5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【竹宮惠子ロングインタビュー5「天馬の血族:完全版5」2003年】

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/168051...



竹宮惠子ロングインタビュー5「天馬の血族:完全版5」
インタビュー構成:梅澤鈴代
収録日:2003年05月07日
収録場所:角川書店会議室
(図版に続いてテキスト抽出あり)







5巻では、80年以降に描かれた綺羅星のような作品群の秘話をお送りいたします。
「風と木の詩」という大作を終えられた竹宮先生が、強く欲したこととは何だったのか。
そして、ヨーロッパ、日本、モンゴルと
世界の様々な場所を舞台にしてこられた先生が、次に向かう先とは?



小説とマンガのリレー?
*参照【光瀬龍と竹宮恵子

「地球へ…」のヒットもあって、その後しばらくはSFを期待されました。その頃、ちょうどSF作家の光瀬龍先生と知り合う機会がありまして、「アンドロメダストーリーズ」 (*月刊マンガ少年1980年11月号-80年5月号、DUO81年9月創刊号-81年11月号いずれも朝日ソノラマ連載)を描くことになったんです。「アンドロメダ」は原作がもと もとあったわけじゃなくて、書き下ろしなんですが、この作品でいちばん大変だったのはそこでしたね。 光瀬先生が1回分ずつ書かれ るんですけど、量的に足りないことがあるんですよ。そうすると、どうしても自分で足さざるをえない。それを後で光瀬先生が見て、「あ、こんな風にしたんだ」って、その追加部分を踏まえた上で続きを書かれるわけです。そういうキャッチボール状態が続くうちに、リレーのようなノリになってしまって(笑)。

最後の方は僭越にも、こちらが主導してストーリーを詰めたような感じになってしまいました。 光瀬先生もそれほど筆が早い方じゃなかったですからね。私も遅いわ、光瀬先生も遅いわで大変なことになってしまって……。



締め切りで忙殺された日々

そういえば、「アンドロメダストーリーズ」 (*1982年8月22日、日本テレビ系にて放送・制作:東映)も24時間TVの中でアニメになっているんですよね。あの当時、私は 「私を月まで連れてって!(以下フライミー)」(*フォアレディ1980年12月創刊号-85年4月号、プチフラワー85年9-86年9月号(いずれも小学館)の連載があったりして、なんだかんだと忙しくて、制作現場まで入ることができなかったんですが、お話はちゃんとまとめてくださったので、安心してお任せできました。主題歌の「永遠の一秒」(*歌:ステファニー/VAP) という曲が、放送の時に1回きりしか流れなかったんですけど、とても好きでした。ちょうど最終回を描いているときに、アニメが放映されたんですよね。それで、マンガの中にも歌詞を使わせていただいたりしました。

このあたりの時期がいちばん忙しかったですね。締め切りの繰り返しなので、マネージャーが「カゼ(風と木の詩)、フラ(私を月に連れてって!) アンドロメダ、カゼ、フラ、アンドロメダ」って歌のように繰り返して唱えていたり、みんなもう半分ヤケになって仕事していました。1か月の間に、いくつもの締め切りがあるので「作品がごっちゃにならないんですか」とよく聞かれたんですが、不思議とそういうことはなかったですね。描き始めると自然とハマる感じで。

そこで蓄積された古典SFの設定やギミックをネタとして吐き出したのが「フライミー」ですね。半分、SF紹介マンガみたいな感じかな。

あの話を読んで、SFを読み始めたという人がたくさんいたのが嬉しかったですよ。

結構、自分でも楽しく…わりと遊んで描いた作品ですね。ダイエットの話みたいに、現代のネタをSFに盛りこんでみたりとか。女性週刊誌からダイエット記事を切り取ると半分の厚さになるというエピソードは本当ですので、一度是非やってみてください(笑)。



「フライミー」の原点

「フライミー」は、SFだけどファミリードラマ風ですね、とよく言われます。たぶんあの作品の原点は、私が中学生頃に見たアメリカのアニメ「マンガ宇宙家族」なんじゃないかな。「フライミー」の中に、エルロイ坊やというキャラクターが出てきますが、そのアニメの中にも、同じ名前のキャラが登場するんですよ。

そういった記憶がずーっと残っていて、自分なりに「宇宙家族」を描いてみたのが「フライミー」だったんだと思います。

「エデン」シリーズは「フライミー」から派生したものですね。最初は1エピソードとして「フライミー」に描いたんですが、その後、なんとなく発展していってしまったという感じです。1度、行きっぱなしになってしまう宇宙船というのを描いてみたかったんですよ。こちらは「フライミー」とは違って、完全にシリアスなシリーズになりましたね。

