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【対談:竹宮惠子・belne:前編「天馬の血族:完全版7」2003年】

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対談:竹宮惠子・belne:前編「天馬の血族:完全版7」
インタビュー構成:梅澤鈴代
収録日:2003年05月07日
収録場所:角川書店会議室
(図版に続いてテキスト抽出あり)







7・8巻ではbelne先生を迎えての「天馬の血族」対談を前後篇に分けてお届けします。
オルスボルトが大好きだというbelne先生は、
竹宮先生の漫画家歴とご自身のファン歴がほぼ一緒という筋金入りの存在です。
竹宮作品を読みこんだファンならではの視点と、
さらに漫画家ならではの視点も加わって、鋭い考察が飛び出しました。



竹宮漫画の集大成

belne:私、『天馬の血族』が始まったときに、アルトジンとスマロの関係にいちばん惹かれたんですよ。少し童話的というか。『天馬』って童話のような普遍性と神話のような神秘性と、エロティシズムもあって、SF的なテイストもあって、しかもアクション戦記漫画でもあったりして、今までの竹宮漫画の要素が、いろいろなバリエーションで出ている気がします。今までの集大成みたいな意識とかって、あったんですか

竹宮:特にはないですね。描いてるうちにそうなっちゃっただけ(笑)。なんでこの作品を描き始めたかというと、それまでASUKAで描いていたのが現代物中心だったんですよ。それは、『風木』(風と木の詩)から離れたいという意識があったからなんですけど、そろそろドラマティックな長編を描いてもいいかなと。でも、ドラマの作り方は同じだとしても、『風木』や『ファラオの墓』、『イズァローン伝説』などの作品のイメージを引きずらない世界にしたかったんですね。読者も何も期待しない状態で、0から作り上げていくような……。だから、結果的にすべての要素が集まってきちゃったんじゃないのかな

belne:描きたかったことが全部寄り集まっちゃったんですね

竹宮:そんな感じ。ただ、もう長い話を描くのは最後だなっていう意識はありましたね。体力的にきついし、もたないだろうと。だから無意識に全部入れちゃえって思ったのかも

belne:今もそう思ってますか?

竹宮:うーん…わからないけど、現時点ではまた長編を描こうとは思ってないです。途中になっちゃったら困るでしょ(笑)。死んじゃったりとか

belne:縁起でもない〜

竹宮:でも、そういうことを考える年だよねなんて、家族と話していたりするんですよ(笑)



ストレートな面

belne :私が今回の『天馬』で驚いたのは、子供の頃からずっと竹宮先生の漫画を読んできて、久しぶりに……もしかしたら長編では初めて、女性性を強く感じさせるヒロインが描かれたことなんです

竹宮:私は、基本的にはすごくオーソドックスな話の作り方をするんですよ。『風木』みたいに変なネタは使うかも知れないけれど(笑)。ある意味、ヘテロ(異性愛者)タイプの人だと言われたこともあります。変わり者ではあるけど、根っこは標準系なんですね。でも、ごく初期の作品以外で、そういう部分を出したことはなかった。『天馬』は、私が今まであまり出してなかった面、自分の思う男性性や女性性といったものを、初めてストレートに出した作品だと言えるかも知れませんね。堂々と普通の恋愛をさせたい、みたいな(笑)

belne:アルトジンというキャラクターの女性の部分を真っ正面から捉えているような、そんな印象でした。同時に、オルスボルトが、すごく男性性の強いキャラクターに作ってあって、その対比がとても新鮮で

竹宮:ただ、どっちにもいかない性もあるんですよ。 アルトジンなんか、最初はちょっとそんな感じですよね。イズァローンの時にも描いているテーマなんですけど、みんながみんな、どっちかになるわけじゃない。その辺は、常に意識していたいなと思っています

belne:竹宮作品初の、ボインな女の子というのも衝撃的でしたが(笑)

竹宮:はっきり言ってそれは、自分が持ってるもんじゃないから下手ですね(爆笑)。なかなか上手に描けないなと、いつも苦労してました

belne:例えば、『風木』の場合は可変性のある少年期の、これからどうなるかわからないけれども、今その瞬間の性を描かれてますよね。それこそ『イズァローン』には、性的に未分化なキャラクターが出てきますし。キャラクターの個性とは別として、それらの作品と比べると、『天馬』はヘテロの部分にとても重量感がありますよね

竹宮:それは、原始的だからだと思います。私が思うヘテロって、すごく原始的なものなんですよ

belne:御祖や、男神と女神の伝説の部分で描かれているような?

