最終更新: mototemplate 2022年01月25日(火) 09:55:25履歴
【竹宮:日本のマンガは始めから「オープンソース」だった】
竹と樹のマンガ文化論
著者:竹宮惠子・内田樹
発行日:2014年12月06日
発行所:小学館
情報提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164218...
「竹と樹のマンガ文化論」38-39ページ
オープンソースと共同作業
内田 戦後、手塚治虫の登場によって加速度的な進化プロセスに入った日本のマンガですが、そのなかで吹き出し、感情線、擬音、擬態語など、アメコミやバンド・デシネには見られない日本マンガ独特の新しい表現方法が次々と開発・発見されました。この日本独自のスタイルが形成された理由を竹宮先生はどうお考えですか?
竹宮 よく聞かれる質問なのですが、その理由について、私には一つの仮説があります。学生たちにもよく話すのですが、要するに、日本のマンガは、始めから「オープンソース」だった、ということです。描き手の発明は、誰が使ってもいい許容のなかで成長し続けてきました。
内田「オープンソース」ですか! その説は今初めて聞きました。
竹宮 どんな新しい表現も最初に誰かが発明して、作品に定着させる。
内田 それを見た他のマンガ家たちが、「おお、この手があったか」と(笑)。
竹宮 そう。これはいいな、と思ったら、みんなで真似をするのです。
内田 真似していいんですね。「真似するな」とか誰も言わない。
竹宮 言わないです。自分たちもずっと誰かの表現を真似してきたから。ときどき、この表現は自分のオリジナルだと言う人もいますけど、それは言わないほうがいいよねって、みんなで言っています(笑)。
「竹と樹のマンガ文化論」40ページ
内田 日本の文化ジャンルのなかでは、マンガがたぶん今のところオープンソースと共同作業のマインドが最も発達しているんですね。
竹宮 そうかもしれませんね。トキワ荘の時代から、マンガ家には運命共同体的な意識があったのでしょう。当時は赤塚先生の作品を古谷三敏先生が描いたり、私も萩尾望都さんの仕事を手伝ったり、手伝ってもらったり。
「竹と樹のマンガ文化論」41-43ページ
竹宮 著作権のことで思い出したのですが、同人誌のパロディ作品について、「少年ジャンプ』(集英社)が警告を出そうとしたことがありました。あなた方がやっていることは、著作権侵害だよと。でも、編集者も含め、マンガ家たちに意見を聞くと、同人誌の作家は作品のファンでもあるから、そこを厳しく取り締まると雑誌を買わなくなるの じゃないかと(笑)。
内田 ほんとにそうですね。
竹宮 結局、訴えるのをやめてしまった。その後、同人誌にパロディ化されることを狙って作ったような作品も生まれ始めた。
内田 え? はじめから同人誌を狙って作るんですか……?
竹宮 同人誌の作者が真似しやすいキャラクターやいじりやすい設定で作品を展開するのです。たとえば、いちばんいじりやすい設定は、恋愛関係ですね。
内田 あ、なるほど。オリジナルのマンガではヘテロだけれども、同人誌ではホモセクシャルになっちゃうという設定の転換ですね?
竹宮 はい、そうです。だから登場人物が美男子ばっかりみたいな設定を作っちゃうんです。
内田 他のジャンルでは考えられないですね。パロディ作家やファンとの共同作業なんて。マンガだけですよ、そんなの。竹宮先生も、最初は先輩マンガ家のコピーから始められたのですか?
竹宮 もちろんそうです。フルコピーまでいかなくても私は石ノ森先生のファンでしたから、先生の『マンガ家入門』をバイブルにして、来る日も来る日もマンガの練習をしていました。
内田 絵の修業ですからね。最初はとにかく同じように描けるようになることが重要だから?
竹宮 はい、そうです。『星のたてごと』(水野英子)の付録一冊まるごと写本とか。
「竹と樹のマンガ文化論」66-68ページ
内田 比較しちゃいけないのかもしれませんが、音楽の場合、著作権とビジネスが緊密に結びついてしまったせいで、誰が誰をパクっているとかいうことに、過剰にナーバスになっている。
音楽についてトリビアルな知識を持っている人間が、「これはこれとこれのパクりだ」と言うと、その知識自体が何か批評性を持っているかのように見なされる。でも、マンガの場合は、そういう話はしませんよね。この人のこの絵柄とかコマ割りは誰それのパクリだと言っても、誰も反応しないでしょ(笑)。
竹宮 誰が何をやっても構わない。ただただ、マンガはオープンソースなだけです。
内田 世界のどんなビジネスを見渡しても、ここまでオープンソースを徹底させているのは日本のマンガだけなんじゃないかな。
竹宮 そうですね。確かにそうかもしれない。その結果が、現在の飛躍と発展につながっているのかしら(笑)。
内田 オープンソースが、もっとも生産性が高いんですよね。
竹宮 そうですよね!
38-43、66-69ページ
【竹宮:日本のマンガは始めからオープンソースだった】
78-84、140-144ページ
【竹宮:『風と木の詩』と『飛ぶ教室』、『風と木の詩』最終巻】
94-97ページ
【竹宮:わたしたち「大泉サロン」とヨーロッパ旅行】
122-130ページ
【竹宮:事実誤認?『トーマの心臓』と『スター・レッド』連載時期】
40、78、96、98、125、129、164ページ
【竹宮:本書で萩尾望都に触れている】
竹と樹のマンガ文化論
著者:竹宮惠子・内田樹
発行日:2014年12月06日
発行所:小学館
情報提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164218...
