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【竹宮恵子:変奏曲こぼれ話】1982年05月



1982年
「グレープフルーツ ペーパームーン別冊第4号」80-83ページ
竹宮文学青年だった叔父が手造りの書棚とそこにぎっしりつまった本を、小学三年生だった私にポンとくれた

2019年
竹宮「少年の名はジルベール」小学館文庫37-38ページ
彼女の部屋に初めて通されたとき、まず目に飛び込んできたのは、ものすごい数のレコード(クラシックだけではなかった)と、古今東西の文学関連の本の山、そして積み重なった映画のパンフレットだった。 彼女の家は、もともとは叔父の家で、叔父一家が引っ越したあとに増山さんたちが住むようになったのだ。
そして彼女の部屋は、元は叔父さんの書斎。叔父さんは蔵書のすべてを「のりえちゃん、本が好きだよね。これ、全部貸すよ」と、そっくりそのまま残していってくれたという。
私もこの本棚の本を借りて読み、愛さずにはいられない本を見つけていた




グレープフルーツ ペーパームーン別冊第4号
出版社:新書館
発行日:1982年05月25日




「グレープフルーツ ペーパームーン別冊第4号」80-83ページ
変奏曲こぼれ話
竹宮恵子
(図版に続いてテキスト抽出あり)







カラーイラストのキャプション

ウォルフに比べて
エドナンは素直!
初めての時から、スンナリ描けた。
今でも、エドナンのほうが、実感できる。

エドナン ’70.11.1 Kei


ウォルフが、彼の性格を
私に見せてくれるのは、まだまだ先。
内にこもった性格って絵にするのは大変。
まだ作者自身の絵のクセのほうが強い

ウォルフ ’70.11.1 Kei


この辺は、完全に決めちゃったウォルフ。
内面をかくしたウォルフです。
ちょっと優等生的すぎると
思うんだけれど、仕方ないな。
見せてくれないんだもの

’79.2.19 恵



変奏曲こぼれ話
竹宮恵子

「変奏曲」の登場人物に関して一番よくうける質問は、
「ホルバート・メチェック氏のモデルは誰ですか?」
というもので、私は必ず、えっモデルなんかいませんよ、と答えてきましたが、厳密な意味ではいるのだ、ということをそろそろ白状しましょうか。
などともったいぶるほどのこともないのですが、ボブ氏のイメージをずっとさかのぼっていきますと、最初のインパクトを受けたのは夏目漱石の『吾輩は猫である』なんです。ほら、出てくるでしょう金ぶち眼鏡の美学者、迷亭さん。小学生の頃、私はこの『吾輩…』の登場人物達を熱愛しておりまして、わけても迷亭さんに惚れこんでいたわけです。

小学生のくせに、漢字だらけの漱石の小説なぞよく読めたね、と言われそうですが、私が手にしていたのは昭和二年発行という改造社版の文学全集で、これには漢字全部にカナがふってあったんです。「過去(くわこ)」「大方(おほかた)」なんてね。文学青年だった叔父が手造りの書棚とそこにぎっしりつまった本を、小学三年生だった私にポンとくれたんです。活字中毒少女でしたから、意味がわかろうとわかるまいと片端から読みあさり、なかでも夏目漱石と芥川龍之介に熱中して本がボロボロになるまで繰り返し読みました。

もともと評論文が好きで、小林秀雄の「悲しみは疾走する。涙は追いつけない……。」(『モーツアルト』) のくだりに胸を熱くしたり、吉田秀和の文章はきれいだなァと感心したり。その他たくさんのあこがれた評論家達を合体させ理想化したのが、これすなわちホルバート・メチェック氏であります。金ぶち眼鏡の迷亭さんからえらくイメージが飛躍してしまいましたが、『変奏曲』の中に美学者(あるいは評論家)を登場させようと思いついた当初は、もっと迷亭さんに近い皮肉でとぼけた人物を想定していたのですよ。

『変奏曲』が卵からかえったばかりの頃は、ウォルフとアネットの兄妹愛がストーリーの中心でした。途中から競争相手(ライヴァル)エドアルドが出現し、ウォルフ対エドナンの物語作りに夢中になっていましたが、ボブ氏が登場するのはもっともっと後の事で、つまるところ物語全体が三段階くらい姿形を変えて現在の「『変奏曲(第一部)』に落ちついたわけです。

物語が頭の中にガッチリとできあがっても、それを「絵」にする時思わぬ苦労にぶつかります。 私はエドナンのような派手でアクの強いキャラクターはいくらでも描けるのですが、ウォルフのような王子様タイプの少年は描けないんですよね。ずいぶんスケッチを重ねて今の顔に決めたのですが、慣れるまでに時間がかかりました。

だいたい私は昔の「熱血感動少年漫画」で育った人間ですから優等生の男の子よりも世の中はみ出したガキン子を描くほうが大好きです。竹宮恵子は美少年趣味なんかぜーんぜんないのですよ。泥まみれで暴れまわっているワンパク坊主を描くのが最高に楽しいですね。

あいかわらず女の子が苦手です。アネットなども(じつは最初はジャネットというイギリス的な名だったのですが途中からアネットに変えました)活気があって自己主張のハッキリした少女なのですが、総体的には優等生タイプなので描きにくかったですね。女の子も十歳前後のガキン子になると、たちまちペンに活気がみなぎってくるのはなぜでしょうか!? 年齢がポンととんで二十歳すぎの個性の強い女性を描くのも好きなのです。

『変奏曲(第一部)』は物語自体がうっそうと枝葉の繁った大木に育ってしまったため、漫画として表現する時に切りはらってしまった枝葉の部分──細かいエピソードが今になって、ああ、おしかったなァと思っています。独立した小作品にするにはあまりにもなに気ないエピソードで、ふくらましようがなく、もう私の心の中にとどめておくほかないのでしょう。でもまだ手のつけていない大きな枝──スペインでの抵抗運動時代のエドナン、ボブ氏の少年時代等々──は、いずれ読み切り作品として描くつもりです。

どうやら私は何年もかけた長期連載が一番性にあってるようです。つい最近、私のファンクラブの会長さんに指摘されてビックリしたのですが『風と木の詩』なぞ、一年数ヵ月の学院生活を足かけ八年かけて描いているんです。なんたることぞ。このテンポでゆくと、最終回がいつになるやら作者である私からして見当もつきません。

『変奏曲』もこれくらいのテンポで描きたかったな。そうすれば細かいエピソードを落とさずに済んだのに──と思うため『変奏曲 (第二部)』については慎重にならざるをえません。どこかで定期的に連載してくれ、というお手紙をたくさんいただいてはいるのですが。第一部とは逆に細かい工ピソードからたんねんに積み上げてゆきたい、と思ってます。



竹宮惠子:変奏曲
「コミックJUN」掲載、竹宮恵子直筆メッセージ】掲載年月日:不明
竹宮恵子「変奏曲(1980年02月発行13版)」あとがき】1980年02月(30歳)
竹宮恵子:自作解説「変奏曲外伝」】1980年09月10日(30歳)
原作者名の公表:竹宮惠子・増山のりえ】1988年02月(38歳)

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