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【竹宮惠子ロングインタビュー3「天馬の血族:完全版3」2003年】

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竹宮惠子ロングインタビュー3「天馬の血族:完全版3」
インタビュー構成:梅澤鈴代
収録日:2003年05月07日
収録場所:角川書店会議室
(図版に続いてテキスト抽出あり)







3巻では、漫画家としてデビューした竹宮先生の苦悩が語られます。
大泉サロンでの思い出、漫画家としてのエポックメーキングとなった作品「ミスターの小鳥」、
あの名作「風と木の詩」の誕生秘話、「ファラオの墓」が連載されるまでの意外ないきさつなど、
各作品の裏話も満載です!



「風と木の詩」が生まれた夜

独り暮らしは寂しいこともありましたが、それが作品に出るようなことは私はなかったですね。もともとあまり自分の内面が出るタイプじゃないので。でも、話作りが遅いのはそのせいもあるかもしれません。買い物行って、誰かに声かけられないと話が進まないみたいな(笑)。

おかげで、長電話をするようになってしまいました。増山のりえさんなんか最たるものですね。あとは何故か男の子の知り合いが多かったかな。 大和田夏希さん(「タフネス大地」作者)は、彼が中学の時に手紙をくれて、BELNEさんとほとんど同じような経緯で文通をしていたんですけど、彼が東京に来れば食事をしたりとか、弟みたいな存在になってましたね。あとは石ノ森先生のところでチーフアシをしていた、今は釣りマンガなどを描いていらっしゃる桜多吾作さんとか。時期的には永井さんの後、「地球へ…」でメカを手伝ってくださったひおあきらさんの前のチーフですね。時期的にもちょうどその頃におつきあいをしていて、よく遊びにいらっしゃる男友達の一人になっていましたね。

でも、男友達はいるんですが、女友達がいないんですよ。心理的なことはやっぱり女性じゃないと話せないじゃないですか。おかげでその役割が全部増山さんにいってしまったんですね。彼女とは本当によく長電話しましたよ。実は、「風と木の詩」(*週刊少女コミック1976年10-80年21号・プチフラワー81年冬の号-84年6月号(いずれも小学館連載)はこの時期にもう生まれているんです。夜中、8時間もかけて彼女に話をして。「ここ寒いのよ。毛布と椅子持ってくるから待ってて」とまで言われて(笑)。朝までずーっと話し続けていましたね。

そんな暮らしを続けているうちに、早い話が近くに友だちが欲しいんだと思ったんです。独りで描いているのが嫌なんだなと。極端なことをいうと家族でもいいんですね。誰かが自分の近くにいてくれればいい。そういう場所が欲しいんだと、増山さんに話していたんです。そうしたら、増山さんが大泉に場所を探してきちゃった(笑)。そこで萩尾さんと暮らしはじめたんですけど、二軒長屋の片方みたいなところで、3Kというのかな? 六畳、四畳半、三畳、キッチンで、一応、お風呂もあったんですね。でも、本当に古い家で。前庭もあったから、畑も作れたんです。もちろん、庭をいじる時間なんかほとんどなかったですから、世話のいらないものしか植えられないんですが。夏はすだれをかけるより、朝顔を植えて日よけにしようとか考えたり、そういう意味では贅沢な場所でしたね。

ちなみに近くにキャベツ畑があって、萩尾さんの「キャベツ畑の遺産相続人」 (*週刊少女コミック(小学館)1973年15号掲載)のタイトルの元になっています(笑)。そのキャベツ畑で、私の妹が仔猫を拾ったこともありました。それがバタという名前の猫で、ずいぶん私たちを慰めてくれましたね。

お互いほとんど独りでやってましたけど、仕上げだけは増山さんに手伝ってもらったりしていました。



ストーリー中心のマンガ作り

当時、私は週刊連載をしていたんですけど、毎回、あっぷあっぷの状況でしたね。とにかく話作りに時間がかかってしまう。感覚優先で描いていたんですよね。描きたい絵とか描きたいシーンがまず先にあって、そこからマンガを作っていくというような。言ってみれば、中学の頃とそれほど変わらないマンガの描き方をしていたわけです。でも、それじゃストーリーを制御できないんです。そのことがようやくわかり始めていたんだけど、具体的にどうしたらいいかわからない。

いろいろと試行錯誤をくり返して、ようやく話がちゃんとできたと思ったのはかなり後、25歳ぐらいの時です。具体的に作品名を挙げるなら「ミスターの小鳥」(*別冊少女コミック増刊ちゃお1976年1月号掲載)からですね。この作品以降、話作りに自信がもてるようになったかな。何しろ主人公がおじいちゃんでしょ? 自分がいつも描きたいと思うような絵からはほど遠い。だからこそ、話に必要なエピソードを考えられたんだと思います。小鳥……おじいちゃんの魂は少年の形 はしていましたけど、自分から動いて喋るようなキャラクターではありませんでしたから、自分の感情や思い入れに引っ張られず、制御しやすかったんですね。意識したわけではありませんが、「話をちゃんとしなくちゃ」と考えていたから、こういう話を思いついたんでしょう。この頃は、そういった話が多いんですよ。