「竹と樹のマンガ文化論」38-39ページ
オープンソースと共同作業
内田 戦後、手塚治虫の登場によって加速度的な進化プロセスに入った日本のマンガですが、そのなかで吹き出し、感情線、擬音、擬態語など、アメコミやバンド・デシネには見られない日本マンガ独特の新しい表現方法が次々と開発・発見されました。この日本独自のスタイルが形成された理由を竹宮先生はどうお考えですか?
竹宮 よく聞かれる質問なのですが、その理由について、私には一つの仮説があります。学生たちにもよく話すのですが、要するに、日本のマンガは、始めから「オープンソース」だった、ということです。描き手の発明は、誰が使ってもいい許容のなかで成長し続けてきました。
内田「オープンソース」ですか! その説は今初めて聞きました。
竹宮 どんな新しい表現も最初に誰かが発明して、作品に定着させる。
内田 それを見た他のマンガ家たちが、「おお、この手があったか」と(笑)。
竹宮 そう。これはいいな、と思ったら、みんなで真似をするのです。
内田 真似していいんですね。「真似するな」とか誰も言わない。
竹宮 言わないです。自分たちもずっと誰かの表現を真似してきたから。ときどき、この表現は自分のオリジナルだと言う人もいますけど、それは言わないほうがいいよねって、みんなで言っています(笑)。
「竹と樹のマンガ文化論」40ページ
内田 日本の文化ジャンルのなかでは、マンガがたぶん今のところオープンソースと共同作業のマインドが最も発達しているんですね。
竹宮 そうかもしれませんね。トキワ荘の時代から、マンガ家には運命共同体的な意識があったのでしょう。当時は赤塚先生の作品を古谷三敏先生が描いたり、私も萩尾望都さんの仕事を手伝ったり、手伝ってもらったり。
「竹と樹のマンガ文化論」41-43ページ
竹宮 著作権のことで思い出したのですが、同人誌のパロディ作品について、「少年ジャンプ』(集英社)が警告を出そうとしたことがありました。あなた方がやっていることは、著作権侵害だよと。でも、編集者も含め、マンガ家たちに意見を聞くと、同人誌の作家は作品のファンでもあるから、そこを厳しく取り締まると雑誌を買わなくなるの じゃないかと(笑)。
内田 ほんとにそうですね。
竹宮 結局、訴えるのをやめてしまった。その後、同人誌にパロディ化されることを狙って作ったような作品も生まれ始めた。
内田 え? はじめから同人誌を狙って作るんですか……?
竹宮 同人誌の作者が真似しやすいキャラクターやいじりやすい設定で作品を展開するのです。たとえば、いちばんいじりやすい設定は、恋愛関係ですね。
内田 あ、なるほど。オリジナルのマンガではヘテロだけれども、同人誌ではホモセクシャルになっちゃうという設定の転換ですね?
竹宮 はい、そうです。だから登場人物が美男子ばっかりみたいな設定を作っちゃうんです。
内田 他のジャンルでは考えられないですね。パロディ作家やファンとの共同作業なんて。マンガだけですよ、そんなの。竹宮先生も、最初は先輩マンガ家のコピーから始められたのですか?
竹宮 もちろんそうです。フルコピーまでいかなくても私は石ノ森先生のファンでしたから、先生の『マンガ家入門』をバイブルにして、来る日も来る日もマンガの練習をしていました。
内田 絵の修業ですからね。最初はとにかく同じように描けるようになることが重要だから?
竹宮 はい、そうです。『星のたてごと』(水野英子)の付録一冊まるごと写本とか。
「竹と樹のマンガ文化論」66-68ページ
内田 比較しちゃいけないのかもしれませんが、音楽の場合、著作権とビジネスが緊密に結びついてしまったせいで、誰が誰をパクっているとかいうことに、過剰にナーバスになっている。
音楽についてトリビアルな知識を持っている人間が、「これはこれとこれのパクりだ」と言うと、その知識自体が何か批評性を持っているかのように見なされる。でも、マンガの場合は、そういう話はしませんよね。この人のこの絵柄とかコマ割りは誰それのパクリだと言っても、誰も反応しないでしょ(笑)。
竹宮 誰が何をやっても構わない。ただただ、マンガはオープンソースなだけです。
内田 世界のどんなビジネスを見渡しても、ここまでオープンソースを徹底させているのは日本のマンガだけなんじゃないかな。
竹宮 そうですね。確かにそうかもしれない。その結果が、現在の飛躍と発展につながっているのかしら(笑)。
内田 オープンソースが、もっとも生産性が高いんですよね。
竹宮 そうですよね!
38-43、66-69ページ
【竹宮:日本のマンガは始めからオープンソースだった】
78-84、140-144ページ
【竹宮:『風と木の詩』と『飛ぶ教室』、『風と木の詩』最終巻】
94-97ページ
【竹宮:わたしたち「大泉サロン」とヨーロッパ旅行】
122-130ページ
【竹宮:事実誤認?『トーマの心臓』と『スター・レッド』連載時期】
40、78、96、98、125、129、164ページ
【竹宮:本書で萩尾望都に触れている】
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