竹宮:それもあるけど、全体に動物的というか

belne:野性味がありますね。ただ、私はそれはモンゴルをモチーフにしたせいかと思っていたんですが

竹宮:それもありますね。私、モンゴル映画を初めて見たときに「もし、人が人らしく生きる場所ってどこと聞かれたら、ここだ!」 って思ったんですよ。こんな場所が、まだ地球にあったんだと。たぶんラップ人とか、狩りをして暮らしている人たちも同じだと思うんですが

belne:人間が、まだ野生の文化を残している場所ですよね

竹宮:そうそう。食べる分だけ殺して食べるとか、食べる分だけ作るとか。余分に作って、売ろうとかは考えないのね



『天馬』を生んだモンゴル映画

竹宮:その映画というのが『マンドハイ」というタイトルなんですけど、モンゴルが歴史 的にいちばん面白い…というか難しい時代を描いた映画なんです。チンギス=ハンの支配が終わった後、漢民族に結局敗れて、草原に戻ってきたモンゴルの末裔の話で。誰が治めるか部族抗争になってるんですが、その中で、マンドハイという王妃が自分の国を守るためにいろんな方法で政治的な難しい局面を乗り切っていくんですね。その方法がね、動物的な勘だったり、実にパワフルな解決策なんですよ。普通だったらあり得ないような……自分が養子にした子供と結婚したりね。まあ、それもすべては国を守るためなんですけど。向こうでは国母マンドハイと呼ばれている有名な女性らしいです

belne:その女性、最後まで国を守りきったんですか?

竹宮:若い夫が愛人を作ったりとかいろいろあって、最後は大臣の裏切りにあってしまうんです。自分の国を中国に売ろうとしていて。それを発見して、大臣と戦うんだけど最終的には殺されちゃう。自分が王妃になる前に恋人だった人が助けに来るんだけど、間に合わない……という可哀想なお話です。でも、単なる悲劇じゃなくて、なんていうのかな、原始的な世界のダイナミズムを感じさせる映画でした

beine:『天馬の血族』も、政治的な要素や軍事的な要素も入ってきますよね。 物語の終盤はSF的な展開になりましたけど、中盤〜ラスト近くの国家間の確執とか、それによる感情の交差がすごく複雑だなと思いました。ただ、例えば『風木』ではひとつひとつ整理されて丁寧に描かれていた部分が、『天馬』ではざっくりと終わってる感じがしたんですよ。それはキャラクターによる所が多いのかなと思ったんですが。『風木』のキャラクターは丁寧なんだけど、オルスボルトとアルトジンは(笑)『天馬』の二人って、ちゃんと読みこんでいくと、本当に複雑な問題に対峙してるんですよね。でも、その複雑な問題を処理するのに感性を使っちゃう

竹宮:もともと考えない人だから。二人とも頭でこざかしく考えないキャラとして作ったんです。でもそのおかげで、筋道立てて喋ってくれなくて、こんなにページがかかっちゃったという気もしています



システムの構築とカタストロフ

belne:でも作品の芯の所ではものすごく考えさせるというか、メジャー漫画にあるまじき複雑さを持ってますよね。都のシステムと草原の対比とか。私なんかだと浅はかに『これが都会の象徴で、こっちが原始な草原』って片づけちゃいそうなんですけど、それだけには収まらないシンボル性を持ってる。最終的には都と草原は夫婦だったりしますし。そもそも都のシステムにおけるテーマって、『地球へ…』と似てる気がするんですが

竹宮:そうなっちゃうのは、出どころが私だからでしょうね。どんな作品でも根底には共通の考えが流れていると思います。システムへのアプローチにしても、それが私の作品の骨格なんじゃないかな

beine:すごくシステム嫌いですよね(笑)

竹宮:システムはあってもいいんだけど、使い方が悪いと最低なことになっちゃうということを、ずーっと言い続けてますね(笑)。けっして嫌いじゃないんですよ。『地球へ…』 のシステムも、ある意味ではすごくよくできてると、私自身思っていますから。その通りにきちんとやれば、いい未来が生まれる可能性があるようなシステムを作りたかったんです。『天馬』の場合は、最初が間違っているんですけどね。男と女の要素が合わなくなって別れてしまったから、おかしくなっちゃった」