また「フライミー」では、「ブライトの憂鬱」 (*メロディ(白泉社)2000年10月号-不定期掲載中 *2003年当時)という続編を最近描いています。こちらももっと続きを描きたいと思っていて、すでにキャラクターはできていたりするんですけど、なかなか……。ゆっくり待っていただければと思います。



知らない世界に飛び込みたい

「風木」が終わって「イズァローン伝説」を始めて、それも終盤にさしかかった頃、全然違うものを始めたいと、とても強く思うようになったんですね。でも、何をやればいいのか、何がやりたいのか、自分で目星がついているわけじゃなかった。そんな時、角川書店さんのASUKAでお仕事をすることになりまして。担当さんが洋楽がとてもお好きで、よく聴かせていただいているうちに、音楽ものもいいなあと。ちょうどその頃、チェッカーズもデビューしたんじゃなかったかな。私、彼らが出てきたばかりの頃からずっと好きだったので……彼らを見ているうちに、そういう話が描きたくなって、「>5:00 REVOLUTION」(註:正しくは「>5:00PM REVOLUTION」)が生まれたんです(笑)。

ある意味、ファンを裏切りたかったんですよね。だから、「風木」「イズァローン」の連載中にずっとやっていたファンクラブも、この時期に全部閉じちゃったんですよ。わざわご挨拶文まで書いてね。私にとって、知らない世界に飛びこみたかった。 洋楽なんて全然知りませんでしたからね。もっとも、私がよく聴いたのはこの時代だけで、連載が終わっちゃうと、また全然聴かなくなっちゃいましたが。もともと音楽はなくてもいい体質なんですよね。日本の歌謡曲もあまり知らないし。チェッカーズは歌がどうこうよりも、タレント、アイドルとしての売り出し方がとても面白かったですね。

「>5:00」のファンの反応は大きかったですね。やっぱり「風木」のファンがいちばん多かったですしね、こういう話は嫌だという人もいました。でも、同じような話ばかり描いてはいられないじゃないですか。とにかく「風木」のイメージからいったん離れてもらわないことには、次のものは作れないと思っていましたから、そういう意味では嫌われるのは怖くなかったです。

この時期、私は「風木」のキャラが描けなくなってたんですよ。なんだかバランスがおかしくなってしまって。それぐらい、自分自身も「風木」から離れたかったのかも知れません。でも、そんな風にファンを裏切る形で作ったので、「>5:00 REVOLUTION」は、作品としてはアンケートは取れないわ、コミックスは売れないわ、さんざんだったんじゃないかと思います(笑)。



一冊の本との出会いと「吾妻鏡」

この時期以降、「姫くん」シリーズや「疾風のまつりごと」 (*プチフラワー(小学館)1990年7月号-93年1月号連載)など、日本を舞台にした作品が増えていったのも、「変えたい」という意識の現れだったんでしょうね。もう一つの理由として、ヨーロッパという舞台を自分の中では消化しきってしまって、新鮮味がなくなったことがあると思います。最近の話ですが、「ブライトの憂鬱」と同時期に「回帰」(*メロディ(白泉社)2000年10月号掲載)という作品を発表したんですね。カールを主人公にして描いてみ たんですが、本当に読めちゃってるなと自分で思ってしまう。何回もヨーロッパには行ってるし、自分で描いていて盛り上がらないというか……それが嫌でね。自分が違うヨーロッパを見つけない限り、新たに盛り上がることはないだろうなと思いました。

ただ「エルメスの道」(*描きおろし(中央公論社)1997年3月刊)を描いたときに、少し自分の中のヨーロッパ観は新しくなりましたね。やむを得ず近代史を勉強することになったからだと思うんですが、見方が変わった気がするんですよ。私が知っていたのは中世以前のヨーロッパが主でしたので。あちらって、あまり街並みなどが変わったりしないじゃないですか。だから旅行してもイメージが中世のままで…。それが「エルメスの道」で近代史を勉強して、ちゃんとヨーロッパも変わっているのが実感できたわけです。「ああ、あちらも眠っているわけではないんだ」と(笑)。本当は「風木」の時代にはもう車は登場してるんですよね。風景として、車が描かれていてもおかしくはなかったんだなと、今になって思っています。