「ミスターの小鳥」以前は、いわゆるスランプの時期で……「ロンド・カプリチオーソ」 (*週刊少女コミック1973年44号-74年13号連載)なんかは、今見ると破綻してるなと思います。足りない部分がいっぱいあって、思う存分に描ききれていない。迷いも見えますしね。「風と木の詩」も、この頃に少しだけ描いているんですが、今のままでは制御できないなと思って、一度止めています。
参照【竹宮恵子:ロンド・カプリチオーソ】【竹宮恵子講演録:1978年11月02日

作品に対して客観的な視点を持てると言えば 聞こえはいいですが、冷めているんでしょうね。先日、あるマンガ家さんとお話ししたんですが、彼はマンガを描き終わった時はいつも「この世の中でこれ以上のマンガはない」と思うんだそうです。私なんか思ったことは一度もない(笑)。あと、作品のクライマックスを描いている最中に、感極まって泣いてしまうなんて話もよく聞きますが、私はこれも一度もないんですよ。

ただ、ものすごく後になってから、自分のマンガを読んだ時に「面白いな」と思うことはありますね。



編集者泣かせのマンガ家

私の初連載は辻真先さん原作の「スーパーお嬢さん!」(*ファニー(虫プロ事)1969年5-10月号連載)だったんですが、最初の打ち合わせの時に、大阪に仕事で来ていらした辻さんが、そのまま徳島に来てくださったんですよ。当時はまだ自宅で描いてましたので、とても恐縮したのを覚えています。
参照【竹宮恵子「ファニー」掲載作品表紙1969-1970

連載も初めてでしたけど、原作がついたのも初めてで。「こんな風に話を考えてくれると楽だなあ」なんて思ってました(笑)。辻さんは、原作に忠実ということに対してそれほど神経質な人ではなかったので、作画をするのも楽でしたね。だからマンガの流れの中で、原作にないセリフを加えたり、シーンを加えたりというのも自由にさせていただいていました。

「アストロツイン」 (*なかよし(講談社)1970年4-6月号連載)は前にも言ったけど、私が上京するキッカケになった作品ですね。ほぼ同時期に週刊連載である「森の子トール」(*週刊少女コミック1970年 (小学館)3-7号連載)の依頼も来て、これではとうてい徳島では描き続けていられないだろうと。それまでは、原稿は航空便で送ることが多かったんですが、集配所に出すのも余計な時間がかかるので、直接、空港に出しに行ったりしてました(笑)。それでも時間が足りなくて、「アストロツイン」の3回目は東京でカンヅメになっちゃったわけですが。「アストロツイン」のストーリーに関しては、講談社からの意向でけっこうお話を変えています。でも、「これじゃわかりにくいから、こう描いた方がよくない?」って言われて、その通りにしたことないんですよね、私(笑)。ぜんぜん違う方向に話を持っていってしまう。だから編集者泣かせと言われていました。

その後何作か描いて……「空が好き!」(* 週刊少女コミック(小学館) 1971年12-21号・72年32-41号連載)は、ようやく編集者が要求するものではない物語を描きたくなって、描いた話ですね。完全なる自分の創造世界。だから最初に編集さんにプロットを説明したときは、勢いだけで押しきりました。

どういう話になるかわからないと編集さんに言われてしまったんですが、自分でもよくわかってない(笑)。もやもやした世界観があるだけなので、うまく説明できなかったんです。とりあえず10回を目標にしようと。当時は10回超えるとヒットだったんですね。だから、本当は10回以上続けたかったんですが、連載中はあまり反響がなくて。連載が終わってから、ドドッときたんですよ。「遅い!」って思いました(笑)。1年半後ぐらいに第2部を描いてはいるんですが、その時には自分の絵が変わってしまっていたので、できればあの時のまま続けたかったなと。

そういえば、この間部屋の整理をしていたら、読者プレゼントとして絵を描いたTシャツが出てきたんですよ。印刷じゃなくて、直筆です。たぶん試し描きをしたんだと思うんですね。グレーのTシャツにフルカラーで描いているので、普通よりちょっと濃い目のカラーで、なんだか変な感じでした。「空が好き!」 のタグ・パリジャンが踊っている(全身!) 図柄で、「こりゃレアだわ」なーんて。