belne:本来は一緒にいなきゃいけないものだから、歪みが生じてしまったんですね

竹宮:でも『地球へ…』は救うために作られたシステムだから、本当にいいものじゃなきゃいけなかった。だから自分がいいと思う要素を全部入れていきました。親や子供の情を切り離すのも、それがいい方に行けば成功するはずなんですよ。現実でも子供を集団で育てる国…というか街があって、その辺がヒントになってるんですけど。昔は親子っていうものは密接な関係にあったけど、教えるべきところはちゃんと教えてましたよね。でも、今は親が教えなくなって、先生も教えなくなって、親子の関係が悪くなってしまった。だったらいっそ、親なんかいらないじゃないって発想ですね。単純ですけど

belne:『地球へ…』のシステムは、ある意味、先生の理想なんですね

竹宮:でも、システムを構築して、それを守るのはいいんだけど、悪い部分がどうしても出てくるじゃないですか。結局は完全なものにはならない。だから壊しちゃうんですね。最終的には原始に還らないとよくならないという考えがあるんだと思います。それが、作品に共通する部分なんじゃないかな

belne:それで最後にはカタストロフが起きてしまうと

竹宮:『イズァローン』もそうだったでしょ

belne:ちゃぶ台ひっくり返すタイプなんですね(笑)

竹宮:現実では自分は絶対にしないんですけどね(笑)。きっとしたいから、作品の中でしちゃうんでしょうね

beine:でも、大学でされていることを側から見ると、ちゃぶ台ひっくり返してるとも言えますよ。大学では新しいシステムを作られているわけですが、新しいものを作るということは、当然、古いものを壊しているわけで

竹宮:ええっ(爆笑)

belne:やってることはちゃぶ台返しとあまり変わらないんじゃないかと

竹宮:別に私がひっくり返してるわけじゃないわよ

belne:ひっくり返っちゃったんですね(笑)



主役二人に見る理想の人間関係

belne:『天馬』では、オルスボルトとアルジンの関係にも、最後までやきもきさせられました。ロトもいるし、オルスボルトは最初に愛する人シヘルを亡くして、その後にそっくりな人も現れてしまうし。でも、アルトジンのオルスボルトへの気持ちって、臣下として神格化している部分と同胞として対等に扱ってる部分があって、それがすごく理想的だなと思ったんですが、これは先生にとっても理想なんでしょうか

竹宮:たぶんそうなんじゃないかな。私は妻と夫であるとか、恋人同士であるとか、兄弟であるとか、それ以外の人間の繋がりをすごく信じてますから。精神が作る繋がりみたいなものですね。言わば自分で作る絆、かな。相手がそれを裏切らない限り、いつまでもそれは続くというような。これは女だからそう思うのか、その辺はわかんないんですけど。でもきっと、男にもあるんじゃないかな

belne:性別に関係なくて、肉体関係でもない、主体的な人間関係ですね

竹宮:自分の信じてる人とはいつまでも繋がってるって感覚なんですよ。昔寺山修司さんが、出歯亀事件で新聞に載っちゃったことがあるじゃない。そういう紛らわしいことをする人だなって知ってるのよ。でも、他の人にとってそれが事実だろうが、罪だろうが、どうでもいいんですよ。私とその人の間にある繋がりはもうできていて、永久に変わらないから。それについて喋ることすらうっとうしいみたいな感覚ですね(笑)

belne:相手が何をしようと受け入れちゃうみたいな

竹宮:そうそう。ちょっとややこしいケースだと、Aという人と友だちになるじゃないですか。そしてまた別の、Bという人とも友だちになる。ところが、AとBの人が敵対関係にあったとします。でも、私にはそんなのは関係ないのね。私としては、AさんとはAさんのつきあい、BさんとはBさんのつきあいをしているだけで、そこには何の問題もない し、別の人のところに行って気まずいとも思わない。でも、そう思う人ってけっこう多いんですね。縄張り意識があるというか……。自分が縄張りに入れた人に、違う行動をされると嫌がるみたい

belne:日本人はその傾向が顕著ですよね。 派閥とか

竹宮:私は一度受け入れた相手は、例え相手が自分に気に入らないことをしても、その部分は切り捨ててつき合っちゃう。そういう面が、オルスに出ているのかも知れません

beine:『天馬』を読んでいると、とてもよくわかります(笑)

(8巻に続く)→【対談:竹宮惠子・belne:後編「天馬の血族:完全版8」2003年



全8巻データ(表紙・裏表紙・奥付)
竹宮惠子「天馬の血族:完全版」2003年

竹宮惠子ロングインタビュー
竹宮惠子ロングインタビュー「天馬の血族:完全版」2003年

他の作家からの寄稿
Special message to Keiko Takemiya「天馬の血族:完全版」2003年

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