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【SF少女まんが・ガイド:中島梓】月刊ララ1978年6月号

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月刊ララ1978年6月号
SFまんが大特集号
発行:白泉社
発売:集英社




「月刊ララ1978年6月号」135-138ページ
SF少女まんが──中島梓
ワイドわいど・ガイド
(図版に続いてテキスト抽出あり)







SF少女まんが──中島梓
ワイドわいど・ガイド

☆本格SF少女マンガ

マンガにもSFマンガがある。

SFマンガ、といえば、石森章太郎の「サイボーグ009」とか「宇宙戦艦ヤマト」(キャー島さん!)とかとかく男の人の書く男の子のもの、というように思われてきたのじゃないかな。また事実ほんの二、三年前までは、少女マンガとSF、なんて、たしかに水と油みたいな感じがあった。

絵もストーリーも、少女マンガは、平凡な少女のささやかな心のうごきとか、バレエやテニスにかけた青春とか、せいぜいよくて歴史にからんだ恋愛大ロマンといったものに向いているのだし、読者もそれを望んでいると思われていた。

でも、全然そんなことはありゃしないのだ、と最初に証明してくれたのは、やっぱりわれらのモーさま、萩尾望都の勢場だった。
「ポーの一族」がSF? ときいたら、 なんかヘンだなー、ぴったりこない、と思う人もいるかもしれない。

それに、別にSFと言わなくたって「ポーの一族」のすばらしさに何のちがいもない。

しかし、SFのもつものの見かたや、世界をぜんぜんちがったものに変身させてしまう力をもっていることでは、「ポーの一族」は、なまじただロボットやサイボーグが悪と戦うだけの少年マンガの何倍もSFの本質にちかいのだ。

モーさまはその後も光瀬龍というSF作家の「百億の昼と千億の夜」という小説をマンガ化したり、「奇想天外」というSF専門誌にモト・ファンのあなたならとっくに知ってると思うけど、「秘尾望都のSF小説」を読み切り連載したり、「SFマガジン」にイラストを描いたりして、やっぱりいまのところ竹宮恵子と並んで、少女マンガ界の中ではいちばんSFサイドに近い。

それにほら「11人いる!」「続・11人いる!」という名作があった。SFって何だ、とSFを知らない人にきかれたら、「『11人いる!』のととです」といえばいいんだよ、これ絶対。

さて、少女マンガにおけるもう一人のSFシンパは竹宮恵子。

「集まる日」とか、「ガラスの迷路」だってすごいSFだと思うけれども、ケーコタンのSF的センスを総結集した、といえるのはやっぱり「地球へ…」だろうな。

SFふうにいうとモーさまはどっちかというと宇宙空間とか、異人類を題材にした作品を描いて、アーシュラ・K=グィンとか光瀬龍とかの世界を思わせるが、ケーコタンは未来世界の中でも超人類と人類の対立をよく描いて、ロバート・A・ハインラインとかA・E・ヴォークトといったハードで肉太な本格派のSFを連想させる。「地球へ…」を読んで、あ、よいなあ、もっとこういうのない? と思った人、ヴォークトの「スラン」を読んでごらん。


☆ファンタジーのこと

以上二大巨頭は、これはいわばSFの中でもどっちかというとS、つまりサド──じゃない、サイエンス派と言っていい。

ではF、すなわちファンタジー派の筆頭はというと、これはもう山岸凉子「妖精王」これで決まり!

この数年来、SFの内部でもこのファンタジーがとみに見直されてき て、アメリカではトールキンの大長編ファンタジー「指輪物語」が大学のあいだのベストセラーであるとかトールキンの最新作「シルマリリオン」も小説部門のトップを独占しているとか、いろんな話があるのですが、考えてみると、このファンタジーこそ、少女マンガのエッセンスがすべて入っているのではないか。

妖精と怪物と魔法の力を持つ指輪や角笛。魔女に使い魔にたそがれの エルフ・ランド──女の子なら誰だって、どこかにそんな昔の夢をしまいこんでいるものだし、それだから、その同じ夢がひとつの作品にたかめられたとき、こんなに強い力が訴えかける主張をもつようになるのかとびっくりさせられるのだ。