「吾妻鏡」(*描きおろし(中央公論社)1994年12月-96年2月刊)を描いたのは、鎌倉に引っ越したことが大きかったですね。鎌倉という土地は日本の風情がとても残っていて、幽玄な雰囲気も漂う場所なんですね。人の手に触れられてない山も結構残っていますし。また古本屋さんも、東京とはちょっと違う品揃えなんです。やっぱり鎌倉ですから文士の方々がたくさん住んでいて、そういう人たちが亡くなったときに出てくる古本がけっこうありますね。東京ではそう簡単に見つからないような本と出会うことができます。しかも綺麗。やはり本が好きな人たちが読んでいたものですからね、状態がいいんです。その中で私が出会ったのが、太宰治の「右大臣実朝」でした。その本を選んだのは、藤田嗣治の版画イラストが表紙だったからなんですが。昭和初期の本なので、とても紙が悪いんですよ。帳簿を再利用しました……という感じの紙で、ときどき別の字が浮いていたりするんですけど、そこがまたよくて買ってしまったんですね。太宰は文章が粘っこくて嫌いだといつも言ってるくせに(笑)。



ようやく巡ってきたチャンス

その時点では、源実朝というのは「あの銀杏の下で切られた人らしい」というぐらいの知識しかありませんでした。で、「右大臣実朝」 を読んでみたら、中に「吾妻鏡」がいっぱい引用されているんですよ。一応、「吾妻鏡」自体も読んでみたんですが、古文体で鎌倉時代特有の言葉もたくさんあって、辞書を引きながらでないと意味がわからない。そんな状態でしたから、「右大臣実朝」の「吾妻鏡」の部分も、その時は意味がハッキリとは分かっていませんでした。ただ、太宰が書いた部分の文章を読めば、なんとなく意味が取れる。そんな風に判読しているうちに、「吾妻鏡」にすごく興味を持っちゃったんですね。いつ かはぜひちゃんと読みたい、しかもできれば難しい方の古文体で読みたいなと。

そんな風に興味をかき立てられていたときに、中央公論社(現・新社)さんから日本の古典シリーズのお話をいただいたんです。古典というので最初は身構えてしまい、あまりやる気がなかったんですが、リストを見たら「吾妻鏡」が入っていたんですよ。最初は短めの「土佐日記」を一巻程度の分量で、と言われたんですけども、リストに「吾妻鏡」の文字を見てしまってはね(笑)。それを指さして、「これならできます」と言ってしまいました。先方にはさんざん「難しいですよ、大変ですよ」と言われたにも関わらず(笑)。そうしたら、次の打ち合わせの時に原典の「吾妻鏡」を持ってきてくださったんですね。

もちろん「吾妻鏡」を全部漫画化するわけではないんですが、私が描こうと思っている部分だけでも4巻分ぐらいある。まず、それを全部読まなければならないのが大変でした。10ページかそこらを読むのに、1週間ぐらいかかるんですよ。さらに資料として「平家物語」や九条兼実の日記を読んだりもしました。こちらは口語訳でしたけどね。「どうしてこうなったの?」と自分が疑問に思う部分が「吾妻鏡」では抜け落ちていたりするので、その部分を補完しないと先に進めないんですね。絵を描くときも、また大変でした。平安末期から鎌倉時代の風俗ってハッキリしてないんですよ。いちばん端的に現れているのが侍烏帽子ですね。平安末期にできてるんですが、本当はあれって貴族が被ってる烏帽子を畳んだものなんですね。畳んで、蝋で固めてあの形にしている。時代が下るとそんなことは忘れられてしまったようですが。だから、江戸時代の侍烏帽子と鎌倉時代の侍烏帽子とでは、だんだん形が変わっていっている。同じ侍烏帽子でも江戸時代の資料だと役に立たないんですよ。そういった考証もふくめて、とにか く下準備に時間がかかった作品でした。



いつか描いてみたいイスラム世界

ヨーロッパを描いて、日本を描いて、「天馬」でモンゴルを描いたので、もう描く場所がなくなっちゃったんじゃないかと言われることがあります。とんでもないっていつも答えてるんですけどね。アイスランドとかアフリカとか、まだまだ知らない場所はたくさんありますから。モロッコなんて綺麗らしいですし、イスラム世界にもいつか挑戦したいなと思っています。実は資料はもう買ってあるんですよ。その時は描こうと思って買ったわけじゃないんですが…。 アラビア文化に興味をひかれた時期があって、その時に「いつか役に立つこともあるだろう」と思ってかなりちゃんとした分厚い本を買ってしまったんです。まだ全然読んでない(笑)。いつかは役立たせたいですね。

(6巻に続く)→【竹宮惠子ロングインタビュー6「天馬の血族:完全版6」2003年



全8巻データ(表紙・裏表紙・奥付)
竹宮惠子「天馬の血族:完全版」2003年

竹宮惠子ロングインタビュー
竹宮惠子ロングインタビュー「天馬の血族:完全版」2003年

対談:竹宮惠子・belne
対談:竹宮惠子・belne「天馬の血族:完全版」2003年

他の作家からの寄稿
Special message to Keiko Takemiya「天馬の血族:完全版」2003年

Menu

メニューサンプル1

管理人/副管理人のみ編集できます