールが最期に
セルジュを呼ばないのは
女々しいシーンが嫌いだから

ひそかに人気の高い、パスカル。「パスカルは、すごく重要なこと、作者が言いたいことを言わせられるキャラクターですね」(竹宮)




──なぜ、最期の一声は「セルジュ」 じゃないんだという声もあったのでは?

竹宮 そういう女々しいシーンを描くのが嫌なんです。嫌いとしか言いようがないというか、愛しあっている2人がきちんと別れるなんてできるわけがない。人間そこまで恵まれていないでしょうという厳しい思いがあるんです。読者からは、ジルベールが死ぬ前から、「殺さないでください」という手紙がたくさんきました。「もしジルベールを死なせたら、次は本物を送ります」と、絶対にケガをしないようキレイに包まれたカミソリが送られてきたこともあります。

──気づかいだかなんなんだか(笑)。ほかに印象に残っている読者の声はありますか?

竹宮 ジルベールが自分の境遇を救ってくれたという手紙が多かったことですね。女性だけど、自分も女性が好きという人や、過去に受けた虐待を綿々と書き綴ってきた人もいました。こういうふうに尊厳を保つ方法もあるんだ、ということなんでしょうね。

──ジルベールとオーギュの関係性も衝撃的でした。

竹宮 あの顛末をあきらかにする前は、ジルベールを嫌う人のほうが多かったんです。自由奔放すぎて気に入らないといって。このままだとジルベールが敵役のように思われちゃうなあと思って、彼を学校に閉じこめている叔父さんがどういう暮らしをしているのか、なぜジルベールがこういう子になったのかを改めて考えたんです。

──それで、ジルベールとセルジュの生い立ちパートが生まれたと。その後に2人の距離が詰まっていく過程はたまらないものがありました。

竹宮 ジルベールとセルジュが惹かれあうのは孤独だから。だけど、一方は親の愛を受けて、一方は親の愛を知らない。孤独の質が違うんです。そこをどうやってわかってもらうかを生い立ちの話でつなぎました。



「当時、ジルベールを嫌う人が多く、それで彼の生い立ちの話を描かなくちゃと思って描きました。生い立ちのお話は、あとから新しくつくったんですよ」(竹宮)




ジルベールとセルジュの
孤独の質は違う。
そこをわかってほしかった。

「私の物語に出てくる女子キャラは、ストーリー上けっこう重要な意味のある生き方をしている人が多いんですよ。このパトリシアも、決して無駄なキャラではないですね」(竹宮)




──オーギュの孤独感もすごいなと思いました。

竹宮 はい。子どもを育てるような人じゃなかったのに育ててしまったという感じですね。最初は自分が親だという恨み半分もあって、ああいう育て方になるんですけど、決して大切に思っていないわけじゃない。愛情のかたちはひとつではないということも、この作品で言いたかったことです。

──たしかにひとつではないですよね。作品内には少年同士や青年同士、少年と青年といった様々な愛情のかたちが描かれています。特に筆が乗った組みあわせはありますか?

竹宮 組みあわせ問題というのはBLの世界でよく言われることですが、この頃はBLという言葉がなかったので、みなさん愛の問題として読んでいたと思います。私はけっこうブロウのシーンが好きで(笑)。ブロウを悪者にしきれないのはそのせいなんです。

──ジルベールと馬に乗っているブロウが、後ろからブラウスをはだけるシーンはドキドキしました。

竹宮 ジルベールだから色っぽくなりましたが、男の子同士は無法をするものという感覚があったので。女の子同士だったらありえないですけど。

──たしかにそうですね。では、先生は男女の友情の質の違いをどのようにとらえていらっしゃいますか?

竹宮 中学生の時にすごく仲よくしていた子が、ちょっとの間別々でいただけで離れていっちゃったことがありまして、女の子は時間の流れがネックになるという感覚をずっと持っていたんです。男の子同士はそうではなく、関係性が長続きするというか。だから、私は男の子同士の話が好きなのかもしれません。



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