「妖精王」の主人公、爵は現実の北海道と妖精たちの領土であるもうひとつの北海道を行き戻りするが、現実の中で弱々しい病気がちの少年だった爵が妖精王たるべき勇気とやさしさをそなえた若者へと試練にうちかってゆくとき、それは私たちに「幻想の力」といったものを注ぎこんでくれずにはおかないのだ。

ただ光線銃を射ち、宇宙人をやっつければSFになるのではないように、ただ妖精と魔女が出てくればファンタジーになるのじゃない。それまでだっていくらもそういう作品はあったが、「妖精王」は少女マンガの中にはじめて「ファンタジーの思想」とでもいったものをうちたててみせた、という点で、マンガという枠をこえて評価されていい画期的な作品なのである。


☆現代的感覚のSF

サイエンス派、ファンタジー派といったって、これはもちろん便宜上のわけかたで、モーさまにだって「塔のある家」のような純ファンタジーの作品はいくらでもある。ただ、少女マンガは多かれ少なかれファンタジー的なセンスは持っているので、「11人いる!」の本格SFの骨格に注目しただけである。

ととろでサイエンスとファンタジーのまさに中間にあって、これがSF、と納得させられるのが、山田ミネコ「最終戦争(ハルマゲドン)」シリーズや花郁悠紀子の「フェネラ」などだ。このへんを見ると、しかし少女マンガ家のSF感覚もすごいレベルになったもんだなあ、と思わざるを得ないのは、人工重力だの未来都市、エア・カーにコンピューター、が出てくればサイエンス、妖精、幽霊が出てくればファンタジー、なのではなくて、そういうものは単なる舞台装置にぽんぽんブチ込んでしまい、その上でそれぞれの、かれら自身のストーリーとテーマを展開していること。山田ミネコは個性の強い絵で、「西の22」の海中都市のイメージなんか、すごいと思う。

クマさんこと和田慎二も忘れちゃいけない。こんどはじまった「ピグマリオ」がどのくらいスケールの大きいヒロイック・ファンタジーになるかも興味シンシンだけど、クマさんの場合はやっぱり「超少女明日香」「明日香ふたたび」とかも、印象が強い。竹宮恵子のエスパーものほど、問題意識はないけれども、砂姫一族の超能力が突然変異とか、遺伝でなくって、「自然」の力をかりてる、というところが、アイデアだったと思う。うんそうそう、「左の眼の悪霊」なんかもオカルトロマンというか、SFっぽいセンスのあるスリラーだよね。


☆ハチャメチャ派

なんとか派、みたいな分類はできないけれども、確実にじぶんの世界を築いてるのはやっぱり倉多江美のショートショートとか、大和和紀の「ギデオン」などでしょうか。

もっとも大和和紀センセには「はいからさんがこけた」というすごいハチャメチャSFの傑作がありまして、これはもう多元宇宙、スター・ウォーズ、「火星シリーズ」に東宝映画まで、何と申しましょうかもうメチャクチャ! モスラは出るわネッシーは出るわ大臣二十面相は 出るわ、でもこれだってすごいSFなんよ。最近この「ハチャメチャ派」は本家の方でも筒井康隆、横田順彌、かんべむさし、といった人たちの活躍でだんだん勢カ範囲をひろげつつあるのだ。

そのハチャメチャ派なら大和和紀との二大巨頭は何と言っても青池保子。「イブの息子たち」だってSFですよ。リッパなSFです。神様がイブのあばら骨からまちがえて男でも女でもない、第三の人類ヴァン・ローゼ族を作っちゃった、なんてすごい飛んでる発想ではないか。大仏とジンギスカンが合体して怪物ホング・コングが生まれる、ってのもスゴいしエジソンが穴を発明するのもちょっとSFの素養なしじゃできない発想だ。おまけにこの人、とんでもないところにとんでもない引用があったりするのね。

まだ登場まもないが、末おそろしいかもしれないのが、「信長くんシリーズ」の佐々木けいこ。筒井康隆的ドタバタチックな発想で、このままいけばすごい、革命的な作品を書くようになるかもしれない。この調子であらゆるスタイルのSFマンガが出てくるようになってほしいと思っている。




月刊ララ1978年6月号
 【SF大特集:未知の世界がまっている】
 【SF少女まんが・ガイド:中島梓】
 【私の好きなSF・10選(萩尾望都・坂田靖子・成田美名子)】
 【対談:竹宮恵子・成田美名子】
 【成田美名子先生のおへや】

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