「ファラオの墓」秘話
参照【竹宮「ファラオの墓」はデビュー前の習作】【『ファラオの墓』こぼれ話:竹宮恵子作品集13

さきほど話した「ロンド・カプリチオーソ」の後、しばらく連載がなかったんですね。

「ファラオの墓」 (*週刊少女コミック(小学館) 1974年38-78年8号連載)は、半年ぶりぐらいの連載だったのかな。スランプ気味だったのが、「ミスターの小鳥」でようやく浮上したんですが、この頃はまだまだ不安な状態で。長編の作り方を勉強したくて、いろんな本を読んでいました。もともとは「風と木の詩」をやりたかったんですけど、その前に何か人気の取れるものを描かないと、(編集部を)説得できない。あんな特殊なものをやるには、発言権を強くしなくちゃダメなので、アンケートのとれる作品を描こうとしたんです。

それで、「ファラオの墓」は典型的な貴種流離譚にするのがいいと言われたんですが、そういう話を知っているかというと知らないわけですよ。だから、どういう話があるのかそのころブレーンとして協力してもらっていた増山のりえさんに相談しました。

最初のうちは脚本家にお願いして、いろいろアドバイスをもらっていました。プロットを練る段階で打ち合わせして、「それ、いけるな」と思ったアイディアだけ使う、みたいな。当時の担当さんが、もと青年誌の編集者だったんですよ。だから、そういうことが当たり前みたいにできたんですね。アイディアを提供してもらったり、設定を補強してもらうのは、男性のマンガ家さんはよくやっていることなので。期間としては、だいたい2、3ヶ月ぐらいだったかな。連載を始めた頃の、風呂敷を広げる時にネタが足りなかったんですよね。畳む段階になっちゃえば、キャラクターもできてますから、その流れにそって収拾していけばいいだけですから。

私は、風呂敷を畳むのは好きなんですよ。たまに伏線を忘れそうになることはありますけどね(笑)。ですから、長い連載になると必ず読み返してます。プロットの書いてあるクロッキーノートにも目を通すんですが、そうすると大切な伏線がメモしてあったりするんですよね。連載の時はあまりページ数は気にしないんですが、読み切りの時はキッチリとページ数を割らなければならないので、クロッキーノートの方にもかなり細かいことが書いあります。それをもとに、ページ数の割り振りをするんですね。「ミスターの小鳥」まではこの方法を使ってなかったので、途中でページ数が足りなくなったり、ややこしいことになってしまったわけです(笑)。プロットからページ数の割り振りをするというやり方は、今ではマンガの描き方として確立されている感がありますが、あの頃はやっている人は少なかったですね。その中で、萩尾望都さんはキッチリとしたプロットを書かれていたと思います。だからこそ、あんな風に文学的に話作りができたんでしょうね。



何を描くにも3年早い

アンケート人気をとろうと思って描いた「ファラオの墓」ですけど、実は当時の少女マンガの王道からは外れていたんですよね。裸や拷問など、けっこう衝撃的なシーンもありましたから。私はそういうのを描くときには遠慮しないんですよ。自分の中から自然に出てくるものなので、感覚的に描いちゃう。後で読者から「ショックでした」って言われて、ようやく「そういうものなのか」と気づくんです。もっとも「ファラオの墓」ぐらいのシ ーンは、今では珍しくもなんともありませんが。「風と木の詩」の時に言われたことなんですけど、私は何を描くにも3年ぐらい早いみたいですね(笑)。

「ファラオの墓」は、アンケートをとりたいと思いながらも、自分の感覚だけで好き勝手に描いていたものですから、連載当初の反響はさんざんなものでした。掲載作品が十数本 しかない中で、8位とか10位とか。ナイルキアの悲恋のエピソードが始まったあたりで盛り上がってきて、けっこうファンレターをいただくようになってきたんですが、それでも5位以上にはあがらない。やっぱり「風木」を始めるためにはできれば1位、最低でも2位はとっておきたいと思って、頑張ってはいたんですが……頑張っても迎合はしないというか、自分がいいと思う話しか描かないものですから、ずっと苦戦が続きました。物語が半分過ぎた頃になると、逆に話を描くことが楽しくなってきて、それ以外のことはもうどうでもよくなってしまって(笑)。とにかくス トーリーを操ることに夢中で、気がついたらもう連載は終盤でしたね。ところが、その頃にようやく2位になったんです。最終回の2回前だったかな?「空が好き!」もそうでしたけど、何か、私の作品って終わってからとか、終わり頃になって人気が上がるみたいですね。でも、「もっと読みたい」と思う頃に終わるのが、ちょうどいいのかもしれませんね。

(4巻に続く)→【竹宮惠子ロングインタビュー4「天馬の血族:完全版4」2003年



全8巻データ(表紙・裏表紙・奥付)
竹宮惠子「天馬の血族:完全版」2003年

竹宮惠子ロングインタビュー
竹宮惠子ロングインタビュー「天馬の血族:完全版」2003年

対談:竹宮惠子・belne
対談:竹宮惠子・belne「天馬の血族:完全版」2003年

他の作家からの寄稿
Special message to Keiko Takemiya「天馬の血族:完全版」2003年

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